スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日本への言及&使用上の注意

2013-08-01 18:53:21 | 哲学
 コンデ公の側近であったカルヴィニストの中佐は,スピノザと日本を並列的に扱うことで,オランダの宗教的危機,正しくはキリスト教的危機というべきでしょうが,それを演出するプロパガンダを発行しました。これは他人によってスピノザが日本と関係づけられた例ですが,実はスピノザ自身が,当時の日本については言及しているのです。
 それは『神学・政治論』の第五章。『神学・政治論』はスピノザが存命中に出版された唯一の論文で,発刊は1670年。売れ行きは好調で,すぐに第4刷まで出たのですが,紆余曲折あり,1674年に禁書となりました。フランスのオランダ侵攻は1672年のことでしたから,中佐はスピノザの論文の内容を知っていて,このプロパガンダを出したという可能性は大いにあり得ます。
 なお,このブログは原則的にスピノザの哲学に特化したものですから,『神学・政治論』とか『国家論』などの書評はおそらく掲載しないと思います。関心がある場合にはご自身でお読みになってください。また,この日本への言及については,ごくわずかではありますが,『人と思想 スピノザ』で触れられています。
                         
 スピノザがここで語っている文脈は,経済的自由というものは,宗教的制約よりも優先されなければならないということです。その主張の中で,日本が採りあげられ,日本に住むオランダ人キリスト教徒は,祭礼などの儀式を行うこともできないし,外見もキリスト教徒らしく振舞うことすら許されていないけれども,だからといってかれらが不幸であるのかといえば,そんなことはないと主張されています。
 スピノザにとっては形而上学としての哲学よりは,実践としての哲学が重要でした。その実践のうちとくに重要であったもののひとつが,思想や信条などの自由を確保することでした。ただ,スピノザが自由を希求する思想の背景として,経済的自由というのは,意外と重みがあったのではないかと僕は考えています。

 では,どのような文脈においてスピノザ主義者は積極的ということばを用いるべきなのでしょうか。それはもちろん,第一部定理二六証明において,スピノザが積極的ということを,神の決定に関連付けていることから推し量られなければなりません。しかし,この場合に重視しておかなければならないことは,その決定の内実というのがどのようなものであるのかという点のうちには存しないのだと僕は考えます。なぜならば,それは神の本性の必然性というのを意味するからです。しかしここで考えているのは,神の本性の必然性とは直接的には関連しないような場面において,積極的ということばがどのように用いられるなら妥当であるのかということなのです。したがって,神の決定というのがどのような要素によって構成されているのかを考えるだけでは,この問いに対して正しい解答を得ることはできないと思います。
 僕が思うに,この観点から重視しなければならない点があるのだとしたら,福居純の証明から帰結させた,決定と限定とは対義語的関係を構成するということのうちにあるのです。というのも,スピノザはある物が作用に決定されるといわれるならば,それは積極的なもののためでなければならないと主張しています。これは第一部定理二六証明への疑問のうち,最初の疑問を構成するものでした。そして,決定と限定とが対義語的関係にあると理解することは,この疑問を解明するためのひとつの要素を構成する,あるいは少なくとも構成し得ると考えられるからです。実際にスピノザがそれを意識していたのかどうかは不明ですが,スピノザの主張のうちにそのような要素が含まれていることは間違いないであろうということは,今回の考察において得ることができた結論のひとつでした。
 そうであるならば,少なくとも限定は決定に反するのですから,何らかの限定について語られるような文脈においては,積極的ということばを用いることは禁じられなければなりません。むしろ積極的と消極的が対義語的関係を構成する,この場合には単純に対義語であるといっていいかもしれませんが,そこに目を向けるなら,むしろこの文脈では,消極的ということばが使用されるべきでしょう。

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