6月3日(月)
梅雨はどこへ行ったのでしょう。今日も爽やかな日差しが若葉にふりそそいでおりました。
新しい週の始まりはいつもの通りストレッチです。
午後の1時間いい汗をかいてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ca/cc27a0f671744b5df27085fff02627e6.jpg)
白オダマキ
私の備忘録的な綴りも今日が最後になると思いますが、「会津の旅」の続きです。
8時10分。
この日は早めの出発になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/68/62484849d386b12c505151866d58549a.jpg)
国宝の象徴
勝常寺は、隣の湯川村という周りを田んぼに囲まれたところにありました。
ここ勝常寺は、会津中央薬師とよばれ会津五薬師の象徴的な存在になっております。
そして、本尊の木造薬師如来坐像、両脇侍像の月光菩薩立像と日光菩薩立像の三体が国宝に指定されているという驚きのお寺さんなのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4c/6f082451f2f8aa86200cd3c08e69ebed.jpg)
薬師堂
午前9時の約束でしたので、10分ほど早く到着いたしましたので、駐車するスペースを探したりしている間に、ご住職が鍵を片手にお出でになりました。
挨拶もそこそこに観音堂へ導いてくれましたので、国宝の薬師如来像の前に座って説明をうけましたが、お坊さん特有の透き通る声ですので心の中までしみ渡ってくるような感じがいたしました。
このお堂は、国の重文になっておりますので、火災への配慮から電気もなく薄暗い中ですが、慣れてくれば薬師様は充分拝見することができます。
気がついて、本尊両脇の、月光菩薩立像と日光菩薩立像がいない事の理由を聞いて見ると、「国宝に指定された時に、収蔵庫を建てそこに移しなさいという国からの指示があったのですが、祖父である先々代が猛反対をして、ご本尊だけはここに残せました。」と言っておりました。
若いご住職は副住職でした。
国宝木造薬師如来坐像堪能する事ができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c9/c54921a15f91874b5c497e7ab5ed03bb.jpg)
勝常寺山門
山門脇にある収蔵庫には、国宝の月光菩薩立像と日光菩薩立像をはじめこの寺を開いた「徳一菩薩」の坐像などがたくさん並べてありました。
この国宝の月光菩薩立像と日光菩薩立像ですが、正面から見るとスマートな立像ですが、横から見ると今、よく言われるメタボなお腹をしておりまして愛らしい・・・。
やはり、仏像はあるべき場所に安置するのが一番だという事をしみじみと感じさせてくれました。
何となくもう少し居たい、と思う気持ちを押さえ込んで次の八葉寺へ向いました。
カーナビのお陰で10時ちょっと前には到着。
八葉寺は空也上人ゆかりの寺で上人の立像やお墓のあるお寺です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fd/c6b8f845257b41db0f373cf4bafb5953.jpg)
阿弥陀堂 国重文
茅葺屋根の阿弥陀堂が象徴的なお寺で、奥の院から空也上人のお墓、そして、空也堂とゆっくり参拝しても時間を気にしなくても良いほどのお寺さんでした。
奥の院と呼ばれております建物は、茅葺の茅が崩れてしまいそうなほど痛んでおりましたが、修理もままならないという現状だそうです。
しかし、境内のあちこちには、個人のお墓がたくさんありましたが、どれも立派な造りで、ちょっと考えさせられました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/24/cccac174b3921d609be353ead071776b.jpg)
空也上人像 空也上人のお墓
空也堂内には、空也上人像が安置されておりました。空也上人独特の持ち物を持っておりますから直ぐに分ります。
ここのお寺は、宗派を問わないという珍しいお寺で、地元では、「冬木沢詣り」というそうです。
今でも空也上人が踊りだしそうなお寺でした。
30分ほどで八葉寺を後にして、恵日寺へ向いました。11時の到着です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/db/54b3ce84a4525b7e52444bbb65c1b9f6.jpg)
再建なった金堂
恵日寺は徳一菩薩が会津での活動の拠点ともいえるお寺で、今でもあちこちで発掘調査が行われております。
真っ赤な金堂と中門が象徴的なお寺ですが、何だか心寂しいものを感じながら拝観して参りました。
金堂内は、勝常寺の国宝三体の写真が大きなスクリーンのようなものに下げられ展示されておりましたが、ほんの2時間前に本物を拝観して来た私達にとっては・・・・何も言うことはありませんでした。
同行の皆さん「あれ~・・」言葉が出ません。徳一菩薩まで写真で鎮座しておりました。
外観は立派でしたが中身は・・・・
早々に抜け出し、徳一菩薩のお墓に向かいました。
このお寺では、徳一菩薩をお参りすることが最大の目的でしたから・・・・
このお寺の一番奥まったところに「徳一廟」はありました、お墓は立派なお堂に守られるように立っておりましたが、長年の風雪に土台から崩れそうですので、鉄筋で補強され立っておりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/65/439f800ebf464b48bbba64962c22af39.jpg)
徳一菩薩のお墓
写真の通り大分痛んでおります。今にも崩れそうですが、鉄に支えられて何とか立っているかのようです。
何しろ広いお寺ですので、移動しているだけで、時間は進んでしまいます。徳一菩薩をお参りして車に戻ると12時です。
まだお腹は空いていないという事でしたので、帰ることになりました。
3日間の旅でしたが、実に中身のある旅になりました。訪れる市町村の観光課や観光協会の皆様に助言を頂きながらの旅でした。
そして、それぞれの市町村の対応の違いも面白く経験させていただきました。
官僚的なところ、親身になって何度でも相談に乗ってくれるところ、実に様々でしたが、私にとりましてはいい勉強になりました。
そして、私の備忘録的ブログにお付き合いくださいました皆様ありがとうございました。
明日からお稽古が始まりますので、いつも通りのお茶のことなど書いて行こうと思います。
宜しくお願いいたします。
梅雨はどこへ行ったのでしょう。今日も爽やかな日差しが若葉にふりそそいでおりました。
新しい週の始まりはいつもの通りストレッチです。
午後の1時間いい汗をかいてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ca/cc27a0f671744b5df27085fff02627e6.jpg)
白オダマキ
私の備忘録的な綴りも今日が最後になると思いますが、「会津の旅」の続きです。
8時10分。
この日は早めの出発になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/68/62484849d386b12c505151866d58549a.jpg)
国宝の象徴
勝常寺は、隣の湯川村という周りを田んぼに囲まれたところにありました。
ここ勝常寺は、会津中央薬師とよばれ会津五薬師の象徴的な存在になっております。
そして、本尊の木造薬師如来坐像、両脇侍像の月光菩薩立像と日光菩薩立像の三体が国宝に指定されているという驚きのお寺さんなのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4c/6f082451f2f8aa86200cd3c08e69ebed.jpg)
薬師堂
午前9時の約束でしたので、10分ほど早く到着いたしましたので、駐車するスペースを探したりしている間に、ご住職が鍵を片手にお出でになりました。
挨拶もそこそこに観音堂へ導いてくれましたので、国宝の薬師如来像の前に座って説明をうけましたが、お坊さん特有の透き通る声ですので心の中までしみ渡ってくるような感じがいたしました。
このお堂は、国の重文になっておりますので、火災への配慮から電気もなく薄暗い中ですが、慣れてくれば薬師様は充分拝見することができます。
気がついて、本尊両脇の、月光菩薩立像と日光菩薩立像がいない事の理由を聞いて見ると、「国宝に指定された時に、収蔵庫を建てそこに移しなさいという国からの指示があったのですが、祖父である先々代が猛反対をして、ご本尊だけはここに残せました。」と言っておりました。
若いご住職は副住職でした。
国宝木造薬師如来坐像堪能する事ができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c9/c54921a15f91874b5c497e7ab5ed03bb.jpg)
勝常寺山門
山門脇にある収蔵庫には、国宝の月光菩薩立像と日光菩薩立像をはじめこの寺を開いた「徳一菩薩」の坐像などがたくさん並べてありました。
この国宝の月光菩薩立像と日光菩薩立像ですが、正面から見るとスマートな立像ですが、横から見ると今、よく言われるメタボなお腹をしておりまして愛らしい・・・。
やはり、仏像はあるべき場所に安置するのが一番だという事をしみじみと感じさせてくれました。
何となくもう少し居たい、と思う気持ちを押さえ込んで次の八葉寺へ向いました。
カーナビのお陰で10時ちょっと前には到着。
八葉寺は空也上人ゆかりの寺で上人の立像やお墓のあるお寺です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fd/c6b8f845257b41db0f373cf4bafb5953.jpg)
阿弥陀堂 国重文
茅葺屋根の阿弥陀堂が象徴的なお寺で、奥の院から空也上人のお墓、そして、空也堂とゆっくり参拝しても時間を気にしなくても良いほどのお寺さんでした。
奥の院と呼ばれております建物は、茅葺の茅が崩れてしまいそうなほど痛んでおりましたが、修理もままならないという現状だそうです。
しかし、境内のあちこちには、個人のお墓がたくさんありましたが、どれも立派な造りで、ちょっと考えさせられました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a3/72fc754808d7df71c07b6a8b0cf16291.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/24/cccac174b3921d609be353ead071776b.jpg)
空也上人像 空也上人のお墓
空也堂内には、空也上人像が安置されておりました。空也上人独特の持ち物を持っておりますから直ぐに分ります。
ここのお寺は、宗派を問わないという珍しいお寺で、地元では、「冬木沢詣り」というそうです。
今でも空也上人が踊りだしそうなお寺でした。
30分ほどで八葉寺を後にして、恵日寺へ向いました。11時の到着です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/db/54b3ce84a4525b7e52444bbb65c1b9f6.jpg)
再建なった金堂
恵日寺は徳一菩薩が会津での活動の拠点ともいえるお寺で、今でもあちこちで発掘調査が行われております。
真っ赤な金堂と中門が象徴的なお寺ですが、何だか心寂しいものを感じながら拝観して参りました。
金堂内は、勝常寺の国宝三体の写真が大きなスクリーンのようなものに下げられ展示されておりましたが、ほんの2時間前に本物を拝観して来た私達にとっては・・・・何も言うことはありませんでした。
同行の皆さん「あれ~・・」言葉が出ません。徳一菩薩まで写真で鎮座しておりました。
外観は立派でしたが中身は・・・・
早々に抜け出し、徳一菩薩のお墓に向かいました。
このお寺では、徳一菩薩をお参りすることが最大の目的でしたから・・・・
このお寺の一番奥まったところに「徳一廟」はありました、お墓は立派なお堂に守られるように立っておりましたが、長年の風雪に土台から崩れそうですので、鉄筋で補強され立っておりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/65/439f800ebf464b48bbba64962c22af39.jpg)
徳一菩薩のお墓
写真の通り大分痛んでおります。今にも崩れそうですが、鉄に支えられて何とか立っているかのようです。
何しろ広いお寺ですので、移動しているだけで、時間は進んでしまいます。徳一菩薩をお参りして車に戻ると12時です。
まだお腹は空いていないという事でしたので、帰ることになりました。
3日間の旅でしたが、実に中身のある旅になりました。訪れる市町村の観光課や観光協会の皆様に助言を頂きながらの旅でした。
そして、それぞれの市町村の対応の違いも面白く経験させていただきました。
官僚的なところ、親身になって何度でも相談に乗ってくれるところ、実に様々でしたが、私にとりましてはいい勉強になりました。
そして、私の備忘録的ブログにお付き合いくださいました皆様ありがとうございました。
明日からお稽古が始まりますので、いつも通りのお茶のことなど書いて行こうと思います。
宜しくお願いいたします。