スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

神学・政治論&実体の形而上学的概念

2015-01-17 19:13:13 | 哲学
 『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』や『国家論Tractatus Politicus』については,書評の掲載を見送るつもりでした。僕にはその内容を詳しく検討することができないからです。ただ,汎神論の説明で『神学・政治論』に触れましたし,今後の考察でも利用する可能性は残りますので,簡単な紹介だけはしておくことにします。
                         
 岩波文庫からも『神学・政治論』が出ていますが,光文社古典新訳文庫から昨年に出版された画像のものをお勧めします。岩波版は現在は入手が困難だと思われますし,文章も語句も現代の僕たちが使っているものとはかけ離れているところがあり,大変に読みにくいと思われるからです。もっとも悪文にはそれなりのメリットもあるわけですが,光文社版は訳注や解説が懇切丁寧で,たとえばスピノザが書いたとして残されている原著の,ラテン語のいい回しのどの部分に問題とされるべき部分があるかなどといったことまでよく分かります。
 『神学・政治論』とありますが,大部分は神学論と思って間違いありません。全部で20章あるのですが,17章までは神学関連。18章は国家Imperiumについて語られていますが,ヘブライ国家の解説に終始していますので,ここにも神学の匂いが残ります。純粋な政治論は,19章と20章だけといえるでしょう。
 スピノザがどれほど丹念に旧約聖書と新約聖書を研究していたかは,この本を読めば一発で分かります。逆にいえば,スピノザの深い研究に裏打ちされた著書であったから,僕には内容を詳しく検討することができません。僕にはその方面の知識は,スピノザに比較していえば,皆無といっていいからです。
 哲学する自由libertas philosophandiということばは,この著書の最初の部分に出てきます。哲学する自由が認められても,宗教的道徳や国家の安全は損なわれないし,むしろその自由を踏みにじれば,道徳も平和paxも損なわれるとスピノザは考えています。これは現代の法的概念でいえば,思想の自由や良心の自由に該当しますが,その原理的説明は一般的に自由論として語られることとはおおよそかけ離れています。これについてはいずれ別エントリーで僕の考え方を示すことにしましょう。

 実体substantiaの観念ideaが知性intellectusのうちにあるとき,同じ知性のうちに神Deusの観念が必然的にnecessarioあるということ,他面からいえば,神の観念なしに実体の観念は知性のうちに実在し得ないということは,スピノザの形而上学でもライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの形而上学でも,無理をした感はありますが,一致させられると僕は考えます。ところが,スピノザの形而上学でそのように規定する場合と,ライプニッツの形而上学でそのように規定される場合とでは,規定されている実体が,同一の形而上学的概念であるということができないと僕は考えます。そしてこの相違が,限界点を超えていると僕が考える相違です。いい換えればこの点において,僕はライプニッツの形而上学をスピノザの形而上学に置き換えることは不可能であると考えます。
 実体がそれ自身のうちにあるesse in seものであるという点では,スピノザもライプニッツも一致します。スピノザについては第一部定義三がその証明ですし,モナドMonadeはそれ自身によって考えられないけれどもそれ自身のうちにあるというライプニッツの規定があったということは,現在の考察の前提条件のひとつになっているからです。
 一般にAがそれ自身のうちにあり,Bもそれ自身のうちにあるならば,AとBの区別distinguereは実在的区別でなければならないと僕は理解します。スピノザがそれに従っていることの説明はもう不要でしょう。一方,ライプニッツの疑問から考えて,ライプニッツがあるモナドとほかのモナドとは,実在的に区別されると考えていたことも間違いないと思われます。
 僕が両者が規定する実体の形而上学的概念が異なるというのは,この実在的区別のあり方と関連します。スピノザは,Aがそれ自身のうちにあり,Bもそれ自身のうちにあるのなら,AとBの間には共通点はないと考えたのでした。というか,スピノザの哲学においては,この意味においてのみ,共通点という語句がある特別な意味をもっているのだという方が正確かもしれません。ところが,ライプニッツはおそらくこのことを認めないのです。つまり実在的区別が,スピノザの哲学でいう意味においての,共通点をもたないものの間での区別であるということを認めないのです。

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