初心者のための証券のある生活

豊かな生活を目指し、廣本修正のよくわかる “株・いろいろ”

旭硝子事件をもう少し詳しく

2005-12-14 13:57:56 | 株・いろいろ
 敗色濃くなった終戦直前の昭和20年8月9日に大蔵省は取引所の立会いの休止させました。

 その後3年9ヶ月間は取引所での株式売買は行われませんでしたが、証券会社の店頭取引はすこしずつ増えていきました。

 その頃、再建整備法に基づいて三菱化成が旭硝子、新光レイヨン、日本化成の3社に分かれることになり、それら新会社の株式受渡しは翌昭和25年の4月中旬に決められました。

 それまでの期間は、権利株として店頭取引で売買されることになりました。

 当時、多くの銘柄の権利株が売買されていたのですが、少ない担保で差金決済のできる権利株売買は人気があり盛んに行われていました。

 先の3社のうち旭硝子と新光レイヨン、とりわけ旭硝子に売買の人気が集まりました。

 買い方は山一を主に、日興、玉塚の3証券会社が、売り方は大阪筋の証券会社がそれに向かったのです。個人投資家はそれぞれ自分が思う方につきました。

 株価は当初(昭和25年始め)170円位でスタートしましたが、2月21日には440円まで上げたようです。

 新株受渡しとなる4月にはいるといちど350円まで下げましたが、買い方の猛烈な買いで再び440円になったようです。(4月12日は安値350円から440円まで一気に上げましたが、“15分間に15万株の買いがはいったといわれています。)

 結局、昨日書きましたように売買停止となり、2銘柄それぞれに全国一本値が決められ買い方、売り方ともに決済したのです。(これを“解け合い”というのです。)

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