スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流名人戦&十全な観念と真の観念

2008-02-11 19:04:02 | 将棋
 最初に,第一局の紹介に誤りがありましたのでここでも訂正しておきます。清水市代女流二冠と中井広恵女流六段が共に出場しない女流のタイトル戦は,1990年の女流王将戦以来でした。これは矢内理絵子女流名人が女流育成会に入会した年になります。
 ということで今日の女流名人戦第二局。予想通り後手番の斎田晴子女流四段のごきげん中飛車。矢内名人は③Bの変化に進め,後手は途中の仕掛けも見送り穴熊。先手が銀冠という持久戦になりました。かなり珍しい変化と思います。51手目,第1図のように先手から仕掛けました。
       
 ここのところやや忙しく,今日も実は外出していたのですが,思ったより早く帰宅することができ,早速アクセスすると第2図の局面でした。
       
 ここは香得の上,玉も固いですから,後手がよいと思いました。仕掛けからここまでに先手に問題があったというより,仕掛け自体が少し無理気味だったのではないかと思います。ここはとりあえず金取りを受けるところ。☖6三銀かと思いましたが,☖7一銀打と丁寧に下から受けました。
 ここから後手は寄せにいって第3図。
       
 この☖9三香打自体は厳しそうな手ですが,これを打って持駒が歩だけに。少し駒不足の感じが漂いはじめました。飛車も馬もやや遊び加減です。実戦はここから馬の方を使いにいきましたが,第4図の☖7三歩は手の流れとして明らかに変調。第3図で端に並べた香車も空回りしている感じで,ここでは逆転したなと思いました。
       
 以降は豊富な持駒と馬の利きを生かした先手が寄せに。最後の王手にも落ち着いて逃げ切り勝っています。斎田四段としては寄せ損なって残念な逆転負け。本当なら穴熊の遠さが生きることになる筈の将棋でした。逆にいえば矢内名人の粘り強さが光った一局であったといえるでしょう。
 これで矢内名人が連勝で防衛に王手。第三局は20日です。  

 十全な観念idea adaequataと真の観念idea veraはどう違うのかということは,第二部定義四の中に示されていると僕は考えています。そしてそこでは,十全な観念は,真の観念が有しているような内的な特徴denominatio intrinsecaのすべてを有している観念であるといわれています。このことのうちに,僕はふたつの意味を見出します。ひとつは,十全な観念の定義Definitioとしてこのようにいわれている以上,十全な観念はその内的な特徴から考えられなければならないということです。そしてもうひとつは,十全な観念が真の観念が有する内的な特徴をすべて有するのであれば,少なくともその内的な特徴からみた限り,十全な観念と真の観念は一致するであろうということです。
 そこで,AとBが一致するということを一般的に考えてみれば,これはAとBは区別することができないものであるということを意味するでしょう。いい換えれば,AとBは同一のものであるということです。したがって,十全な観念と真の観念は,まず少なくともその内的な特徴から判断される限りでは,区別することができない同一のものであるということになり,次に十全な観念に関してはそうした内的な特徴から判断されなければならないようなあるものですから,結局は十全な観念と真の観念は同一のものであるということになります。したがって,もしもある知性intellectusのうちにXの十全な観念というのがあるとすれば,これは常にXの真の観念であるでしょう。もちろん逆も同じことで,ある知性のうちにYの真の観念があるならば,これは同時にYの十全な観念でもあるということになります。
コメント
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