スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

漱石とノット&推測

2014-06-22 18:53:17 | 歌・小説
 留学に向う船に偶然に同乗し,漱石の聖書を渡すことになったノット夫人。漱石とノット夫人の関係は,イギリス到着後も継続しました。
 船がナポリに到着したのは1900年10月17日。そこから陸路でフランスを経由し,再び船でイギリスに渡った漱石がロンドンに着いたのは28日のこと。この近辺の日記はとても事務的なものが多くなっていますが,20日に公使館に行ったらノットからの書状と電信が届いていたという記述があります。さらに11月8日にも同様の記載がありますが,こちらは当時の漱石の自宅に届いたと受け取れる内容。つまり漱石はすでに住所をノットに知らせてあったといえます。
                         
 1901年になると日記の内容に,漱石自身の考えなども書かれ始めます。2月23日にノット宛ての手紙を出したこと,4月10日にはノットとその夫も含めた数人でお茶を飲みつつ四方山話をしたことが書かれています。
 また6月11日にもノットから手紙が来たと書かれていますが,これは熊本に宣教師として滞在していた,ノット夫人の娘からのものと思われます。記述がMrs.ではなくMissになっているからです。翌日に手紙を出したとあり,これはMrs.ともMissともありませんが,日本の娘に出したと理解するのが妥当だと思います。
                         
 時間を戻し1900年12月26日に,漱石は妻に宛てて手紙を書いています。この手紙の中盤部分に,ノット夫人と書状の往復をしていると書かれています。ですから日記に書かれている以上に,手紙のやり取りはあったのかもしれません。またそこには,宣教師の娘にもよろしくと伝言してくれとあります。これは夫人に直接的に頼んでいる内容ではないので,その後の動きは分かりません。ただ,翌年になってその人から手紙が届いたということは,漱石の伝言が何らかの形で伝わったからかもしれません。
 総じて漱石とノットの関係は,漱石からみる限り良好なものであったことが分かります。おそらくこれは,ノット夫人が聖書を渡したりしても,強く布教してはこなかったからだろうと思います。

 第一部定理二五系第一部定義六を合わせて理解すれば,個物res particularisが一定の仕方で自己の類において無限である属性の無限性を表現するということになります。そしてこのことのうちに個物res singularisが同じ無限性を一定の仕方で表現するということが含まれていることになります。なのでこれ以降はすべてres singularisだけに注目していくことにします。そして考えなければならないのは,一定の仕方で表現される無限性とは何かということです。
 絶対的と一定というのは,対義語的関係を構成するというのが僕の考え方です。ですから一定の仕方で表現するというのは,何を表現する場合においても,絶対的な仕方で表現しているのではないと理解されなければなりません。もっとも『エチカ』には,あるものが何かを絶対的な仕方で何事かを表現するという記述は見当たりません。ですからそれに近似した記述から考えていく必要があります。
 第一部定理二一は,直接無限様態が無限に存在しなければならないことの根拠として,神のある属性の絶対的本性というのを示しています。いい換えればそれが直接無限様態の無限性の由来とされています。するとこのようにして生起する直接無限様態は,絶対的な仕方で属性を表現するといえるのではないかという推測が成立するでしょう。第一部定理二五系は,res singularisによる属性の表現に言及しているわけですが,様態が属性を表現するという点だけに注目するなら,それは様態が有限であろうと無限であろうと,同様でなければならないと思われるからです。
 一方,属性の絶対的本性という記述がなされているなら,おかしないい方かもしれませんが,属性の一定的本性といい得るような本性が存在するのではないかという推測も成立するでしょう。第一部定理一六第二部定理六から,ある属性からはその属性に属する無限に多くのものが生起しますが,属性の絶対的本性だけが原因となるなら,無限様態だけが生じると考えられ,res singularisは生じ得ないと考えられるからです。
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