20日と21日にセルリアンタワー能楽堂で指された第30期竜王戦七番勝負第一局。対戦成績は渡辺明竜王が34勝,羽生善治棋聖が35勝。千日手が2局あります。
振駒で羽生棋聖の先手で相掛かり。渡辺竜王が先に飛車先交換をして浮き飛車。その後に飛車先交換をした先手が高飛車。さらに先手が歩を合わせて横歩を取りました。厳密にいうと先手の動きは無理だったようですが,後手が小ミスを重ねて最後は大差になったという一局だったようです。
先手が7五に桂馬を打って後手が☖7四角と受けた局面。この手もミスで☖7二角と打つのが優ったそうです。
そこで先手は☗5五銀と打ちました。本当は☗4五銀☖同銀☗同桂が理想の展開だけれども☗4五銀には☖6三銀と引かれる手があるのでこちらに打ったということです。
後手はこの手は読みになかったそうです。それで熟考の末に☖同銀と取ったのですがこれがミス。当然の☗同馬に☖2八とで攻め合いにいきましたが☗6四馬☖3八と☗6三銀☖5一王まで決められた後で☗3八金と取られ,角取りが残っているので☖9二角と逃げられたところで☗4五桂と跳ね出されました。
☗5五銀でも先手で桂馬を跳ねる展開になったので,ここはもう大きな差がついているのだろうと思います。
☗5五銀のところではそれでも☖6三銀と逃げる手もあったかもしれませんし,ここで銀を交換せずに☖2八とからの攻め合いにするのもありました。後手にとってはここが最後のチャンスだったようです。
羽生棋聖が先勝。第二局は28日と29日です。
ここまではゲーテJohann Wolfgang von Goetheが実際にスピノザの哲学と関係しているかどうか不明だけれど,『ゲーテとスピノザ主義』の記述の中で,明らかにスピノザの哲学と関係がありそうなのにスピノザの名前が出てこない箇所について指摘してきました。今度はこれと逆のパターンであると僕には思われる箇所を説明していきます。つまり大槻の記述の中には,ゲーテの思想がスピノザの哲学の影響下にあるとされているけれども,僕にはそれはスピノザの哲学とは相容れないのではないかと考えられる箇所についてです。
どういう人が『ゲーテとスピノザ主義』を読むのかは僕には分かりません。ただ,もしゲーテの思想に関心があり,それを一定以上に知っているけれど,スピノザの哲学にはさほど詳しくないという人がこれを読む場合,ここまで指摘してきた箇所というのは,そこまで大きな問題にならないだろうと僕は思います。確かにそこでスピノザ主義との関連性を見落とすことにはなるかもしれませんが,実際にそこでゲーテがスピノザを意識していたのかどうかまでは分からないのですし,何より,スピノザの哲学について何らかの誤解を招くということはないからです。これは触れられていない事柄については誤りようがないですから当然でしょう。ですが,触れられているけれども実際には相容れない要素があるという場合には別で,この場合は部分的にスピノザの哲学について誤解してしまう可能性が残ります。そういう意味でいえば,これから述べていくことの方が重要であるといえるかもしれません。
まず最初にいっておきますが,僕は大槻がスピノザの哲学についてある誤解をしているということをいいたいのではありません。大槻の関心はゲーテがどのようにスピノザの哲学を受容したのかということなのであって,ゲーテによるスピノザ受容のうちにすでに何らかの誤りが含まれているのなら,いい換えればゲーテ自身が自分の思想の中のある部分についてそれはスピノザの哲学から影響を受けていると判断しているのであっても,それ自体が誤っているのなら,大槻はそれをそのまま研究対象にするであろうからです。この場合は大槻には何の責任もありません。
振駒で羽生棋聖の先手で相掛かり。渡辺竜王が先に飛車先交換をして浮き飛車。その後に飛車先交換をした先手が高飛車。さらに先手が歩を合わせて横歩を取りました。厳密にいうと先手の動きは無理だったようですが,後手が小ミスを重ねて最後は大差になったという一局だったようです。
先手が7五に桂馬を打って後手が☖7四角と受けた局面。この手もミスで☖7二角と打つのが優ったそうです。
そこで先手は☗5五銀と打ちました。本当は☗4五銀☖同銀☗同桂が理想の展開だけれども☗4五銀には☖6三銀と引かれる手があるのでこちらに打ったということです。
後手はこの手は読みになかったそうです。それで熟考の末に☖同銀と取ったのですがこれがミス。当然の☗同馬に☖2八とで攻め合いにいきましたが☗6四馬☖3八と☗6三銀☖5一王まで決められた後で☗3八金と取られ,角取りが残っているので☖9二角と逃げられたところで☗4五桂と跳ね出されました。
☗5五銀でも先手で桂馬を跳ねる展開になったので,ここはもう大きな差がついているのだろうと思います。
☗5五銀のところではそれでも☖6三銀と逃げる手もあったかもしれませんし,ここで銀を交換せずに☖2八とからの攻め合いにするのもありました。後手にとってはここが最後のチャンスだったようです。
羽生棋聖が先勝。第二局は28日と29日です。
ここまではゲーテJohann Wolfgang von Goetheが実際にスピノザの哲学と関係しているかどうか不明だけれど,『ゲーテとスピノザ主義』の記述の中で,明らかにスピノザの哲学と関係がありそうなのにスピノザの名前が出てこない箇所について指摘してきました。今度はこれと逆のパターンであると僕には思われる箇所を説明していきます。つまり大槻の記述の中には,ゲーテの思想がスピノザの哲学の影響下にあるとされているけれども,僕にはそれはスピノザの哲学とは相容れないのではないかと考えられる箇所についてです。
どういう人が『ゲーテとスピノザ主義』を読むのかは僕には分かりません。ただ,もしゲーテの思想に関心があり,それを一定以上に知っているけれど,スピノザの哲学にはさほど詳しくないという人がこれを読む場合,ここまで指摘してきた箇所というのは,そこまで大きな問題にならないだろうと僕は思います。確かにそこでスピノザ主義との関連性を見落とすことにはなるかもしれませんが,実際にそこでゲーテがスピノザを意識していたのかどうかまでは分からないのですし,何より,スピノザの哲学について何らかの誤解を招くということはないからです。これは触れられていない事柄については誤りようがないですから当然でしょう。ですが,触れられているけれども実際には相容れない要素があるという場合には別で,この場合は部分的にスピノザの哲学について誤解してしまう可能性が残ります。そういう意味でいえば,これから述べていくことの方が重要であるといえるかもしれません。
まず最初にいっておきますが,僕は大槻がスピノザの哲学についてある誤解をしているということをいいたいのではありません。大槻の関心はゲーテがどのようにスピノザの哲学を受容したのかということなのであって,ゲーテによるスピノザ受容のうちにすでに何らかの誤りが含まれているのなら,いい換えればゲーテ自身が自分の思想の中のある部分についてそれはスピノザの哲学から影響を受けていると判断しているのであっても,それ自体が誤っているのなら,大槻はそれをそのまま研究対象にするであろうからです。この場合は大槻には何の責任もありません。
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