38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

初の九州、水俣の海。

2020年01月29日 | 農と暮らしの日記
水俣の海。
久々の写真が魚でなくて、少し安心。
有機菜園の日記なので。



年始に投稿して以来、あっという間にひと月がたってしまった。
三が日が明けたときには「1年の120分の1がもう終わったのか!」と時の流れの速さを感じたものだが、いまや12分の1が終わろうとしているわけだ。
ぼうっとしていてはいけない。

この間の記録はもはや振り返れそうにない。
というわけで、直近の週末のことのみ。

1/25(土)、午前3時起き。
3時過ぎに軽トラで出発し、市内丹原町の「ちろりん農園」西川さんちへ。
4時に2人で出発、桜三里を超えて松山市内の「ゆうき生協」に4時半過ぎ着。

5時に総勢13人が2台に分乗して出発。
日本有機農業研究会の全国大会、「全国有機農業者の集い2020 in水俣」に向けて。
長浜でさらに2人をピックアップし、伊方経由で佐田岬の突端へ。

7時、三崎港からフェリー。
船内で朝ごはん(持参のおにぎり2個、おすそ分けの漬物など)。

8時過ぎに大分・佐賀関に着岸。
別府・湯布院など経由して高速道路をひた走る(僕は助手席に座っているだけ)。

途中、福岡の広川SAで昼食を購入し、車内でごはん。
鶏飯おにぎり2個、豚まん1個、コロッケ1個(助手席に座っているだけなのによく食べる)。

13時過ぎに水俣市民会館着。
全体会のリレートークを聞き、続いて隣の「もやい館」で分科会。
前半は「語り部」として有名な杉本栄子さんの長男、肇さんのお話。
一家を追ったドキュメンタリーはこちら

僕は就農して間もない2006年か2007年頃、栄子さんのお話をラジオで聞いた。
差別されるつらさを父に訴えると、人のことを悪く言うな、昔はあの人もいい人だったと諭されたという有名なエピソードだ。
人はどんな経験をするとこんなふうな心の持ちようができるのだろう。

話が終わった休憩時間に僕は肇さんに尋ねた。
被害を受けた側にそんなことを言わせる日本の社会は、その大きな犠牲を経て変わったのでしょうか、と。
肇さんは「福島」に少し触れた後、だからこそ発言し続けなければならないと思っています、と答えてくれた。



分科会の後半は魚屋さんのお話。
支援者として水俣に移住した後、38歳で魚の移動販売業を始めて31年という中村雄幸さん。
水俣の海はきれいになったと言われるが、珊瑚が育つ「沖縄の海」化しているのであり、プランクトンのいない透明な海には魚は棲めないと話され、一方で魚が減ったのは取り過ぎも原因だとし、数年間の禁漁を提案された。



初日の夜は、まずノンアルコールの交流会。
地産の有機食材を生かした料理の数々、水俣の海の蛸・なまこ(上記の中村さんの)、おにぎり、デザート、無農薬のお茶などをビュッフェスタイルで。
圧倒的な量に(飲んでないのに)酔い、20時ごろに終了。

宿泊先の湯の子温泉「海と夕焼け」に移動。
21時頃に今度はアルコールつきの懇親会に合流。こちらもかなりのお料理があり、先ほどの交流会で圧倒されたはずの胃袋に順次追加。
就農間もない頃に畑にも来てくださった熊本のKさんとも再会、酒はひたすら瓶ビールをいただきました!

続く「語る会」はパスし、23時頃に就寝。
オーシャンビューの和室は熊本のYさんUさん、福岡のAさんと同室であれこれ情報交換。



というわけで、2日目の記録はまたあらためて。
あ、そうそう。タイトルに書いたように、僕にとっては今回が初の九州。会社員時代に出張先の下関から「見た」ことはあったけど。
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