スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

タマモクロス&小脳出血の原因

2011-12-10 19:39:26 | 名馬
 先月30日の勝島王冠を制したスマートインパルスのブルードメアサイアーであるタマモクロスは,僕の競馬キャリアの中では初期の頃に活躍した馬です。
 デビューは遅く3歳の3月。翌月の3戦目で初勝利を上げましたが,2勝目は遠く10月に入ってから。これを7馬身差で圧勝すると続くレースも8馬身差で連勝し,準オープンに昇級すると,暮れに芝2500mで行われていた鳴尾記念に挑戦。53キロのハンデでしたがここも6馬身の差をつけ,レコードタイムで圧勝。一気に本格化を印象付けました。
 4歳になり返す刀で芝2000mだった京都の金杯へ。今度は56キロということもあったか差はさほどつけられませんでしたが優勝。3月の阪神大賞典からいよいよトップクラスの路線に突入。これはかなり苦しいレースとなり,大接戦だったのですが同着で重賞3連勝を果たしました。続く天皇賞は当然ながら1番人気。ここは鮮やかに勝って大レース初制覇。さらに宝塚記念でも当時のトップマイラーでダイナアクトレスの好敵手であった1番人気のニッポーテイオーを寄せつけずに快勝。前年10月から7連勝で大レース2勝目。
 この頃は大レースの前には何らかの前哨戦を使うのが普通。しかし秋はいきなり天皇賞を復帰戦に選択。それまでは差しや追い込みの競馬が多かったのですが,先行して抜け出す競馬で1番人気を譲ったオグリキャップを抑え,大レース3勝目。ジャパンカップは1番人気に推されましたがアメリカのペイザバトラーに屈して2着。続く有馬記念を引退レースに選択。ここは初めてオグリキャップに屈し,2着でした。このレースで4位入線,3着になったのがサッカーボーイです。
 この年,JRA賞の年度代表馬。合わせて最優秀4歳以上牡馬,最優秀父内国産馬に選出されました。種牡馬となって大レースの勝ち馬は輩出できませんでしたが,10頭の重賞勝ち馬を送り出しましたので,この時代の父内国産馬としては大成功であったといっていいのではないかと思います。

 が伯母とふたりで祖母を見舞った翌日,10月20日は母の磯子中央病院の脳外科の診察の日。前回の通院のときに知らされていたように,この月は母の異変が生じて1年ということで,詳しい検査をすることになっていました。木曜は新たなる支援の妹の作業所からの迎えがない日でしたので,僕が送っていく必要がありました。ただ,この日は僕も本牧の方に仕事があり,作業所はその途中ですので,妹を送ってその足で現地に向いました。こういったケースでは現在も更新し続けているバスの定期券というのが大きな力を発揮することになります。
                         
 母の詳しい検査というのはCTの撮影のことです。実は母の小脳出血の原因に関しては,はっきりとしたことは不明なのですが,出血の形から考えると,先に腫瘍ができていて,そこから出血したという可能性が高いようです。そうなってくるとほかの部位に腫瘍ができるという可能性も普通よりは高くなっているわけですが,この日の検査ではそうした異常は発見されませんでした。これからも定期的にCTによる検査を行っていくとのことです。
 一方,この時期になりますと,気温の方も真夏と比べますと下がっています。前にいましたように,母の血圧は気温の影響を受けるらしく,この時期には夏場よりは高めの数値が出るようになっていたとのこと。それで降圧剤の停止という措置がどうなるのかと思っていたのですが,このときはその措置が継続されることになりました。つまり,処方されなかったということです。次回の診察は2ヶ月後,すなわち今月ということになりますが,これはまだこれからです。一段と気温も低下してきていて,それに伴って血圧の方も上昇傾向にあるようですので,もしかしたらそのときには再び血圧降下剤が処方されるということになるのかもしれません。それについてはまたそのときに記すことにします。
 ところで,前日に母が祖母の見舞いから帰った後,みなと赤十字病院から電話がありました。これは祖母の件で医師の方から話があるので病院に来てほしいという内容のもの。それがこの日で,午後2時から。磯子中央病院の診察は午前ですので出席には問題なし。伯母は都合で行かれませんでしたが,母とアパートの叔父で話を聞きにいきました。
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