今年の南関東の初の2歳重賞,鎌倉記念。
先手を奪ったのはヴァイタルシーズ。これにノースダンデー,ブラウンアマゾン,アオゾラ,オーラガイアなどが加わっていき,1コーナー後の急カーブをヴァイタルシーズがうまく回れなかったこともあり,隊列が定まるのにやや時間を要しましたが,向正面でヴァイタルシーズの外の2番手にアオゾラ,その外の3番手にノースダンデーで落ち着きました。
直線の入口あたりでヴァイタルシーズが後続との差を広げにかかるとアオゾラは後退。代わってノースダンデーがかなり押しながら2番手に。その後ろも少し差が開いて,最内からブラウンアマゾン,馬場の中央にバルバンクール,外からオーラガイアがそれぞれ追ってきましたが,ヴァイタルシーズには関係なく,悠々と逃げ切って1着。2着もノースダンデーが頑張り通し,2着は内と真中できわどい争いとなりましたが,ブラウンアマゾンが3着で4着にバルバンクール。オーラガイアが5着でした。
優勝したヴァイタルシーズはこれで5戦3勝。もちろん南関東重賞は初制覇。前走が初めて控えてのレースで3着。今日は先手を奪えたのもよかったですし,基本的な能力もここでは上だったようです。鞍上の左海誠二騎手は昨年の羽田盃以来の南関東重賞制覇。
軽視してしまった2着のノースダンデーは今日がキャリア3戦目。2度目の1500メートルで変わり身を見せました。前走と違い,今日は先行集団からレースを進められたのもよかったのだと思います。
明日は旭川でエーデルワイス賞が行われます。地元勢の争いとみて,カミヒコーキ◎,ユニティ○,マサノミネルバ▲の3頭を中心に,ライトオブマリア△とディアダンサー△。
スピノザの哲学においては,事物の定義というのは,その事物の本性を示すということになっています。このことは『エチカ』においても,たとえば第一部定理八の備考二,岩波文庫版でいえば上巻の44ページの後ろから5行目などで,スピノザ自身がはっきりと明示しています。よってこのことは,今回のテーマである第二部定義三に限らず,『エチカ』におけるすべての定義に妥当であると考えていいでしょう。
しかしもうひとつ,これはすべての定義に妥当であるといえるかどうかは別として,スピノザの哲学にあって定義というものには約束事があり,それは,定義は定義される事物の発生を明示しなければならないというものです。このことについてはスピノザは『エチカ』においては言及していないのですが,たとえばスピノザは円の定義として,中心からの距離が等距離の図形という言明は相応しくなく,一端が固定され,もう一端が運動する直線によって形成される図形という言明が,円の定義でなければならないといっています。なぜなら,前者の言明からは円という図形が発生しないのに対し,後者の言明からは,確かに円という図形が発生すると考えられるからです。僕自身は前者の言明については,後者の定義,すなわち本性から生じる円の特質であると考えますが,今はそれを別にして,前者の言明が円の本性に属すると仮定しても,この言明は円の定義には相応しくないとスピノザは考えているわけです。
こういう観点に立ったとき,僕にはこの第二部定義三に,ちょっとした疑問が湧き起こるのです。
先手を奪ったのはヴァイタルシーズ。これにノースダンデー,ブラウンアマゾン,アオゾラ,オーラガイアなどが加わっていき,1コーナー後の急カーブをヴァイタルシーズがうまく回れなかったこともあり,隊列が定まるのにやや時間を要しましたが,向正面でヴァイタルシーズの外の2番手にアオゾラ,その外の3番手にノースダンデーで落ち着きました。
直線の入口あたりでヴァイタルシーズが後続との差を広げにかかるとアオゾラは後退。代わってノースダンデーがかなり押しながら2番手に。その後ろも少し差が開いて,最内からブラウンアマゾン,馬場の中央にバルバンクール,外からオーラガイアがそれぞれ追ってきましたが,ヴァイタルシーズには関係なく,悠々と逃げ切って1着。2着もノースダンデーが頑張り通し,2着は内と真中できわどい争いとなりましたが,ブラウンアマゾンが3着で4着にバルバンクール。オーラガイアが5着でした。
優勝したヴァイタルシーズはこれで5戦3勝。もちろん南関東重賞は初制覇。前走が初めて控えてのレースで3着。今日は先手を奪えたのもよかったですし,基本的な能力もここでは上だったようです。鞍上の左海誠二騎手は昨年の羽田盃以来の南関東重賞制覇。
軽視してしまった2着のノースダンデーは今日がキャリア3戦目。2度目の1500メートルで変わり身を見せました。前走と違い,今日は先行集団からレースを進められたのもよかったのだと思います。
明日は旭川でエーデルワイス賞が行われます。地元勢の争いとみて,カミヒコーキ◎,ユニティ○,マサノミネルバ▲の3頭を中心に,ライトオブマリア△とディアダンサー△。
スピノザの哲学においては,事物の定義というのは,その事物の本性を示すということになっています。このことは『エチカ』においても,たとえば第一部定理八の備考二,岩波文庫版でいえば上巻の44ページの後ろから5行目などで,スピノザ自身がはっきりと明示しています。よってこのことは,今回のテーマである第二部定義三に限らず,『エチカ』におけるすべての定義に妥当であると考えていいでしょう。
しかしもうひとつ,これはすべての定義に妥当であるといえるかどうかは別として,スピノザの哲学にあって定義というものには約束事があり,それは,定義は定義される事物の発生を明示しなければならないというものです。このことについてはスピノザは『エチカ』においては言及していないのですが,たとえばスピノザは円の定義として,中心からの距離が等距離の図形という言明は相応しくなく,一端が固定され,もう一端が運動する直線によって形成される図形という言明が,円の定義でなければならないといっています。なぜなら,前者の言明からは円という図形が発生しないのに対し,後者の言明からは,確かに円という図形が発生すると考えられるからです。僕自身は前者の言明については,後者の定義,すなわち本性から生じる円の特質であると考えますが,今はそれを別にして,前者の言明が円の本性に属すると仮定しても,この言明は円の定義には相応しくないとスピノザは考えているわけです。
こういう観点に立ったとき,僕にはこの第二部定義三に,ちょっとした疑問が湧き起こるのです。
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