スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

JRA60周年記念宝塚記念&実体自身

2014-06-29 18:32:13 | 中央競馬
 上半期を締め括る第55回宝塚記念
 逃げたのはヴィルシーナ。珍しく行きたがったフェイムゲームが何とか抑えながらの2番手。少し離れた3番手にカレンミロティック。その後ろにジェンティルドンナと,ダッシュは悪かったものの正面で外を追い上げたゴールドシップの2頭。最初の1000mは62秒4でこれは超スローペース。
 残り1200mからラップが上がり始めたので,後方から外を回って追い上げようとした馬たちは,先行馬より先に苦しくなることに。前の2頭もそれなりの粘りをみせましたが,馬場の中央からゴールドシップが突き抜けて3馬身差の楽勝。内から3頭目のカレンミロティックが2着。逃げ粘ったヴィルシーナが1馬身4分の1の差で3着。
 優勝したゴールドシップは3月の阪神大賞典以来の勝利。大レースは昨年の宝塚記念以来の5勝目。宝塚記念の連覇は史上初。自己主張が強い馬で,阪神と中山では頑張るけれども京都と東京は嫌い。今日は得意コースで能力を十全に発揮しました。着差が開いたのはライバルと目された馬たちが力を出せなかったためでしょう。普通に使っていけば,秋の天皇賞とジャパンカップは苦戦し,有馬記念で好走ということになると思われます。父はステイゴールド。母の父は第34回の覇者であるメジロマックイーン星旗風玲の分枝。
 騎乗した横山典弘騎手は日本ダービーに続いての大レース制覇。第32回をメジロライアンで制して以来,23年ぶりの宝塚記念2勝目。管理している須貝尚介調教師は安田記念に続いての大レース制覇。宝塚記念は連覇で2勝目。

 第一部定理二九備考が,第一部定理八備考二と関連性を有するということは疑い得ません。しかし後者のテクストの特徴は,単にこのことだけにとどまるものではないと僕は考えています。もしも能産的自然所産的自然の区分だけに注目するなら,実体と様態ないしは様態的変状を区別しないと記述すれば十分です。ところがスピノザによる記述はそうなってはいません。スピノザは実体とはいわずに実体自身といっています。そして様態的変状とはいわずに,実体の様態的変状といっています。僕はここの部分に,このテクストの特有の意味があるのではないかと思うのです。
 とりわけ,単に実体というのではなく,実体自身と,わざわざ自身という語句を付け加えてある点に注目してみましょう。もしもあるものXが実体と区別されていないといわれるのであれば,このXは実体ではないあるものです。しかしXが実体自身と区別されないといわれるのなら,このXは必ずしも実体ではないといいきることはできません。実体自身とほかのものの区別というのは,それを区別する知性のうちに客観的に存在するものと考える限り,それ自身としてみられる限りでの実体と,それ自身としてはみられない限りでの実体の区別であるという可能性が残るからです。そして実際にスピノザがこのテクストで意味したかったのは,そのことであったと僕は考えています。すなわちテクストの語句に忠実に表現すれば,人びとが区別していないもの,しかし本当は区別されなければならないのは,それ自身としての実体と様態的変状としての実体,あるいは様態的変状になったとみられる限りでの実体なのではないでしょうか。
 実体が様態的変状になるという解釈は,『エチカ』の中では成立し得ると僕は考えます。端的にいって,第一部定義五というのは,様態とは実体の変状であるといっています。いい換えればそれは,様態に変状した実体であるといっているのと同じことだと理解できるからです。そもそもスピノザの哲学が汎神論とみなされたのは,第一部定理一四第一部公理一の意味に依拠すると考えれます。つまりこの見方は,ごく一般的なものだといって差し支えないでしょう。
コメント
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