スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ドストエフスキー&第二部定理三八

2007-02-14 20:33:18 | 歌・小説
 ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheの哲学をよく効く薬に喩えたとき、ニーチェは他者を批判するときに辛辣な文章表現をするという意味のことを書きました。これはマルクスKarl Heinrich Marxを読んでいても僕が感じることで、もしかするとドイツ語に特有の要素なのかもしれません。それはともかくとして、そんなニーチェですが、例外的に何人かについては、ほとんど手放しといってもいいほどに評価しています。そのうちのひとりがドストエフスキー。
              
 僕は中学の終りか高校時代から本格的に読書をするようになりました。そしてその当初は、ほとんど小説ばかりを読み漁りました。ドストエフスキーでいえば、『白痴』と『貧しき人びと』はその頃に読んでいます。ほかにトルストイなどのロシア小説も読みましたが、ロシア小説というのは、比較的に長い上に、登場人物が多く、さらにその名前も日本人には馴染みの薄いものばかりで、さらに登場人物たちが互いに互いをニックネームで呼び合うという調子で、読んでいる途中でだれがだれだか分からなくなってしまうのです。けっしてつまらないとは思いませんでしたが、僕には荷が重過ぎると感じていました。
 その後、学生時代のある時期から、僕は読書といえば学術書のようなものばかりを読むようになり、小説にはほとんど手を出さなくなりました。そうした中でスピノザを読み、またニーチェを読むようにもなったのですが、ほとんど他人を褒めることをしないニーチェがこれだけ評価するのだからと、またドストエフスキーを読んでみることにしました。現在でも僕は、小説はふたりの作者を除くとまったく読みませんが、ドストエフスキーはその例外的なふたりのうちのひとりとなっています。

 明日は女流名人戦五番勝負第二局。中井女流六段としては1勝を返しておきたい一局です。

 王将戦七番勝負第五局は初日。こちらは個人的にはもう後のない佐藤棋聖の一踏ん張りに期待です。

 奈良記念も始まります。静岡の渡辺晴智選手は地元ではなくこちらに出場。2着続きに終止符を打てるでしょうか。

 人間精神mens humanaのうちにある共通概念notiones communesが十全な観念idea adaequataであるということを示すために、第二部定理三八を取り上げることにします。
 「すべての物に共通であり、そして等しく部分の中にも全体の中にも在るものは、(Illa, quae omnibus communia, quaeque aeque in parte, ac in toto sunt)妥当にしか考えられることができない」。
 妥当にしか考えられないというのは、十全に概念されるという意味ですから、この定理Propositioが、共通概念が十全な観念であるということを示しているということは間違いなく、また、意味の上では問題となるところはほかにはないと思います。
 なお、ここでは、議論の展開上で、少なくともひとつの共通概念が僕たちの精神のうちに実在するということを確証するという必要に迫られ、たったひとつで十分であるという理由によって、最も簡単だと思われる第二部自然学①補助定理二を援用しました。これは共通概念の一般性でいえば、これ以上は一般性の高い共通概念はないという種類の共通概念で、そのために、一般性の高い共通概念の十全性を示すという観点からこの第二部定理三八に訴えています。しかし、一般性が低い場合でも共通概念が十全な観念であるということには違いはありません。これは次の第二部定理三九でスピノザが触れています。僕はそちらについては取り上げませんが、それについても、人間のうちにある精神を神Deusのうちにある観念に関係づけるという方法で、この第二部定理三八と同様に証明することができます。

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