ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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”ミドリ色の屋根”のレコード・ジャケット

2009年09月04日 | ミドリ色の屋根
 1974年9月4日は、ルネ・シマールファースト・コンサートが大阪厚生年金ホールで行われた日です。



※過去ログ「ファースト・コンサート・イン大阪」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/262.html

♪YouTube映像”RENÉ SIMARD AU JAPON”
 カナダのマリエルさんがYouTubeにアップしたファースト・コンサート映像
http://www.youtube.com/watch?v=0MvGsxpljJo&feature=channel_page

 このコンサートは、カナダの少年歌手であるルネ・シマールを、第3回東京音楽祭世界大会に参加させると決めた時点で計画されていたことなのか、グランプリを獲得したことによって巻き起こったルネ・ブームを受けて決まったことなのかは、単なる一ファンの私には分かりません。
 でも、1回目の来日時に、セカンド・シングルとなる「小さな生命」とそのB面の「僕の国へおいで」、ファースト・アルバムに収録する「水色の天使」のレコーディングを済ませていること、コンサート会場の確保や諸準備に要する期間を考えれば、日本でデビューさせるという計画の中で、すでに組まれていたことだったのでしょう。帰国する時には、8月の2回目の来日とコンサートの予定が報じられていました。
 さらに、東京音楽祭開催直前の1974年6月20日に発売された「ミドリ色の屋根」の歌詞カードには、既にファン・クラブ「メープル・メイツ」の会員募集の広告が載っていたのですから、アルファ&アソシエイツ(後のALFAレコード)のルネ・シマールに対する期待と力の入れ用が伺えます。

 しかし、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリ及びフランク・シナトラ賞を受賞したことが、後に、日本とカナダのスタッフの計画にズレを生じさせることになろうとは思っていなかったでしょう。
 もともとルネをカナダの英語圏でも活動させたいと考えていたカナダのノーベル・レコードが、アメリカでの活動の足がかりとなるフランク・シナトラ氏の招待を受け、アメリカを優先し、来日の予定を中止したことは明確です。
 日本側では、外人タレント・ブームを受けて日本でデビューさせ、アグネス・チャンのようなタレントにすることを目論んでいたのでしょうが、カナダでは、もっと広い視野で考えていたに違い有りません。
 何故ならルネは、イタリア語の「アヴェ・マリア」、スペイン語の「ジングル・ベル」、日本語の「ホワイト・クリスマス」を歌い、クリスマス・アルバムにも収録しているのですから。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 

 さて今回は、ルネの「ミドリ色の屋根」のレコード・ジャケットについてです。

 この話題はかなりマニアックで…。こういう内容がツボな人には面白いと思うのですが、ファンじゃない人にはどうでもいい話題なので、興味のない方はスルーしてください。

 ルネの「ミドリ色の屋根」のレコード・ジャケットが、第3回東京音楽祭世界大会のグランプリ受賞前の初回プレス盤と受賞後のものが違っていることは、過去ログでも触れたことがありますし、ご存じの方も多いことと思います。その違いは、ただ単に「第3回東京音楽祭世界大会 大賞受賞 フランク・シナトラ賞受賞」と入っているかいないかの差なのですけれど…。その総売上は18万枚と書かれている資料もありますが、カナダのデビュー25周年記念CD集の小冊子には、100j万枚を記録とありました。

1974年6月30日第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞する前の、6月21日に発売された初回プレス盤は3万枚。ルネがブランプリを受賞するやいなや、翌日に全部売り切れたということです。


受賞後のものには「第3回東京音楽祭世界大会 大賞受賞 フランク・シナトラ賞受賞」と入っています。




 …と、ここまでは普通の話題。
 さて、ここで突然ですが、ルネは右利きです。でも、「ミドリ色の屋根」のジャケットでは左手にマイクを持っています。何故でしょう? 
 ルネはほとんどの場合、マイクを右手で持ちます。ナタリーと歌う時、小さなナタリーが右側にいて、肩を寄せるような位置関係の時などは左手で持つこともありますが…。

 ちなみに、「ミドリ色の屋根」のジャケットは、もともと”Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”のジャケットに使われていたものと同じ時に撮影された写真を使っています。そして、”Le Monde De Walt Disney(ウォルト・ディズニーの世界)”にも同じ写真を使っていて、そのジャケット画像と「ミドリ色の屋根」のジャケットを反転させたものが全く同じものになります。

”Le Monde De Walt Disney(ウォルト・ディズニーの世界)”のジャケット







上のジャケットの上下をカットしたもの






「ミドリ色の屋根」のジャケットを反転させたもの





”Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”のジャケット





 いかがですか? さらに、レコード店に同曲の宣伝用として配布されたちらしも反転したもので、正しいものは4曲入りのヒット曲集に使われています。

レコード店に同曲の宣伝用として配布されたちらし
ルネを空港で迎えるボードにも使われていました。





上のちらしを反転させたもの








4曲入りのヒット曲集
こちらは右手でマイクを持っています。
反転させたちらしと同じでしょう?




 そして「右利き」意外に、反転されているということを証明できるものがもう1つあります。それはルネの「えくぼ」。ルネは左頬に「えくぼ」がはっきり出ます。

えくぼがはっきり写っている正面から見たルネもご覧ください。


 それにしても、ノーベル・レコードは、同じ撮影で撮った写真を他の曲にも使うことが多く、別の”Le Monde De Walt Disney(ウォルト・ディズニーの世界)”のジャケットと同じアングルのものを、フランスで発売した”Maman,Laisse-moi sortir ce soir(ママ、今夜出かけるの許して)”にも使っています。実際、”Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”のジャケットは、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画の撮影の時のものです。1972年に撮影したものですから、2年も前の写真。さらに、ルネが着ている衣装も、ルネがデビュー後、”Place des Arts(芸術広場)”で開いた初リサイタルの際に着ていた衣装を再現したものなのです。記念すべきステージ衣装の写真とはいえ、少々使い回し過ぎだと思いませんか?

”Le Monde De Walt Disney(ウォルト・ディズニーの世界)”のジャケット





”Maman,Laisse-moi sortir ce soir(ママ、今夜出かけるの許して)”のジャケット





 しかし、何故「ミドリ色の屋根」のジャケットの写真が反転していたのか? 構成の関係で意図的に行ったのか? それともネガを逆に現像してしまった…つまり、日本側の手違いか? 実際のところ、どちらが真実なのでしょうか? そして、反転された写真を使われたルネは、どう思ったのでしょうか? ルネにとっては鏡の中の自分と同じな訳ですけれど…。

 このことについて、何かご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。よろしくお願いいたします。


♪最新情報♪

 ここしばらく原因不明の不具合で聴けなくなっていた、カナダのシャンタルさんの音楽サイト"bebo bands musicographiesimard"が復活しました!! これで、カナダでもCD化されていない完全日本語アルバム「君のすべてがほしい」も聴きいただけます! また不具合が起きないうちに、カナダのアルバムを聴きまくってくださいね!

"bebo bands musicographiesimard"
http://www.bebo.com/MusicAlbums.jsp?MemberId=2591195085
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