「初花」は奈良の鳥尾引拙から京都の疋田宗観に渡り、
そこから安土城にいた織田信長のものとなりますが、
本能寺の変の後、安土城は織田信雄に攻撃されて灰塵と化しますが、
その焼け跡から松平念誉が探し出して、
徳川家康に贈ったとされています。
さらに、家康から、“柴田勝家征伐祝い”として豊臣秀吉に贈られ(注)、
(注)別の説もあります。京の大文字屋栄甫から信長に渡り、信長から息子の信忠に、更に三河の豪族から家康に、家康からは大茶会の3日前の天正11年5月21日に秀吉に贈られた、とする説。
秀吉は北野大茶会でも展示したそうです。
秀吉亡き後は、
再び家康のもとにきて、徳川家の家宝として伝わったとされているのですが・・・・
ここからの「初花」の動きがおもしろい?
そこから安土城にいた織田信長のものとなりますが、
本能寺の変の後、安土城は織田信雄に攻撃されて灰塵と化しますが、
その焼け跡から松平念誉が探し出して、
徳川家康に贈ったとされています。
さらに、家康から、“柴田勝家征伐祝い”として豊臣秀吉に贈られ(注)、
(注)別の説もあります。京の大文字屋栄甫から信長に渡り、信長から息子の信忠に、更に三河の豪族から家康に、家康からは大茶会の3日前の天正11年5月21日に秀吉に贈られた、とする説。
秀吉は北野大茶会でも展示したそうです。
秀吉亡き後は、
再び家康のもとにきて、徳川家の家宝として伝わったとされているのですが・・・・
ここからの「初花」の動きがおもしろい?