スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典中山大障害&マイエルの方法

2015-12-26 19:08:58 | 中央競馬
 以前の日程に戻った第138回中山大障害
 ほとんどのレースで逃げているドリームセーリングがここもハナへ。少し離れた2番手がサナシオンでそれをマークするようにアップトゥデイトが3番手。また差があってエイコーンパス,マキオボーラー,タマモショパン,ダンツミュータントといったあたりが一団で追走というレースが大障害飛越後の向正面まで続きました。この間にアポロマーベリックが競走中止。
 向正面でサナシオンが先頭に。ドリームセーリングは一杯でアップトゥデイトもすんなりと2番手。その後ろの集団からはエイコーンパスだけが追いついてきて,この3頭が雁行するように直線に。真中のアップトゥデイトが伸び脚で優り優勝。粘るサナシオンを捕えたエイコーンパスが半馬身差で2着。坂を上がって力尽きたサナシオンは2馬身差で3着。
 優勝したアップトゥデイトは春の中山グランドジャンプに続き今年のJGⅠを連覇。その後は8月に小倉サマージャンプを使ってこれも勝ち,今日はそれ以来の実戦。明らかに順調さを欠いたローテーションだったと思いますが,それでいて勝つのですから力を高く評価してよいでしょう。競り合いを演じた2頭とは,大障害コースの経験値で上回った部分もあったかもしれません。使い込めないタイプかもしれませんが,さらに活躍を期待してよいものと思います。父はクロフネ
 騎乗した林満明騎手と管理している佐々木晶三調教師は中山グランドジャンプ以来の大レース制覇で中山大障害は初勝利。

 マイエルの著作である『聖書解釈としての哲学』については,『ある哲学者の人生』では内容がもう少し詳しく紹介されています。ただ僕がそれを読む限り,畠中の簡潔な説明との齟齬はいっかなありません。マイエルは聖書の真理を理解するための最良の道具が理性であるという主旨の論述を展開したのです。詳細は別稿で説明しますが,これがスピノザの聖書解釈とは,方法論として異なっているのは間違いないでしょう。
                                  
 アドリアン・クールバッハのふたつの著作に関しては,それがスピノザの方法と一致しているのか反しているのかについての結論を僕は出しませんでした。というのもクールバッハが聖書の中に真理が部分的には含まれていると考えていたのは間違いないと思うのですが,それが具体的にどういう部分を意味しているのかが不明であったからです。ただ,もしアドリアンが,聖書自体の意図するところが真理を示すところにあると認識して,それを理性によって批判しようと企てていたのだとしたら,その方法論はスピノザとではなくマイエルと一致します。マイエルとアドリアンは間違いなく顔馴染であったと推測できますが,両者は哲学と神学の間の関係についての考え方も一致していた可能性があるといっておきましょう。
 マイエルが採用した方法は,デカルト的な合理主義を神学の範疇まで推進したものであったと考えられます。ただし,デカルト自身は自分の合理主義をそこまで進めていくことに躊躇いをもっていました。これはちょうど,自己原因に関してデカルトが一線を超えないように努めていたこと,そしてそのために詭弁が発生してしまったのとパラレルな関係にあります。要するにデカルトはこの面でも表向きには神学者からの反論が生じないようにしていたのです。スピノザが自己原因に関してその一線を躊躇なく踏み越えたのと同じように,マイエルも聖書解釈においてその一線を越えたと考えて間違いないと思います。だからスピノザがカルヴァン派のような反動的保守陣営からだけでなく,フェルトホイゼングレフィウスのようなデカルト主義者からも論難されたのと同様のことが,マイエルの著作にも生じたのです。

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