スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ミスチャネル&リハビリの効果

2011-12-17 18:46:21 | 血統
 タマモクロスの輸入基礎繁殖牝馬は1951年にオーストラリアで産まれたミスチャネル。馬は登録されれば登録された通りに表記され,したがってそのように読まれることになりますが,英名表記はMiss Channelです。敗戦後は馬の資源も枯渇傾向にあり,オセアニアからわりと多くの馬が競走馬としても繁殖牝馬としても輸入されていたのですが,この馬もその1頭。ファミリーナンバー21-aは,日本では多くの馬が繁殖として輸入されている血筋。
                         
 繁殖生活は日本のみ。最初に産んだのがクニハヤという馬で,この馬は1961年に春の中山大障害を勝ちました。この時代の障害競走は,少なくとも現在よりは活気があったと思われますが,これを大レースの勝ち馬といっていいかどうかは見解が分かれるところでしょう。
 その後は重賞の勝ち馬すら長らく出現しませんでした。そんな中から出てきたのが,タマモクロス。ミスチャネルはタマモクロスの4代母で,輸入されてから30年が経過していました。
 タマモクロスが最後の大レースとなる秋の天皇賞を勝ったのは1988年10月30日のこと。それから半月ばかりが経過した11月13日に,タマモクロスの半妹となるミヤマポピーが,当時は3歳牝馬限定だったエリザベス女王杯を勝ちました。このレースにはルイジアナピットも出走しています。ミヤマポピーは重賞勝利自体がこのレースのみでしたから,成績的にはタマモクロスとは対照的な一発屋的存在。ただしこれはその後は牡馬を相手にレースをしなければならなかった影響もあったでしょう。
 クニハヤを除けばこの一族からの重賞勝ち馬がこの2頭だけ。こういう牝系はどうしても淘汰されていきますから今後の発展は難しそうです。

 これで必要な書類の一式が揃いましたので,この日のうちに再び労働金庫に電話をしました。先方の話ですと,借金は金利があって日毎に膨らんでいきますから,なるべく早いうちに相続してしまった方がよいとのこと。しかしこの当日はもう時間的に無理でしたし,翌11月2日は僕は仕事がありました。さらに3日も僕は仕事でしたし,そもそもこの日は祝日ですからそうでなくても無理。4日にもふたつの予定が入っていたのですが,ひとつは午前中に終わらせ,もうひとつは逆に手続きを終えた後でも可能に思えましたので,時間をずらし,その日に行くことにして,その旨を伝えておきました。
 3日は祝日でしたから妹の作業所も休み。そこでが妹を連れて祖母が入院しているみなと赤十字病院へ見舞いにいきました。先述したように僕はこの日も仕事でしたので,帰ってから母に話を聞いたのですが,祖母が栄養を補給するために装着していた鼻から胃へと通すチューブが外されていたとのこと。要するにこれは,それを装着する必要がなくなったこと,すなわちリハビリの効果で祖母がものを飲み込む力を取り戻したということを意味していました。そして同時に,胃瘻を装着する必要もなくなったということです。
 ただ,飲み込むことができるようになったといっても,それはたとえば僕たちが普通に食事をするのと同じような意味で摂食することが可能になったという意味ではありません。そもそも祖母は,まだ有料老人ホームに入所する前,僕の家で一緒に暮らしていた頃から,あまり堅いものを食べるということはできませんでした。これは年齢的にいってもごく自然なことでしょう。よって柔らかいものを摂っていたわけですが,これはその後で特別養護老人ホームに入所してからも同様。ここでは食事には様ざまな段階の配慮というのが凝らされていまして,祖母は刻み食というのを与えられていたようです。僕は現物を見たことはありませんから正確なことは分かりませんが,その名称から察するに,おそらく調理したものを噛みやすいように細かく刻んだもののことでしょう。
 このときに祖母が飲み込めるようになったのは,段階でいえばそれより上の,さらにそれを柔らかくしたものだったようです。
コメント
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