tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

金太郎というお蕎麦屋さん

2011-09-30 19:35:16 | 日常雑感
今日も過ごしやすい一日でした。
昨日から車で御殿場まで行って来ました。あちこちと用事を済ませ丁度時分時でしたので、何を食べようかと、キョロキョロしていると「金太郎」という看板が目に止まりました。足柄山の金太郎です。



何屋さんかとおもいきや、お蕎麦屋さんでした。名前に惹かれる様に中に入ると、古民家のような作りの雰囲気のあるお店でした。その中で、ガラス越しに一心不乱におそばを打っている職人さんが一人。額に汗をにじませての蕎麦打ちでした。


天ぷらざる蕎麦を注文しました。

かなりのボリューウムでしたが、美味しかったのであっさりといただきました。腰のある実に旨いお蕎麦でした。

途中富士吉田の道の駅に立ち寄ると、珍しい光景に出会いました。


富士山からの贈り物

富士山に降った雨や雪が数百年かけ湧き出したといわれている伏流水です。大勢の人達が水を汲んでおりました。飲んで見ると何ともいえないまろやかな味で美味しい水でした。大勢の人が集まるのも無理もありません。

私達は、ペットボトルに頂いて帰って来ました。今飲んでも美味しい水です。
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謡曲「竹生島」と禅語

2011-09-28 18:46:25 | 茶の湯
今日も静かな過ごしやすい一日でした。

今週のお軸は「玉兎清波遊」です。
このお軸の語句は、謡曲「竹生島」の一節を元に揮毫されたものです。


正眼寺 谷耕月老師筆

琵琶湖に浮かぶ竹生島は、宮島、江ノ島などと共に、七福神のうちの弁財天を祭っております。この竹生島を舞台として、謡曲「竹生島」があります。

物語の内容を簡単に記して見ます。
延喜帝(醍醐天皇)にお仕えする朝臣が、竹生島の弁才天の社に詣でようと従者を連れて琵琶湖にやって来ます。
丁度、折り良く湖畔で出会った老いた漁師と若い女の釣り舟が近づいて来たので、便乗を頼んだところ快く乗せてくれたのです。
一行はのどかな春のうららかな景色を眺めながら竹生島に向う。

竹生島へ着き、老人は朝臣一行を神殿に案内します。すると、連れの若い女も一緒に付いて来るので、朝臣は老人に「竹生島は女人禁制のはずなのに」、と問いかけます。すると二人は、弁才天は女神であるから、女性をお隔てにはならないと言い、竹生島明神の故事来歴を朝臣に語り聞かせます。
その後若い女は、自分は人間ではないと明かして社殿に入り、老人は湖の主であると告げ、波間へ消えて行くという物語です。
この謡曲「竹生島」の中で最も知られているのが次の一節です。 

「緑樹影沈んで、魚木に上る気色あり。 月海上に浮かんでは、兎も波を弄るか。」

(島の緑樹の影が湖面に映じて、それは、まるで魚が木に登る様に見えるし、空に浮かぶ月も、湖水に映じるので、まるで月の兔が波の上を飛び跳ねながら渡っているようだ。)こんな意味でしょうか。

ちなみに、家紋や焼き物の図柄で親しまれる日本の伝統的文様「波兎」は、「竹生島文様」という名を持っている。湖面に映る月、その周りに兎が湖上を奔る謡曲『竹生島』に由来するのだと云われております。


「竹生島文様」といわれる文様の布


布で作った袋

私はこの文様が好きで、カメラ用・ビデオ用・ペットボトル用といった色んな物に「波兎」の袋を使っております。





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酔芙蓉その後

2011-09-27 19:32:51 | 日常雑感
過ごしやすい日々が続いております。
昨日からの続きでもあります「酔芙蓉」を少しだけ書いて見ます。昨日は暗くなってしまい写真に撮れなかった「酔芙蓉」の名前の由縁でもあります色の変化を載せて見ました。


朝一番で撮りました

真っ白の花から少しづつピンクに変化をして行く花を見ていると穏やかな気分になります。そして、朝日があたり始めると、完全に赤くなって花びらを閉じてしまいます。写真の、奥に拳のように赤くなっているのが花の終わりです。

命名した人に拍手です。


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穏やかな一日に

2011-09-26 19:24:05 | 日常雑感
今日も穏やかな一日でした。夏の服装で表に出ると少し肌寒く感じるくらいです。
朝、いつものように植木に水やり行くと、我家の「酔芙蓉」が咲き始めておりました。


真っ白に咲き始めますが・・

「酔芙蓉」は名前の通り、咲き始めは真っ白ですが一日が終るころになると薄っすらとピンク色に染まってきます。そんなところからの命名でしょう。

今日も、いつものように散歩に出かけましたが、半袖のままでしたので肌寒く直ぐに引返してコートを着込んでの散歩になりました。
散歩コースには、それ程広くはありませんが田んぼがあります。実った稲が頭をたれるように静に風に身を任せるように揺れておりましたが、先日の台風で半分以上が倒れておりました。

機械での刈り取りですから大変でしょうに・・・と思ってしまいましたが、そんな話をしたら、友人が「今の機械は倒れた稲を起こすようにきれいに刈り取ってしまうよ」。そんな事を聞いてなるほどなぁ~。



散歩の話に戻りますが、余り夕日が綺麗だったので、小高い丘の上から写真を撮って見ましたが小さいカメラと私の腕ではこれくらいの写真で我慢でしょう。

家に帰ってからは、大急ぎで「酔芙蓉」の写真です。ほんのりと色づいたところを写さなければ・・・。

しかし、夕焼けの写真にこだわって少し時間をかけ過ぎたようで、家に帰った時には暗すぎて写真は無理のようでした。



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母を送った日に思う

2011-09-24 19:13:39 | 日常雑感
今日も穏やかな過ごしやすい一日でした。

今日24日は15年前に亡くなった母の命日です。丁度お彼岸の最中でしたので忘れてしまう事はありません。
母は15年前、同居していた兄の家族と食事を済ませ自分の使った食器を片付けようとした時に「お父さんが迎えに来た」とつぶやくように言うのとその場に崩れるように横になったそうです。

そのまま意識は戻らず、小さな息をしながら25日間生きながらえてくれました。
この25日は私達子供にとりましては貴重でした。母が死んでしまうという現実を回避しようとしている自分と、冷静に受け止めている自分との気持ちの差を埋めるのに、あの25日間の一日一日の積み重ねが、覚悟を決めるのに必要な日数だったのかも知れません。

告別式の当日、兄から、「お前が一番可愛がられていたのだから、親族代表の挨拶をしなさい」と言われ、挨拶をすることになりました。

大急ぎで挨拶を考え書き上げたものが今でも残っておりますし、鮮明に覚えております。

「本日は・・・で始まり、・・・母は明治40年の生まれでございます。今年で丁度90歳という事になります。年には不足はありませんが、やはり、母親の死に直面する悲しさは想像以上のもので私達にはこたえました。
8月31日に倒れて25日間が私達周りの者に覚悟をさせてくれるのに必要な時間であったのかもしれません。そんな母に感謝をしながら送りたいと思っております。
本日は・・・・。」で終った挨拶でしたが、15年経った今でもその時の状況を忘れる事が出来ません。

嗚咽をこられながら必死な思いで挨拶を終えた私にとっては、それだけ母の存在が大きかったといえます。
そんな母に今でも感謝です。


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キレンゲショウマがもう直ぐに

2011-09-23 19:06:25 | 日常雑感
今日はお彼岸、穏やかな過ごしやすい一日でしたが、夕方から雲がモクモクと現れ、カミナリが鳴ったり、雨がぱらついたり、そしてお日様が顔を覗かせたりと目まぐるしい夕暮れでした。そんな夕暮れでしたが、初めてダブルレインボーを見ました。この虹を見ると願いが叶うとか・・・。

朝一番で野草棚に水をやりに行くと、キレンゲショウマの蕾が開く寸前の綺麗なところでした。


キレンゲショウマもう直ぐ開花

この花のは、東京大学植物学教室初代教授の矢田部良吉博士の命名で、日本人として最初に発見した植物の属種として知られています。また、世界的にも稀少植物の一つであるといわれております。
ユキノシタ科キレンゲショウマ属の多年生大型草本で、キンポウゲ科のレンゲショウマに似た植物であることから和名を「黄蓮華升麻」と書きます。


風で傷ついております
 
山では8月上旬ごろから咲き始めますが、人の手で育てられているものは、9月に入ってから咲き始めます。

我家に来てから十数年経ちますが、毎年3~4本の芽を出し花を咲かせます。分けてくれた友人はすでに絶えてしまったと嘆いておりますが、里帰りさせるほど増えもしませんので分けてもあげられずにいます。最も、友人は「うちへ来ると絶えちゃうから・・・」と言っておりますので私もその気になっておりますが・・・。

毎年お彼岸の頃咲きますので一本頂いてご先祖様に供えております。きっと喜んでいると思っております。
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上高地の写真談義の末に

2011-09-22 18:47:49 | 日常雑感
ゆっくりとした台風が強い勢力のまま日本を縦断するように駆け抜けて行きました。このところの天候は、程ほどという事が無くなって、豪雨、暴風といった凄まじい天候が台風となってやってきました。
そんな日でしたが、6月に上高地を撮影に行った面々が集まり上映会を行いました。


仲間の作成したブルーレイ

テレビに映る映像を見ながら、それぞれの感想を述べるのですが、各自の個性がよく出ており実に面白いと思いました。特にBGMは、その人の人柄まで分かるようで面白い。そして、内容はといえば、この人は何を主に撮っているかも分かります。私もそうですが、自分では意識をしない内に撮影をしているのだと思います。

同じところを撮影していても、見る角度や撮り方によって「こんなに違うんだ」と思わず声が出るほどの違いなど改めて感じてしまいました。やっぱり、写真でもビデオでも、行った仲間と鑑賞会をすることが上達の道かも知れません。

また、今日は秋の味覚をいただきました。Tさんからはたくさんの茸を、Sさんからは、ししとうを頂戴しましたので、今晩早速いただきたいと思っております。


Tさんから頂いた「はたけしめじ」


Sさんから頂いた「ししとう}

今日は収穫の多いい一日となりました。皆さんありがとうございました。


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お彼岸に母を偲んで

2011-09-21 17:59:49 | 茶の湯
再びゆっくりとした台風がやって来ております。今年の台風は猛烈な雨が特徴らしく、来襲の度に各地に災害をもたらしております。
昨日は彼岸の入りで、この時期になると母を思い出します。母は15年前、彼岸の明けない24日に文字通り彼岸に行ってしまいました。
連日台風のニュースばかりですが、お稽古はあります。毎年この週のお稽古には、秋の彼岸と母の命日とが一緒ですので、床の間には般若心経の軸を掛け、ご先祖様と母を偲んで一碗を捧げております。


「高麗版木般若心経」

お軸の般若心経は、韓国へ行った際に、海印寺で購入してきた物を軸装にしたもので、「高麗版木般若心経」です。
この版木は製作年代がはっきりしていて、1238年といいますから、今から772年前に作られたもので、白樺を使用して3年間海水に浸し、「一字彫一礼」をくり返し、15年の歳月を費やして、81258枚を作りあげたそうです。版木は世界遺産に登録され、韓国海印寺に保管されております。一見の価値ありです。



花入は、経筒を使い、今我家に咲いているタカノハススキ・サクラダデ・ヤブミョウガを活けました。

すでに台風が通過したところ、これからピークを迎えるところとありますが、大きな災害にならなければと祈り願っております。

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草津温泉でジャズ再び

2011-09-19 19:09:10 | 日常雑感
連日暑い日が続いておりますが、昨日から草津温泉へ出かけておりました。
8月に続き草津のホテルでのジャズライブがあり、そのお手伝いに行って来ました。


 演奏 ディキシー・ダウン・ビーツ

このバンドも草津のホテルでの演奏会が5年になるそうですが、リーダーを含め3名いる78歳の老トリオも元気そのもので、45分の演奏を2回ほど続けてもなお意気盛んでありました。

今回は「敬老の日」にちなんでの演奏会であったため、それに沿った構成でプログラムが作成されておりました。
曲目も、ディキシー・ランドジャズのスタンダードナンバーの他に「森の小径」や「青い山脈」など皆さんが口ずさめるような曲や、誰もがうきうきしてしまうラテンのナンバーなどを交えての演奏会でありました。

もちろん撮影をしている私も楽しく、そしてノリノリでファインダーを見つめていたのは云うまでもなく、最後に、「アンコール」「アンコール」の声により「夕焼け小焼け」の演奏で今回のライブは終了いたしました。



終ってからがこの人達は凄い。打ち上げと称しての飲み会が始まり、音楽談義に花が咲き咲き始めたら中々散ることはありません。
夜中の2時過ぎまで大盛り上がりです。80歳に手が届こうかという人達が・・・。全く驚きです。

人間、好きな事を気の合う仲間と共有しながら楽しんでいる姿を近くで見ていると、人との繋がりの大切さを改めて実感させられます。それにしても皆さん凄い


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禅語 「萬古清風」

2011-09-17 18:56:58 | 禅語今昔
今日も蒸し暑い一日でしたが、南の海を二つの台風が並んで進んでおります。
今日の稽古のお軸は「萬古清風」でした。


萬古清風 山田無文老師筆

はるか昔から清らかな風が、変わる事無くそよいでいる。
「古来より伝承されている日本の文化伝統を永遠に継続していく。」私はこんな風に理解して拝見しております。

9月15日の毎日新聞の「余禄」に面白い記述が載っていたのでそのまま書いてみます。

「古今著聞集」という書物に嘉保2(1095)年8月の宮中の虫とりの様子が記されている。
帝より侍童や従者に嵯峨野で虫を取ってくるようにとの詔があり、紫色の糸をかけた虫篭を与えられた。-中略―

道中に「野に虫を探す」との歌題が出され、嵯峨野で夕刻までの間虫を探した。内裏へ帰ると、虫と共に萩や女郎花を入れた篭が献上され、宮中は酒宴と歌の朗詠で盛り上がったという次第だ。
虫取りと、虫の音を聞きながらの宴が王朝の半ば公的行事のように行われる国は他にあるまい。-中略―

残暑続く9月、草むらの虫の音が告げてくれる秋の訪れだ。今やその種類を聞き分けられる人も少なくなった日本人である。だがこの季節、「心地良いながらも胸苦しい秋の美、夜の声の不可思議な甘さ」(小泉八雲「虫の演奏家」)に思い当たらぬ人はまれだろう。

外国人は虫の音を機械の雑音と同じく右脳で聞くのに対し、日本人は虫の音を言語と同じ左脳で聞いているというのが、脳科学者の角田忠信さんの説だった。この違いは日本語の特性に根ざすというが、私たちは虫の「声」を聞いているのだという話ならよく分かる。虫だけでなく鳥のさえずりや川のせせらぎも「声」のように聞いてきた日本人だ。
震災と原発災害の秋、ことさらいとおしく思える小さな自然の営みに目をこらし、その「声」に耳をすませたい。

「萬古清風」。日本の美しい伝統を大切にしながら、次の世代に確実に継承して行かなければとしみじみと思う昨今です。

明日は出かけますのでお休みです。


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