スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯白玲戦&河井の事例

2023-09-04 18:57:39 | 将棋
 2日に台場で指された第3期白玲戦七番勝負第一局。対戦成績は里見香奈白玲が32勝,西山朋佳女流三冠が27勝。これはNHK敗戦の女流予選が公式戦であったときの対局を含んでいます。
 ヒューリックの会長による振駒で西山女流三冠の先手となって三間飛車。後手の里見白玲が向飛車にしての相振飛車。後手が居玉のまま中盤の戦いになりました。
                                        
 第1図から☗2七歩と打ち,☖1五角に☗4四歩と取り込みました。☖同金に☗6五歩☖4二飛☗4七歩。部分的に収めにいった順ですが,この判断がよくなく,玉の自由度が高い後手の方がよくなりました。
 第1図では☗1六歩と突いて角を捕獲しにいけば,先手が有望だったようです。
 里見白玲が先勝。第二局は9日に指される予定です。

 まず最初に次のことをいっておきます。僕が修正した第二部定理三二の意味は,現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちに何らかの誤った観念idea falsa,河井の事例に合わせていえば歪んだ円の誤った観念があるにしても,それは神Deusと関係していないから誤った観念であるだけで,無限知性intellectus infinitusのうちでは神と関係させることができるから真の観念idea veraであるということでした。よって,現実的に存在する人間の精神のうちにある歪んだ円の観念が,真の観念であろうと誤った観念であろうと成立します。それが真の観念であるのならその歪んだ円の観念はその人間の精神だけによって神と関係しているということであり,誤った観念であるのならそれはその人間の精神だけによっては神と関係していないというだけのことだからです。よって,河井が示している事例は,僕の考察にとって不要です。つまり,僕の考察を継続するということだけでいえば,この部分を無視して先に進むことができます。
 それでも僕がこの点について触れたのは,ここで河井が示している事例が,河井そのものの主張に対してもあまり適していないのではないかと考えるからです。なぜなら,歪んだ円の誤った観念と歪んだ円の真の観念というのは,第四部定理一から分かるように,現実的に存在する人間の精神のうちに同時に存在し得るからです。他面からいえば,現実的に存在するある人間の精神のうちに,歪んだ円の真の観念が発生したからといって,それで歪んだ円の誤った観念がその人間の精神のうちから排除されるというわけではありませんし,歪んだ円の観念がその人間の精神のうちに発生することを妨げるというわけでもないからです。
 このことは一般的には次のように考えることができます。もしも現実的に存在するある人間の精神のうちに何らかの真の観念が発生するのであれば,それは知性の秩序ordo intellectusによって発生するのです。一方,ある人間の精神のうちに何らかの誤った観念が発生するのであれば,それは自然の秩序ordo naturaeによって発生するのです。このことは第二部定理二九備考でスピノザが示していることです。
 このとき,第二部定理七によって,観念の秩序というのは観念対象ideatumの秩序と一致します。

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