スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

飛天ちゃん賞&第四部定理五〇まとめ②

2008-02-03 19:03:58 | 競輪
 奈良記念の2日目優秀(動画は右上のライブ中継,レースダイジェストから)の飛天ちゃん賞。飛天ちゃんというのは奈良競輪場のマスコットキャラクターです。
 並びですが,東日本も中部も分かれての戦い。飯野には飯嶋で,3番手に服部。新田に稲村。稲垣には志智ー浜口で近畿中部。香川は単独。
 前受けは新田選手。これを残り2周のホームで飯野選手が叩き,香川選手も続きました。さらに稲垣選手が巻き返し,バックで飯野選手を叩くと打鐘では浜口選手まで出きってこのラインの先行。中団の4番手まで追い上げてきた新田選手がその勢いで発進しますが,車が出ずに浜口選手の横あたりで一杯。飯野選手も内に包まれて動けなかったので前の争い。楽な番手となった志智選手が鮮やかに抜け出して1着。稲垣選手が2着に残り,3着にも浜口選手が入って,このラインの上位独占となりました。
 新田選手はあまり先行はしませんので,稲垣選手にとっては飯野選手さえ叩いてしまえばというレース。実際にそうなりましたし,自力を使える志智選手が無風の番手となりましたので,打鐘のあたりでレースの結果が大方決まってしまったような感じです。

 これだけでスピノザの哲学における憐憫という感情の何たるかを十分に理解できるというわけではありません。なぜなら,憐憫というのは悲しみという感情の一種であるとされているのですから,悲しみという感情がどのような感情であるのかということを理解しておく必要があるからです。
 スピノザは,人間にはみっつの基本感情があると考えていて,悲しみはそのひとつです。そしてこれは第三部諸感情の定義三において定義されています。これによれば悲しみとは,ある人間が大なる完全性から小なる完全性へと移行することであるといわれています。このときに注意しなければならないのは,小なる完全性そのものが悲しみであるのではなく,あくまでも大なる完全性から小なる完全性へとある人間が移行する場合に,この移行そのものが悲しみであるとされている点です。
 次に,やはり第四部定理五〇を理解するためには,スピノザの哲学における理性とはどのようなものであるのかということを理解しておかなくてはなりません。スピノザは人間の認識のあり方も大きく3種類に分類するのですが,このうち理性とは,第二種の認識に該当します。そしてこの第二種の認識の大きな特徴,すなわちスピノザの哲学における理性の特徴は,この認識がどこからどこまでも十全な観念に依存するということですそしてこのとき,人間は自らの精神のうちに形成されるそうした観念に対する十全な原因であって,いい換えれば理性による事物の認識とは,人間による事物の能動的な認識であるということになるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする