スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊スポーツ賞北海道スプリントカップ&不適切な区別

2014-06-12 20:32:40 | 地方競馬
 傑出した馬が不在と思えるメンバーでの対戦になった第18回北海道スプリントカップ。ズンダモチが出走取消になり14頭。
 先手を奪ったのはグランヴァン。サイモンロードが2番手で3番手はアウヤンテプイ。好位は内からセイクリムズン,リバーキンタロー,アドマイヤサガスの3頭。セレスハント,アルゴリズムと続きました。前半の600mは33秒8で超ハイペースといえるでしょう。
 グランヴァンは4コーナーで一杯。サイモンロード,アウヤンテプイが前に出て,セレスハントが外からこれを追う形。後方3番手から捲るように進出したスノードラゴンが大外からこれらを捕え,一旦は前に出たものの,そこで脚が鈍り,その内から伸びたアドマイヤサガスが差し返すような形で優勝。スノードラゴンが1馬身差で2着。セレスハントがクビ差で3着。
 優勝したアドマイヤサガスは重賞初勝利。オープンでは2勝していましたが,今年に入ってからいまひとつの成績。ここは3月以来のレースで,休養中に立て直しに成功したということだと思います。それなら今後も好走は続けられると思いますが,連戦連勝できるだけの力があるようには思えず,今日くらいのメンバーで,勝ったり負けたりということになるのではないでしょうか。父はフジキセキ。Sagaceは1984年の凱旋門賞など,GⅠを3勝したフランスの名馬。
                         
 騎乗した川田将雅騎手,管理している橋田満調教師は北海道スプリントカップ初勝利。

 第五部定理二九備考のテクストの前提には第五部定理二三備考のテクストがあります。すると永遠の相と持続の相を数的に区別するということは,本質的に不適切であると僕は考えます。
 「二重因果性の問題」で記号化されている因果性Zは,実在的にいえば,神が神自身を生起するcausa efficiens,作出原因と起成原因を区分化した場合の作出原因です。これが永遠の相の因果性であるということは松田自身が認めています。
 第一部定理一五は,何ものも神なしに概念することができないことを示しています。つまり個物res singularisも,神なしには概念することができません。したがってres singularisの観念は,永遠の相の下に把握されなければならないことになります。なおかつ,res singularisを持続の相の下に認識するのは,持続の相の下にある思惟の様態だけです。つまり神がres singularisを認識するという点に目を向ければ,神が持続の相の下にあるということは不可能ですから,永遠の相の下に認識するということになります。
 第二部定理一一系は,人間の精神にのみ言及されていますが,あらゆる思惟のres singularisに妥当します。いい換えれば,思惟のres singularisはどれも神の無限知性の一部です。よってどんな思惟のres singularisが認識作用を行うとしても,それは神と関連付けられます。そしてそれが神と関連付けられたならば,永遠の相の下に認識されているといわれなければなりません。
 第二部定理七系の意味は,神のうちにある観念はすべて真理であるということを意味します。永遠性は真理とのみ関係し,虚偽は持続性のうちにのみ発生します。同時に,真理はすべて永遠なるものです。これを否定するなら真理が虚偽になるということを肯定しなければなりませんが,それは不条理です。とりわけスピノザの哲学では,真理と虚偽の関係は,有と無の関係を構成します。つまり真理が虚偽になるとは,有が無になるという主張と同じ意味なので,さらに不条理性が強まることになるでしょう。
コメント
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