愛知県蒲郡市で開幕した第54期王位戦七番勝負第一局。対戦成績は羽生善治王位が5勝,行方尚史八段が2勝。
振駒で先手は羽生王位。行方八段は後手では追随をすることが多く,角換り相腰掛銀に。先後同型の直前に先手が4筋に飛車を回るよくある将棋。そこから例の如く手待ちの応酬となり,いよいよ戦いに。前例があったようですが,ほぼ一直線といえるような攻め合いになり,これは先手に分があったよう。後手が凌げるか,先手が攻めきれるかという展開になりました。
ここで△1一角と受けていますが,並べていて最も驚嘆した手。ただ,この局面では受けとしては最善だったようです。先手は▲3三金と銀を取り,△同桂に▲2五銀と取った銀を被せていきました。△2三金打▲2四銀△同金と金銀を入れ替えて▲5五角。これが決め手でした。
これが詰めろでした。後手は△5六銀と外しましたが,▲3三角成で受けなし。後手の投了となっています。先手としては有力に見える手段が多そうで,間違いやすい局面であったようにも思うのですが,手順の妙が見事だったというほかありません。
羽生王位が先勝。第二局は23日と24日です。
第一部定理二六証明への疑問のうち,第一の疑問と第二の疑問が解決されましたので,ここからは最後の第三の疑問について考えていくことにします。この場合にも,第一部定理二六で決定といわれているとき,それが限定あるいは否定であると考えることは不可能であるということが解決の重要な鍵になるのですが,それだけでは十分ではありません。
福居純の証明を紹介したときには触れなかったのですが,実は福居による証明にはもう一点,とくにこの第三の疑問の解決のためには重要になる要素がひとつ含まれているのです。ここでその福居の考え方を,また僕自身の手によって再構成することにします。
福居によれば,そもそも第一部定理二六においてスピノザが決定ということばを用いるとき,それは限定ないしは否定を含まないということが含意されているのです。つまり福居の考え方によれば,一般に原因と結果との間にある関係は,たとえばAが原因であってBが結果であると仮定するならば,AがBを決定するといわれるべき関係と,AがBを限定するといわれるべき関係のふたつがあるのです。つまり僕自身の用語でいうならば,この場合は決定と限定は対義語的関係を構成しているということになるのです。
この主張自体の妥当性を問うことはここではしません。ただし,第一部定理二六でいわれている決定というものが,限定ではあり得ないということは明らかになっていますから,仮に限定といわれ得るような因果関係があるのだとしても,それは第一部定理二六で示される因果関係に含まれることはないということは確実であると考える必要がすでに生じています。したがって,仮定ではありますがそれ以外の因果関係があるというならば,それは限定するといわれるような因果関係でなければならないということは,確かにここから帰結してきます。よってこの限りにおいて,決定と限定は対義語的関係を構成するのだと考えることは,少なくともその結果として,何らかの虚偽ないしは誤謬を結論として生じさせることがないであろうことは,第二部定理四〇から明らかでしょう。そこで,確かに決定と限定は対義語的関係に該当するとしておきます。
振駒で先手は羽生王位。行方八段は後手では追随をすることが多く,角換り相腰掛銀に。先後同型の直前に先手が4筋に飛車を回るよくある将棋。そこから例の如く手待ちの応酬となり,いよいよ戦いに。前例があったようですが,ほぼ一直線といえるような攻め合いになり,これは先手に分があったよう。後手が凌げるか,先手が攻めきれるかという展開になりました。
ここで△1一角と受けていますが,並べていて最も驚嘆した手。ただ,この局面では受けとしては最善だったようです。先手は▲3三金と銀を取り,△同桂に▲2五銀と取った銀を被せていきました。△2三金打▲2四銀△同金と金銀を入れ替えて▲5五角。これが決め手でした。
これが詰めろでした。後手は△5六銀と外しましたが,▲3三角成で受けなし。後手の投了となっています。先手としては有力に見える手段が多そうで,間違いやすい局面であったようにも思うのですが,手順の妙が見事だったというほかありません。
羽生王位が先勝。第二局は23日と24日です。
第一部定理二六証明への疑問のうち,第一の疑問と第二の疑問が解決されましたので,ここからは最後の第三の疑問について考えていくことにします。この場合にも,第一部定理二六で決定といわれているとき,それが限定あるいは否定であると考えることは不可能であるということが解決の重要な鍵になるのですが,それだけでは十分ではありません。
福居純の証明を紹介したときには触れなかったのですが,実は福居による証明にはもう一点,とくにこの第三の疑問の解決のためには重要になる要素がひとつ含まれているのです。ここでその福居の考え方を,また僕自身の手によって再構成することにします。
福居によれば,そもそも第一部定理二六においてスピノザが決定ということばを用いるとき,それは限定ないしは否定を含まないということが含意されているのです。つまり福居の考え方によれば,一般に原因と結果との間にある関係は,たとえばAが原因であってBが結果であると仮定するならば,AがBを決定するといわれるべき関係と,AがBを限定するといわれるべき関係のふたつがあるのです。つまり僕自身の用語でいうならば,この場合は決定と限定は対義語的関係を構成しているということになるのです。
この主張自体の妥当性を問うことはここではしません。ただし,第一部定理二六でいわれている決定というものが,限定ではあり得ないということは明らかになっていますから,仮に限定といわれ得るような因果関係があるのだとしても,それは第一部定理二六で示される因果関係に含まれることはないということは確実であると考える必要がすでに生じています。したがって,仮定ではありますがそれ以外の因果関係があるというならば,それは限定するといわれるような因果関係でなければならないということは,確かにここから帰結してきます。よってこの限りにおいて,決定と限定は対義語的関係を構成するのだと考えることは,少なくともその結果として,何らかの虚偽ないしは誤謬を結論として生じさせることがないであろうことは,第二部定理四〇から明らかでしょう。そこで,確かに決定と限定は対義語的関係に該当するとしておきます。