スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑥-9&第一部定理一一第三の証明

2014-02-07 19:23:55 | ポカと妙手etc
 ⑥-8の第2図で飛車を成られてはいけませんが,☖5四歩ですと☗同飛と取ってしまい,☖同金に☗2二銀と打てば後手玉は詰みで先手の勝ち。これを避けて☖4四歩で角道を止めれば☗5一飛成と王手し,合駒を使わせてやはり先手の勝ち。☖5三歩と受ければ☗6五飛で桂馬を取られて後手に勝ち目がありません。しかし,☖8七歩☗同玉☖8六金☗7八玉と押さえてから☖5四歩と受ける手がありました。
                         
 第1図でも☗6五飛がありそうですが,これは☖8七銀☗7九玉としてから☖5五桂と打つ手が詰めろ逃れの詰めろで後手の勝ち。ということで先手は☗同飛と取りました。これには☖8七銀☗7九玉と決めてから☖5四金。先手は☗2二銀しかなく,☖3二王☗3一飛☖4三王と進みました。
                         
 第2図で6三の駒が成銀なら後手玉は簡単な詰み。しかし銀であるため5三に退路ができていて,☗3三桂成でも☗5四銀成でも詰みません。8の第1図の☗6三銀不成が敗着で,☗6三銀成なら先手が勝っていたという,本当にきわどい一局でした。

 第一部定理一一にスピノザが与えている第三の証明,そして最後の証明Demonstratioも検証します。
 この証明はスピノザの哲学における本性と実在性の関係について,僕が定式化している事柄を前提条件としています。それによれば,実在性realitasというのは力potentiaという観点から把握される限りにおいて,本性essentiaそのもののことです。したがって,その本性が含む範囲が大きいものほど高い実在性を有するということが,そこから帰結します。
 第一部定義六によれば,神Deumは無限に多くの属性から成立する実体substantiam constantem infinitis attributisです。第一部定義四によれば,属性attributumとは実体substantiaの本性を構成するessentiam constituens要素です。したがって,ある実体が無限に多くの属性によって成立するとすれば,それ以上に広い範囲の本性を含むような実体は存在し得ません。いい換えれば神は最も広範な本性を有する実体であるということになります。ということは,前提条件により,神は実在性においても最も高い存在であるということになります。第二部定義六のいい方に倣うなら,神は最高に完全summe perfectumな存在であるということになるでしょう。
 このことを知性intellectusが明瞭に概念したとします。するとその知性は,もしも神が実在しないと仮定したら,自動的に何も実在しないということを帰結させます。なぜなら,最高の実在性を有するようなものが存在せず,完全性においてそれに劣るような何かは存在するということは,それ自体のうちに矛盾を孕むことになるからです。よって第一部定義六が十全に概念された場合は,何も実在しないか,そうでなければ神は実在するかのどちらかでなければならないことがすでに論理的に帰結しているのです。しかし何も実在しないということは,すでにこのことのうちに虚偽falsitasであるということが意味されています。知性が神の観念ideaを認識するcognoscereということのうちに,その知性が実在するということが含意されているからです。よって何も実在しないということは不条理です。したがって神は実在するということになります。
 なお,これは単に神の観念idea Deiが実在するという意味ではありません。無限に多くの属性ということのうちに,知性の外部の形相的な属性も含まれているからです。

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