第71回朝日杯フューチュリティステークス。
ロケットダッシュで飛び出したのがビアンフェ。すぐに2馬身ほどのリードを奪いました。2番手はペールエール,トリプルエース,サリオス,メイショウチタンの4頭の集団。さらにウイングレイテストとエグレムニの2頭が続いてこの6頭は一団。2馬身差でラウダシオン。ジュンライトボルト,マイネルグリット,プリンスリターンの3頭。レッドベルジュールとタイセイビジョンの2頭で続きこの6頭は一団。2馬身差でタガノビューティー。3馬身差でグランレイ。2馬身差でカリニートと残る3頭はばらばら。前半の800mは45秒4の超ハイペース。
ビアンフェが先頭で直線に。メイショウチタンの外に出てきたサリオスがすぐに先頭に。サリオスはそこから抜け出す形となって快勝。勝ち馬を追ってきたタイセイビジョンが,最後は突き放されたものの2馬身半差で2着。後方から大外を追い込んできたグランレイが1馬身4分の1差で3着。
優勝したサリオスは6月に新馬を勝って一息入れ,10月のサウジアラビアロイヤルカップを制覇。3連勝で大レース初制覇。このレースは新馬,重賞と連勝していた馬が2頭いて,その争いとなるかと思っていましたが,もう1頭のレッドベルジュールが凡走となったため,差をつけて勝つことになりました。1600mで3連勝していますが,距離の延長を大きく苦にするということはないように思います。父はハーツクライ。7代母がアグサンの祖母にあたる同一牝系です。Saliosはローマ神話の登場人物名。
騎乗したイギリスのライアン・ムーア騎手は一昨年のチャンピオンズカップ以来の日本馬に騎乗しての大レース10勝目。日本の大レースは8勝目。朝日杯フューチュリティステークスは第65回以来となる6年ぶりの2勝目。管理している堀宣行調教師は一昨年の宝塚記念以来の大レース18勝目。朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。
人間の精神mens humanaが最も誠実なものを認識したなら,それが神Deusの認識cognitioであるとすれば,知性intellectusを離れて存在する神は最も誠実なものであることになります。第一部公理六でいわれていることはどのような哲学であっても成立しなければならないと僕は考えますし,それに異論は出ないものと思います。繰り返しますが,実際にそのようなものが知性の外に存在するのか否かということはここでは問いません。最も誠実なもの,いい換えれば人間を絶対に欺かないものが神として認識されて,かつそれを認識した人間がそのことを疑い得ないということ,つまりそれについて確実であることができるということに注目してください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/d3/bc6939ce04c4e65772ba3d7528930ff5.jpg)
緒論においてはこのことが成立しています。すると,人間を欺くものがあるとすれば,それは神以外の何かでなければなりません。よってもし人間の本性natura humanaの創造者なるものが人間を欺くということがあるとすれば,それは神以外の何かでなければならないことになります。要するに人間の本性の創造者と神を同一視することはできないことになります。
ただしこれは論理の上でそのようになるというだけで,実際にそのように解することが可能であるかどうか,他面からいえばそのようなものとして人間の本性の創造者が存在し得るかどうかは別のことです。そこでそのようなものとして人間の本性の創造者が存在し得るのかということを検討していきます。
まず,人間が神を認識したら,神が最も誠実であるということについては疑い得ません。いい換えれば,神が人間を欺かないということについては確実性certitudoを有することになります。このとき,人間の本性の創造者が人間を欺くがゆえに,この確実性について人間は欺かれているということが成立するのかしないのかということが最も重要な観点になります。というのは,スピノザが想定している反論というのは,人間の本性の創造者が人間を欺くか欺かないかを知らないうちは,人間は何事についても確実であることはできないというようになっているからです。
ところが前提条件から明らかなように,これは成立し得ません。これはここで神をどのように定義づけたのかということから明白でしょう。
ロケットダッシュで飛び出したのがビアンフェ。すぐに2馬身ほどのリードを奪いました。2番手はペールエール,トリプルエース,サリオス,メイショウチタンの4頭の集団。さらにウイングレイテストとエグレムニの2頭が続いてこの6頭は一団。2馬身差でラウダシオン。ジュンライトボルト,マイネルグリット,プリンスリターンの3頭。レッドベルジュールとタイセイビジョンの2頭で続きこの6頭は一団。2馬身差でタガノビューティー。3馬身差でグランレイ。2馬身差でカリニートと残る3頭はばらばら。前半の800mは45秒4の超ハイペース。
ビアンフェが先頭で直線に。メイショウチタンの外に出てきたサリオスがすぐに先頭に。サリオスはそこから抜け出す形となって快勝。勝ち馬を追ってきたタイセイビジョンが,最後は突き放されたものの2馬身半差で2着。後方から大外を追い込んできたグランレイが1馬身4分の1差で3着。
優勝したサリオスは6月に新馬を勝って一息入れ,10月のサウジアラビアロイヤルカップを制覇。3連勝で大レース初制覇。このレースは新馬,重賞と連勝していた馬が2頭いて,その争いとなるかと思っていましたが,もう1頭のレッドベルジュールが凡走となったため,差をつけて勝つことになりました。1600mで3連勝していますが,距離の延長を大きく苦にするということはないように思います。父はハーツクライ。7代母がアグサンの祖母にあたる同一牝系です。Saliosはローマ神話の登場人物名。
騎乗したイギリスのライアン・ムーア騎手は一昨年のチャンピオンズカップ以来の日本馬に騎乗しての大レース10勝目。日本の大レースは8勝目。朝日杯フューチュリティステークスは第65回以来となる6年ぶりの2勝目。管理している堀宣行調教師は一昨年の宝塚記念以来の大レース18勝目。朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。
人間の精神mens humanaが最も誠実なものを認識したなら,それが神Deusの認識cognitioであるとすれば,知性intellectusを離れて存在する神は最も誠実なものであることになります。第一部公理六でいわれていることはどのような哲学であっても成立しなければならないと僕は考えますし,それに異論は出ないものと思います。繰り返しますが,実際にそのようなものが知性の外に存在するのか否かということはここでは問いません。最も誠実なもの,いい換えれば人間を絶対に欺かないものが神として認識されて,かつそれを認識した人間がそのことを疑い得ないということ,つまりそれについて確実であることができるということに注目してください。
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緒論においてはこのことが成立しています。すると,人間を欺くものがあるとすれば,それは神以外の何かでなければなりません。よってもし人間の本性natura humanaの創造者なるものが人間を欺くということがあるとすれば,それは神以外の何かでなければならないことになります。要するに人間の本性の創造者と神を同一視することはできないことになります。
ただしこれは論理の上でそのようになるというだけで,実際にそのように解することが可能であるかどうか,他面からいえばそのようなものとして人間の本性の創造者が存在し得るかどうかは別のことです。そこでそのようなものとして人間の本性の創造者が存在し得るのかということを検討していきます。
まず,人間が神を認識したら,神が最も誠実であるということについては疑い得ません。いい換えれば,神が人間を欺かないということについては確実性certitudoを有することになります。このとき,人間の本性の創造者が人間を欺くがゆえに,この確実性について人間は欺かれているということが成立するのかしないのかということが最も重要な観点になります。というのは,スピノザが想定している反論というのは,人間の本性の創造者が人間を欺くか欺かないかを知らないうちは,人間は何事についても確実であることはできないというようになっているからです。
ところが前提条件から明らかなように,これは成立し得ません。これはここで神をどのように定義づけたのかということから明白でしょう。