スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

叡王戦&クライマックス

2024-06-01 18:54:46 | 将棋
 柏の葉カンファレンスセンターで指された昨日の第9期叡王戦五番勝負第四局。
 伊藤匠七段の先手で角換わり相腰掛銀。後手の藤井聡太叡王は右玉に構えました。
                                        
 先手が穴熊に潜って後手が銀を引いた局面。銀がいなくなったので先手は☗2四歩☖同歩☗同飛と交換しました。
 すぐに成り込みはありませんので後手は受ける必要はありません。ということで☖6五歩と攻め合いに出ました。
 先手は熟考して☗2八飛。後手は手番を得たので☖6六歩と取り込み☗同銀に☖9五歩☗同歩☖9七歩の端攻めを敢行。
                                        
 この攻めが成立したのは,後手が2筋で一歩を得ていたからです。先手が悪くなったわけではないのですが,しばらくは主導権を握った後手が一方的に攻める展開になり,実戦的には勝ちにくくなってしまいました。この形の穴熊に潜ったところで2筋を交換する順は,的確な受けが必要なので,それが難しいなら自重する方がよいようです。
 藤井叡王が勝って2勝2敗。第五局は20日に指される予定です。

 この部分の考察はこれだけです。この直後に,ねたみinvidiaとも関連した別の事項が考察されています。ここの部分は僕にとって有益であったので,ここでも詳しく検討します。
 第三部定理二七に,現実的に存在する人間に感情の模倣affectum imitatioが生じる一般的な原理が示されています。この定理Propositioはこの後,10回にわたって参照を促される定理で,第三部の後半の軸を構成する定理のひとつです。その次の第三部定理二八は,さらに多い11回の参照を促されている定理ですので,このふたつの定理は,第三部の中でとくに重要な定理であるといっていいでしょう。すなわち,現実的に存在する人間は他人の感情を模倣するということおよび現実的に存在する人間は喜びlaetitiaを希求し悲しみtristitiaを忌避するということは,スピノザの哲学における人間論,あるいは現実的に存在する人間の感情論において,ふたつの軸を構成しているということになります。
 この感情論のクライマックスが第三部定理五五であると國分はいっています。第三部の定理は第三部定理五九まであるのですが,第三部定理五六,第三部定理五七,第三部定理五八,そして第三部定理五九の4つの定理は感情についての総論的な議論なので,具体的な感情論は第三部定理五五がラストです。だから國分はここをクライマックスといっています。いい換えればクライマックスということに最高潮というような意味が含まれているわけではなく,具体的な感情論の最後であるというほどの意味であると解して間違いないでしょう。
 國分がこのような意味でクライマックスといっている第三部定理五五は,第三部定理五三と対をなし,かつ非対称な定理となっています。非対称というのは,第三部定理五五では,自己の無能力impotentiaを表象するimaginariといわれているのに対し,第三部定理五三では自己の活動能力agendi potentiaを観想するcontemplariといわれているからです。すなわちスピノザは現実的に存在する人間が,自己の無能力を観想するとはいわず,表象するといっています。國分はこのことを,現実的に存在する人間にとって,自己の無能力というのは,観想されるものなのではなく表象されるものなのだといっています。この指摘が僕にとっては新鮮なものでした。

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