2017年8月6日(日)午後の「子ども支援学研究会」の案内がようやくできましたので、こちらで画像にしてアップし、みなさんへの告知とさせていただきます。
ちなみに・・・。ここ2~3年、この子ども支援学研究会では私が司会をすることが多くてですねえ、「ええ加減、誰か代わってくれ~」という思いが正直、募っておりました。
なので、今回はその願いがかないまして(笑)、ひさびさ(いや、もしかしたら初めてかも??)に、「指定討論者」に私がまわることになりました。
まあ、そんなわけで、いじめ問題と子どもの相談・救済に関する浜田寿美男さん(前・川西市子どもの人権オンブズパーソン代表。奈良女子大学名誉教授)のお話に対して、「指定討論者」としていろいろ質問してみようと思っております。
特にいじめ問題を考える上での子ども観の部分で、浜田さんにはいろいろと伺ってみたいと思うことが多々あります。きっとその子ども観の部分で発想がいろいろ問い直されてくると、いじめ防止対策推進法への理解も変わってくるだろうなあ・・・と思ったので。
たとえば最近、私は「都会の下水管のなかでくらすドブネズミにとっての『自然』ってなんだろう?」ということをよくく考えます。
それこそ、都会の下水管はたしかに人間の側から見れば「人工」のもので、「自然」そのものではない。
だけど、生まれたときからそこで生息しているドブネズミにとっては、それが生態系、生息環境そのものなんですよね。
そして、長い間、下水管で生まれ育ったドブネズミには、そこ以外に生きられるような「外の世界」がわかるんだろうか・・・とか思ったりするわけです。
また、ドブネズミが下水管を自らの生息環境として「したたかに」生きていくための、その適応方法ってなんなのだろうか・・・ということにも関心があります。
この「都会の下水管」を「学校(制度)」に、「ドブネズミ」を「高学歴社会に生きるいまどきの子どもと若者」に置き換えて考えると、いろいろ、見えてくることがあるかと。
こういう観点から「いじめ」問題を考えると、どうなるんだろう・・・って、浜田さんに聴いてみたかったわけです。
なにしろ、浜田寿美男さんって、私が読んだものの範囲でいえば、たとえば学校(制度)は近代社会成立後の「人工」物で、「自然」なものではない・・・というところから子ども論を進めておられますもので・・・(笑)
また、浜田さんは「いまどきの子どもの生きるかたち」といいますか、ライフスタイルにこだわったお話も書かれたりしていますので(笑)
<追記>今から4~5年前、まだ私が大学院人文学研究科の科目を担当していた頃、「浜田寿美男の子ども論」をテーマに半年間、講義をしたことがあります。その頃に浜田さんの書かれたいろんな本、読みましたねえ(笑)