「部活で夫不在 教員の妻ら嘆き」(2017年7月17日)
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6247243
これは内田良さんが書いた最新の記事のようですが、この記事では、いわゆる「部活未亡人」ということばを取り上げています。スポーツ部活などの指導で熱心で、土日などの休日にあまり家に居ない男性教員(=夫)の問題をとりあげるために、このようなことばから入った感がありますが。
ただ、私がこの「部活未亡人」なることばに最初に接したのは、内海和雄『部活動改革』(不昧堂出版、1998年)という本のなかです。ちょうど、いまからだいたい20年ほど前、文部省(当時)の有識者会議が部活動の活動日数・時間数の制限などを論じていた時期です。また、その頃は学校週5日制の導入などとも関連して、スポーツ部活に関しては、たとえば地域スポーツクラブや外部指導者の導入なども検討・実施されていた頃でもあります。
ということは、いま、あらためて内田さんが「部活未亡人」ということばをつかって、この問題を取り上げて論じていることに全く意味がないとは思わないのですが、でも、構造的には「この約20年間、部活動をめぐる問題状況は、大きく変わってないか、より悪化している」ということになりますよね。
また、実際に外部指導者導入や活動日数・時間数の制限など、昨今スポーツ部活の問題をめぐって提案されている事柄も、私の目には「20年ほど前と大差ない」ように思えてなりません。そのことは、「部活動の社会教育への移行」という提案も同様です。
熱心にこの問題を取り上げて論じていらっしゃるみなさんにはたいへん申し訳ないのですが、私から見てますと・・・。「90年代後半にスポーツ部活動の改革で提案された事柄がなぜ、この約20年間、十分に実施されてこなかったのか?」ということをきっちり検証しておくことのほうが、「20年ほど前に提案されたことをもう一度、掘り起こしてくること」以上に大事な状況になってきているように思います。そこの部分の検証をぜひ、いま、熱心にこの問題を取り上げて論じていらっしゃるみなさんに、やっていただきたいと考えます。
ついでにいいますと、私はこの「約20年間、スポーツ部活動の改革が十分に実施されてこなかった」ことの背景要因のひとつに、「脱・ゆとり」路線の教育改革の問題があるのではないか、と直感的に思っています。
ある意味、20年ほど前のスポーツ部活動に関する諸改革の提案は、たとえば学校週5日制実施など、いわゆる「ゆとり」路線の教育改革の流れとも関連づけながら論じられてきたもの。私はその「ゆとり」路線って、子どもの休息・余暇の権利とか、心身に無理のない成長の権利の保障という観点からすると「まちがっていなかった」と思っていたりもするんですが。また、この頃は学校の学習内容についても「精選」とかいって、週5日の枠内でおさまるようにセーブしていく流れがあったのではなかったかと。
でも、その「ゆとり」路線の教育改革は、2000年代に入ると急速に「学力向上」だの「脱・ゆとり」といった路線に切り替わっていく。あれから全国一斉学力テストも実施されていますし・・・。そういう「脱・ゆとり」路線のなかで、「もっと学力向上を」という取り組みを学校に、教職員に求められる中で、いま、90年代とは異なる形で、「部活動指導の負担」というものがクローズアップされてきたのではありませんか。「もっと学習指導に教職員は手間をかけなければいけないのに、部活の負担が・・・」という話になってきたのではありまえせんか。
もしもいまの教職員の「多忙化」問題を部活動問題と関連づけながら論じていくのであれば、せめて、この約20年間の教育改革の主要な流れを意識しながら論じてほしいな・・・と。脇から私は見ていて思ってしまいます。でないと、いまのままではたとえ20年ほど前の諸提案が実現されて部活動の負担が多少、改善されたとしても、教職員には「さらなる学習指導の負担」がのしかかり、しかもそれを「勤務時間の適正化」の観点から、「短時間に効率よく」という「無理」が求められることになるでしょう。どうせ論じるならそこまで考えて、今後の教職員の「多忙化」問題や部活動問題を論じてほしいものだと、脇から見ていて気になってしかたがありません。