関西所属のプロ,育成会員,アマチュアによるトーナメントで争われる女流の非公式戦のメイショウ戦。今年は1月20日に明石市で決勝が争われました。
決勝に進出したのは岩根忍女流初段と村田智穂女流初段。振駒で岩根初段の先手となり,三間飛車。村田初段は居飛車穴熊という戦型。第1図は組み上がったところですが,こうがっちりと組んでしまえば居飛車穴熊に不満はなく,後手の作戦勝ちといえそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/46/a7be1c100b6c1602216845a64eb78a1f.png)
ここから▲2六歩に△5五歩。2六に歩が浮いた時点で仕掛けたのも絶好のタイミング。先手は▲6五歩と反発し,△同銀に▲2五桂と角取りに跳ね出し,△4四角には▲4五歩と角筋を通しつつ角取り。△2六角に▲1四歩△同歩の突き捨てを入れてから▲5五歩と取り込み,銀挟みを受ける△6四飛に▲1三歩で第2図。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/58/02e30563f4bb49d8fa0270f9f116b7c7.png)
このあたり,いかにも先手が快調に攻めているようですが,この形は後手の角が2六で威張っているのも大きく,少し進んだ第3図で▲2九桂と受けなければならないようでは先手の攻めが成功したとはいい難く,後手が作戦勝ちから優勢になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6d/f8dcb6b2ef0f71d1715c09c91fabd89c.png)
ここから先手も粘りつつ角の睨みを効かせての反撃を試みましたが,第4図の△1三歩で玉頭に蓋をされて万事休す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5f/d59b99aec0ca1017a7cd19451be29b58.png)
以下,後手が先手玉を即詰みに仕留めて勝ちとなっています。後手の快勝という将棋で,先手としては第1図に組んでしまう前に問題があったのではないかと思います。
非公式戦ですが,村田初段はプロ入りしてから初優勝とのこと。これだけの将棋が指せるのですから,これが公式戦でも活躍する起爆剤となればいいと思います。
明日は奈良記念の決勝です。並びは飯野ー飯嶋ー諸橋の東日本で,牧ー前田の西日本がこの番手で競り。渡部ー香川ー友定の瀬戸内で,浜口は単独。渡部選手を中心に考えますが,調子のよさそうな香川選手にチャンスかも。
第四部定理五〇を理解するために最後に必要なことは,スピノザの哲学において悪とは何であるかということを理解することで,これは第四部定義二で定義されています。これによればスピノザの哲学における善悪が,個人個人の利益と不利益の認識に依存していることが理解できます。そしてこの利益と不利益は,第三部定理七を基準に判断されます。すなわち,ある人間にとって,自身の存在を維持するのに役立つことがその人間にとっての善であり,これを阻害することがその人間にとっての悪であるということになるわけです。よって,スピノザの哲学における善悪とは,一般的な,あるいは普遍的な概念ではなく,むしろ諸個人において差異があるような,個人の認識の問題であるということになります。
ところで,ある人間の存在の維持が促進されるということは,この人間の完全性がより小なる状態からより大なる状態へと移行するということを意味し,反対に,ある人間の存在の維持が阻害されるというのは,この人間の完全性がより大なる状態からより小なる状態へと移行するということを意味します。第三部諸感情の定義三によれば,この大なる状態から小なる状態への移行こそ悲しみなのですから,人間は自己に不利益が及ぶとき,悲しみを感じるということになります。よって,ある人間が悪を認識するとは,第四部定理八にあるように,その人間が自己の悲しみを意識するということにほかなりません。ただしこのとき,普通は人間はその悲しみ自体を悪と認識するのではなく,悲しみをもたらす存在についてそれを悪と認識します。この悪の対象の認識には注意が必要かもしれません。
決勝に進出したのは岩根忍女流初段と村田智穂女流初段。振駒で岩根初段の先手となり,三間飛車。村田初段は居飛車穴熊という戦型。第1図は組み上がったところですが,こうがっちりと組んでしまえば居飛車穴熊に不満はなく,後手の作戦勝ちといえそうです。
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ここから▲2六歩に△5五歩。2六に歩が浮いた時点で仕掛けたのも絶好のタイミング。先手は▲6五歩と反発し,△同銀に▲2五桂と角取りに跳ね出し,△4四角には▲4五歩と角筋を通しつつ角取り。△2六角に▲1四歩△同歩の突き捨てを入れてから▲5五歩と取り込み,銀挟みを受ける△6四飛に▲1三歩で第2図。
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このあたり,いかにも先手が快調に攻めているようですが,この形は後手の角が2六で威張っているのも大きく,少し進んだ第3図で▲2九桂と受けなければならないようでは先手の攻めが成功したとはいい難く,後手が作戦勝ちから優勢になりました。
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ここから先手も粘りつつ角の睨みを効かせての反撃を試みましたが,第4図の△1三歩で玉頭に蓋をされて万事休す。
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以下,後手が先手玉を即詰みに仕留めて勝ちとなっています。後手の快勝という将棋で,先手としては第1図に組んでしまう前に問題があったのではないかと思います。
非公式戦ですが,村田初段はプロ入りしてから初優勝とのこと。これだけの将棋が指せるのですから,これが公式戦でも活躍する起爆剤となればいいと思います。
明日は奈良記念の決勝です。並びは飯野ー飯嶋ー諸橋の東日本で,牧ー前田の西日本がこの番手で競り。渡部ー香川ー友定の瀬戸内で,浜口は単独。渡部選手を中心に考えますが,調子のよさそうな香川選手にチャンスかも。
第四部定理五〇を理解するために最後に必要なことは,スピノザの哲学において悪とは何であるかということを理解することで,これは第四部定義二で定義されています。これによればスピノザの哲学における善悪が,個人個人の利益と不利益の認識に依存していることが理解できます。そしてこの利益と不利益は,第三部定理七を基準に判断されます。すなわち,ある人間にとって,自身の存在を維持するのに役立つことがその人間にとっての善であり,これを阻害することがその人間にとっての悪であるということになるわけです。よって,スピノザの哲学における善悪とは,一般的な,あるいは普遍的な概念ではなく,むしろ諸個人において差異があるような,個人の認識の問題であるということになります。
ところで,ある人間の存在の維持が促進されるということは,この人間の完全性がより小なる状態からより大なる状態へと移行するということを意味し,反対に,ある人間の存在の維持が阻害されるというのは,この人間の完全性がより大なる状態からより小なる状態へと移行するということを意味します。第三部諸感情の定義三によれば,この大なる状態から小なる状態への移行こそ悲しみなのですから,人間は自己に不利益が及ぶとき,悲しみを感じるということになります。よって,ある人間が悪を認識するとは,第四部定理八にあるように,その人間が自己の悲しみを意識するということにほかなりません。ただしこのとき,普通は人間はその悲しみ自体を悪と認識するのではなく,悲しみをもたらす存在についてそれを悪と認識します。この悪の対象の認識には注意が必要かもしれません。