ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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60 ans et déjà 50 ans de carrière⑲

2023年09月16日 | ルネの活動記録

 9月18日(月)は敬老の日。今日から3連休の方も多いことと思います。

 シマ姉家では息子と私の愛車が半年点検なのに加え、息子の幼馴染が2人遊びに来て、1人は今夜お泊りのため忙しくしています。

 ルネ関係では、娘ロザリーの出産予定日が9月7日だったのですが、まだ出産のお祝いの報告はありません。また、9月13日(14日?)が妻Marie-Joséeマリージョゼの母クローデット・タイユフェールの87歳のお誕生日でした。娘ロザリーの第1子アデリーちゃんが生まれたら、4世代そろうことになりますね(^^♪ ルネの家族もファンもみんな、ロザリーの可愛いプリンセスの誕生を心待ちにしています

 

 ルネが監督を務めるミュージカル「La famille Addams アダムス・ファミリー」初日、10月19日があと1か月と迫りました 9月29日(金)からは10月29日(日)まで舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』の秋のツアーも始まります。

 息子オリヴィエの第2子アクセルちゃんが8月4日に生まれ、第1子で2歳になるクロエちゃんの聴覚の訓練も妻マリーと行ってるルネは、プライベートでも仕事でも超多忙! カナダでも日本でもcovid-19感染者数が下げ止まりから拡大に移行しつつあります。ルネやその家族はもちろん、私たちファンも感染予防を十二分に行って健康を保ち、これから過ごしやすくなり色どりを増す秋を楽しみたいですね(^^♪

 

 

 今回は「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の19回目「De ses débuts aux comédies musicales, 50 ans d’une carrière exceptionnelle ミュージカルデビューから50年の輝かしいキャリア」の12回目で、COMÉDIES MUSICALES ミュージカル・コメディーの中編です。

 

 

COMÉDIES MUSICALES ミュージカル・コメディー

SUR SCÈNE ET EN COULISSES ステージ上と舞台裏

 

左:『Janne la pucelle乙女ジャンヌ』の試写会の数時間前、Judith Bérard ジュディス・ベラールとルネがサン・ドニ劇場の前に姿を現しました。

中央:ルネとDenise Filiatrault ドゥニーズ・フィリアトゥロー はよく一緒に仕事をしてきました。 2016年、彼らは協力して「Chantons sous la pluie  雨に歌えば」に取り組み、彼女は監督を務め、彼はRenaud Paradis  ルノー・パラディとPascale Desrochers  パスカル・デロッシェと共演しました。

右:2016年、ミュージカル『Mary Poppins メリー・ポピンズ 』にミスター・バンクス役で出演。

 

BRILLANT, MÊME EN COULISSES 舞台裏でも素晴らしい

 2001 年、ルネは、7月10日から21日までFestival Juste pour rire (英:ジャスト・フォー・ラフス・フェスティバル)で上演されたショー「Cyclone サイクロン」の制作に携わり、Denis Bouchard ドゥニ・ブシャールとともにデザイナーを務め、制作に協力しました。 彼は、フランスとケベックの俳優数名が参加するこのイベントの主催者でもありました。

 翌年、彼はケベック州キャピトルで上演されたミュージカル・レビュー『Generation Motown ジェネレーション・モータウン 』の監督に就任し、舞台裏で仕事を続けました。 この番組では、Stevie Wonder スティーヴィー・ワンダーMarvin Gaye マーヴィン・ゲイ Diana Ross & The Supremes ダイアナ・ロス &ザ・スプリームス など、この名門レコード会社のカタログに載っている最も象徴的なアーティストを振り返ります。 ステージには、歌手の Luck Mervil ラック・マーヴィル、Sylvie Desgroseilliers シルヴィー・デグロセイユ、Dorian Sherwood ドリアン・シャーウッド を含む19人のアーティストが出演しました。

 2004年12月2日、Voir ヴォワールとのインタビューでルネは次のように宣言しました:「モータウン、私にとってここはソウルという言葉の本当の定義を学んだ場所でした。それはソウルであり、黒人音楽です。私はいつもモータウンのアーティストたちが動くのを見て感動していました。 彼らは独特のボディランゲージを持っており、白人が彼らから特定のダンスステップを借用しているのさえ見かけます。 これは 1950 年代以降の数世代に影響を与えました。」

 その成功はあらゆる期待を上回りました。 『Genration Motown ジェネレーション・モータウン』はケベックで数シーズン上演されましたが、他の場所、特にモントリオールのサン・ドニ劇場でも上演されました。 2004 年には、ショーからアルバムも発売されました。

 ルネは監督として、その槍を突き続けます。 2004年には、番組『Dalida, une vie ダリダ、運命の人』のシーズン2でも同じ役を演じました。 約10人のダンサーと5人のミュージシャンに囲まれたステージで、Joan Bluteau ジョアン・ブルトーはClaire クレールの象徴的な歌手を演じます。 最初はケベック・キャピタル、次にモントリオールのサン ドニ劇場、そして遠くはレバノンまで、このショーはかなりの人気を博しました。

 次に、ディスコの輝かしい時代を思い出させるNight Fever ナイト フィーバーの冒険が始まります。 今回はルネがデザイナー、芸術監督と監督を務めました。 5 人の歌手、7 人のミュージシャン、16人のダンサーが、100 万ドルの予算をかけてこの作品に命を吹き込みました。 最初は首都で、次にケベック全土でこのショーは大成功を収めました。 アルバムが発売されています。

 このとき、ルネはElvis Story エルヴィス・ストーリーのチームとも協力しており、その大規模な作品は 2006 年にモントリオールのCentre Bell ベル・センターで発表されました。 ステージには、ミュージシャン12名、歌手8名を含む40名のアーティストが出演しました。 2006年5月20日、Echos Vedettesで彼は次のように強調しました:「私は最初からチームでした。 私はそのステージのために日本と米国に同行しました。 顧問だったのですから当然です。」

 

AVEC LE CIRQUE シルクと一緒に

 ルネは、監督としての能力において、数年間に渡って輝かしい名声を築いてきました。 2004 年にはCirque du Soleil シルク・ドゥ・ソレイユ から中国のマカオで大規模なショーを開催するよう打診されたほどです。  1950 年代から 1970 年代のラスベガスのコンサート ホールの雰囲気を再現するというアイデアがあり、彼が在住するシルクの施設に慣れるために、ルネはベルリン、パリ、そしてアメリカのゲームの中心地に行きました。

 2006 年に状況は整いました。 そして2007年9月15日、Echos Vedettesとのインタビューで、彼は次のように感想を述べました:「シルクは世界で唯一の機械です。 私には 1 つの仕事のやり方があり、シルクには別の仕事のやり方があるので、すべてを詳しく分析する必要がありました。シルクと仕事をすると、監督は皆、それは違うと言うでしょう。 すべてが大きくなりました。 ショーのコンセプトに沿ってホールが作られているということを忘れてはいけません。」

 残念ながら、このショーが日の目を見ることはありませんでした。 7 Joursとのインタビューで、彼は次のように述べました:「経済危機のため、ホールを建設する予定だった建設現場は活動の中断を余儀なくされました。 私たちはその場所に板を張りました。 Cirque du Soleil シルク・ドゥ・ソレイユはニューヨークでショーを企画しようとしましたが、私たちはミュージカル・レビューのコンセプトに取り組んでいたため、マカオほどニューヨークでは意味がありませんでした。 シルクとの相互合意により、私はこのプロジェクトから撤退しました。」 それにもかかわらず、権威ある機関はルネの経験から利益を得ることに熱心であり、コンサルタントとしての彼の職務を確保しています。

 

 次回はSUR SCÈNE ET EN COULISSES ステージ上と舞台裏後編RETOUR SUR LES PLANCHES 舞台に戻って」です。

 

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 現在日本の芸能界では、J事務所元社長、亡きK.J氏による性加害問題で大揺れに揺れ、テレビやSNS等でそれに関するニュースを見ない日はありません。J.K氏が亡くなってから、今まで訴え続けてきた性加害問題当事者の会の方々が、ようやく日の目を見ることが出来たわけですが、謝罪し罪を償って欲しい加害者本人がすでにこの世の人でないことは、彼らにとって複雑な気持ちであろうと推察できます。しかし、救済措置や補償が、今後J事務所の誠実な対応によって行われ解決することを願ってやみません。また、所属タレントが仕事を失ったり、このことがきっかけでファンが離れることのないよう心より願ってています。

 しかし、暗黙の了解で見てみないふりをしてきたテレビやマスコミが、ここぞとばかりにこぞってそれを報道しています。J事務所の影響力が強いので、Jワクのために番組やCMに起用していたとしても、今までJ人気に乗っかっていたくせに、途端に所属タレントの降板に踏み切るテレビ局や企業って何なのだろう・・・とモヤモヤした気持ちをぬぐえないでいます。

 芸能界と関係の深い仕事をしていた友人の兄は、以前からJ事務所での様々なトラブルについて友人が質問しても、『聞かないでくれ。』の1点張りで、実の妹にさえ絶対に明かさなかったことを聞いていました。『その話に触れてはいけない』、『言ってはいけない』という時代が終わり、また、実力があっても、影響力の強い団体に所属していなければ活動していけないような芸能界の体質が、早く無くなって欲しいと切に願っています。

 私が何故こんな話を切り出したかというと、ルネの妹Nathalie Simard  ナタリー・シマールGuy Cloutier  ギィ・クルーティエ氏から受けた性的虐待の問題が有ったからです。氏はルネが来日した当時のマネージャーで、ノーベル・レコードの社長でもありました。氏のプロダクションには多くの歌手が所属し、ナタリーが思春期の頃、ナタリー同様、氏の自宅で生活していた女の子が数人いたそうです。ナタリーが性的虐待を受けていたのも氏の自宅でした。これは、J.K氏がJジュニアの少年たちにしていた手口と同じであることに驚いています。また、ナタリーも元Jジュニアたちも、心に深い傷を負って現在も苦しんでいるのです。そしてナタリーは、様々な虐待に苦しむ女性や子供たちのための活動をしています。

 ナタリーが氏の性的虐待を受けていたことは、ナタリーの自伝本とされている「Briser le silence 沈黙を破って」で暴露され裁判になり、氏は実刑で禁固刑になりました。しかし、この自伝本というのが問題で、ナタリーが書いたものでなく、シマール家の家族はこのような本が出版されることを知らず、ナタリー本人でさえ、出版されるまで詳しい内容を知らなかったのだそうです。この本を書いたのはMichel Vastel ミシェル・ヴァステルというジャーナリストで、シマール家の中で貧困を知らない世間知らずのナタリーが騙されて出版された本なのだと、亡き父ジャン=ロック・シマール氏の著書の校正を手掛け、姉リンさんとも親しいミシェルさんからお聞きしました。

左:「Briser le silence」eBayで購入して持っていますが読んでいません) 右:こちらが後に発刊された、ナタリーが書いた自伝本「Les CHEMIN de ma LIBERTÉ 私の自由の道」(カナダの友人ミシェルさんからプレゼントしていただき近日届く予定)

 カナダのファンの方たちは、クルティエ氏の性的虐待の話題は口にしないし、氏を激しく憎んでいるファンも多いです。この件についてはルネもインタビューでも多くを語らず、沈黙を守っています。そして、氏に性的虐待をされた子供は、ナタリーの他にもう1人いると言われており、それがルネではないのかという疑惑がありしました。しかし、シマール家と親しいミシェルさんのお話によると、ナタリーが氏から性的虐待を受けた当時、氏の家にいた少女の1人がいなくなっているので、被害者はその少女なのだろうとのことでした。何故ナタリーが氏の家で生活していたかというと、ナタリーが母ガブリエルとの生活を拒否したからなのだそうです。さらにナタリーの自伝本では、「ルネがツアーなどから帰ってくると王様のように振舞って、家族は小さくなっていた。」というような記述があるのですが、それも嘘だそうです。ブログでナタリーとクルティエ氏の件について取り上げることをずっと避けてきた私が、氏の性的虐待について書こうと思ったのは、このことを書きたかったからなのです。

 また、氏はルネから父ジャン=ロック氏を離す策略をめぐらし、ルネが15歳の時、「ミドリ色の屋根」を再現するがごとく、父はシマール家を去りました。そして、ナタリーが起こした裁判によって、ルネもナタリーもデビューからそれまで積み上げてきた歌の権利を失ったのでした。氏のナタリーへの性的虐待や、シマール家をバラバラにしたことは決して許せることではありません。もちろん私も氏の行為を絶対に許すことはできません。しかし、ルネとナタリーをデビューさせ、プロデューサーとして2人を立派なプロの歌手に育て上げてくれたことには感謝しています。

100歳まで生きたい」と語り、いつでも前を向いて精一杯努力して前進し続けているルネ。facebookルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard では、メンバーさんから、「このグループは成長し続けている。」とコメントをいただき、メンバーも増え続けて現在1045名になりました(^^♪ 私は最初「少数精鋭」を目指していましたが、現在は「来る者は拒まず、去る者は追わず」で、メンバー数よりも、メンバーが気軽に参加でき、内容の充実した活動を目指してきました。すでに日課となっている「毎日1記事以上投稿」を目標に、もうお2人の管理人とたくさんの協力者やコメント投稿者の皆様と毎日楽しく活動しています(^^♪

 私たちが愛してやまないルネ・シマールを応援し続けるために、今まで以上に当ブログとファン・グループで「ルネ活」を頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします

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