tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

初風炉 ~炉から風炉へ~

2011-04-30 18:28:46 | 茶の湯
爽やかな季節になり初風炉の茶事をいたしました。

茶の湯では、5月から10月までを風炉でお稽古、11月から4月までが炉の季節です。5月前でしたが先生のご都合や皆さんの都合などを考えて29日にお茶事を行いました。
当日は打ち水のされたお庭から席入りです。お茶室に入ると、伝衣老大師のお筆による「聴雨観風」のお軸に迎えられました。



床前に進みゆっくりと拝見できました。(どんな意味だろう??何と読むのだろう?)その意味は後で分かりました。「難しい事を考えずに、見たとおり、感じたとおりそれでいいでしょう。」ということでした。「雨を聴き 風を観る」と読み、難しく考えず素直に感じればよいそうです。

挨拶の後、いよいよお懐石が始まります。



亭主が運び出してくれたのは、お茶事では定番の折敷に四つ碗を並べた本格的なもので、一文字のご飯とお味噌汁、そしてお造りです。人数分運び終えたご亭主から「どうぞお箸のお取り上げを・・・」と進められてやっと食べられます。でも、お造りはお酒が出るまではいただけません。

約束事の多い食事ですが、これをマスターできればどんなところでも堂々と食事をする事が出来ます。

お茶事はまだまだ続きます。食事をいただき、濃茶・薄茶と続きます。後4時間くらいかかるかな~~。

この続きは後日にしたいと思います。

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山芍薬が見事に咲いた

2011-04-27 19:19:09 | 徒然日記
4月7日に植え替えた草々の中で、2週間足らずで山芍薬が一番に咲きました。この花はキンポウゲ科に属し、あまり人の入らない奥深い山々に咲きます。
野生の山芍薬に出会うのは奇跡に近く、出会えた人は幸運としかいいようがありません。少しの風にもハラリと花びらが落ちてしまいます。



この時期山芍薬に会いによく山に出かけますが、散っていたり、硬い蕾だったりと中々咲いているのは見ることが出来ません。
最近はカモシカが多くなり、若芽が出ると食べられてしまい一層見られなくなってしまいました。毎年その場所に行くとカモシカと出会い、しばらくのにらみ合いが続きます。



山芍薬を初めて見たのは、ある雑誌に茶花の特集を組む事になり、取材に同行させていただいた時でした。見た瞬間その場に座りこんでしまったような記憶があります。全身がしびれたような鳥肌に襲われ立っていられなかったのかも知れません。
あれほど神々しい花が人知れずポツリと咲いているさまは、正に「百花春到為誰開」です。
昔から、多くの茶人に「この花を生けることができれば最高の幸せ」と言わしめた由縁がよく分かります。

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利休遺偈 井ノ部康之著

2011-04-26 19:23:07 | 本棚の中から
もう直ぐゴールデンウイークと云われる連休が始まります。楽しみにしている方も大勢いらっしゃることでしょう。
何処にも出かける予定の無い方は、本など読んで過ごしたらいかがでしょうか?

今回紹介する本は、久振りに一気読みをしてしまった本です。何が面白いかといえば、茶道の家元の成り立ちや、ご苦労がこと細やかに書き込まれていることです。



利休亡き後、悲惨な憂き目に会いながら家を再興した千家が、表・裏・武者小路の三家に分かれて行ったかなど、茶道に興味のある方なら一読の価値があると思います。

一応小説ですから、そのことを踏まえて読んでいただくと良いと思われます。
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禅語 柳緑花紅

2011-04-23 10:26:12 | 禅語今昔
炉の季節最後を飾るお軸は「柳緑花紅」だと思います。

4月に入るとお茶会でよくお見かけいたします。穏やかな風に揺れる芽吹きの柳と日本人の大好きな桜を連想させる「柳緑花紅」はこの時期のお茶席にピタリと収まります。



この禅語は、眼の前に見えるあるがままの姿を素直に述べているに過ぎない語句でありますが、昔から茶人の好みに合いよく茶掛として揮毫されております。

本来の意味は、人間はもとより獣魚草木に到るまで、一切の存在は宇宙の大生命であり、仏教のいう一味平等である。しかし、その働きは千差万別であり、万物がみなそれぞれの個性を発揮しながら存在し、相依り、相扶けて美しい調和の世界を地上に現わしている。そんな意味だそうです。

でも、この爽やかな時期にこの軸に出合ったら、美しいままを受け止めて、柳の緑と花の紅を素直に味わっていただければ十分だと思います。
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山吹草が咲いた

2011-04-21 19:24:11 | 徒然日記
すっかり春めいて来ました。
我家の庭に待ちどうしかった「山吹草」が一輪咲き始めました。名前の通り山吹にそっくりな花を咲かせます。

3月の下旬に可愛い芽をのぞかせ、寒い日には様子を見ており、暖かな日には見た目に分かるほど伸びます。こんな観察をしていると、植物の凄さをまざまざと見せ付けられたように感じます。



山吹草は、ケシ科に属した花で北海道を除く各地の日当たりのよくない山の斜面などを好んで咲きます。花の直径は4~5センチ、丈は20~30センチといったとこでしょうか。
5月の連休ごろ、山歩きをしていると薄暗いところに明かりを灯したようにポツリと単体で咲いているのをよく目にいたします。群生をするということですが見たことはありません。


写真は、昨年の5月に山吹草とホウチャク草を生けたものです。

今年もタイミングが合えば同じ花を生けられるかも知れません。

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心に旗を立てよ 紀野一義著

2011-04-20 19:13:18 | 本棚の中から
自分に「どんな本が好きですか?」「作家はどなたが好きですか?」と聞かれれば、迷う事無く、「歴史小説」そして「司馬遼太郎」と答えます。司馬遼太郎さんの表現の的確さと解りやすさは、よく「司馬史観」などといわれております。読者を300年、400年も前の時代に引っ張り込んで行く筆力は追従を許さないものがあります。

今日紹介する本は、前回と同じ「紀野一義著 心に旗を立てよ」です。

あれほど司馬遼太郎さんを絶賛して置きながらと思うでしょうが、紀野一義さんは別の凄さを持った方で、読みながら心が洗われるような気がしたり、くよくよしていた自分がちっぽけな人間に見えたり、つまらない事に迷っている事の愚かさを教えてくれたりと、そんな様々な事を一手に引き受けてくれるような本のように思います。



本の中では、仏教を通して見る先人方の生き方を様々な角度から解りやすく教えてくれております。


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茶道具の声に耳をかた向けよう

2011-04-16 16:21:32 | 道具は語る
この時期、何処のお茶席へ行っても桜尽くしの取り合わせが多く、工夫をしないと中々印象に残らないようです。茶碗、棗、茶杓などが桜にまつわる道具が多く見られます。
そんな中に、「都鳥の香合」が飾られていたら何を感じるでしょう。


写真は、花筏に乗った都鳥です。

桜に都鳥といえば直ぐに謡曲の「隅田川」を思い浮かべる人が多いかと思います。
謡曲の「隅田川」では、人買いにさらわれた我が子の悲しい運命と、その子を捜し求める母親の絶望をテーマにした物語です。
少し長くなりますが、内容を紹介しておきます。
世阿弥の長男観世元春の作で、父世阿弥の幽玄な世界観から脱し、元春は現実性を求めたリアリステイックな作品を数多く残しております。
都の公家で北白河に住んでいた吉田某の妻は、その子梅若丸を人買いにさらわれ、悲しみ嘆いたあまりに狂気となって我が子の行方を尋ね歩くうちに、遂に武蔵の国隅田川のほとりに辿り着きます。

狂女となった彼女を、船頭はなかなか船に乗せようとしません。すると狂女は「名にしおはば いざ言問はむ都鳥 わが思う人は ありやなしやと」、という業平の古歌を思い出したのです。業平は妻を、今の自分は我が子を尋ねているが、その思いは同じだと嘆きます。船頭は哀れになり狂女を船に乗せ川向こうに連れて行きます。

川向うの大念仏は、一年前人買いに連れられてきた子供が病死したのを人々が不憫に思い回向しているのだと語ります。そして、その子が、「たづね来て とはばこたえよ都鳥 すみだの河原の 露ときへぬと」と詠んで息を引き取ったことを話します。
それこそ尋ねる我が子の梅若丸と分かり、狂女は泣き伏します。船頭に助けられて岸に上り、念仏を唱えていると、わが子の声が聞こえ、その姿がまぼろしのように現れますが、そのまぼろしは夜明けと共に消え失せ、あとには草の生い茂った塚があるだけでした。

お茶を楽しむ方法は沢山あります。
美術館に展示されているような高価な道具を揃えたお茶会や、能や謡曲、歌舞伎や浄瑠璃、そして歌などから、ひとつのテーマを決めて道具を取り合わせて道具に茶趣を語らせるお茶会や、煩わしいことは一切なしにして、ただ、美味しいお茶をいただくというお茶など色々あります。

都鳥の香合ひとつで、謡曲隅田川を思い浮かべるのは難しいと思いますが、お茶会に出かけたら道具を拝見して、その道具が何を語っているかを考えながらお茶をいただくと、より一層美味しいお茶になると思います。

よくお茶は総合芸術だとよく言われますが、勉強するのにこれほど面白い事は無いように思います。奥が深く更に深く感じますが、でも闇ではありません。闇の中を手探りで歩いて行くのではなく、良き師匠に出会い、良書にめぐりあって、その気にさえなれば迷う事無く歩を進める事は出きるのです。

現在隅田川に架かる橋で、「言問橋」「業平橋」そして、有名な「言問団子」はこの物語からの命名ですので、普段の生活の中に、梅若丸や在原業平がごくごく普通に生きている事の明かしでもあります。


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お稽古 其の2

2011-04-15 18:44:35 | 茶の湯
昨日のお稽古での床の間の飾りを書くことが出来ませんでしたので続きを書こうと思います。



床の間には、涼やかな青磁のつる首に連翹(れんぎょう)に、紺侘介が生けてありました。
連翹の名称は、漢名をそのまま使っており、長く伸びた枝に花のつく様子が、鳥が羽を広げたような形からの命名で、翹は羽を意味するそうです。
紺侘介は、4月に入ると咲き始める花で、椿がつぼみを使うのに対して、侘介は開花した枝を生けます。花は名前の通り濃い赤色です。

理由はわかりませんが、温かくなってから咲く椿には、黒椿、黒侘介、崑崙黒といった黒を冠した花が多くなっております。

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お稽古

2011-04-14 18:33:30 | 茶の湯
炉のお稽古も終盤になってまいりました。今日は薄茶のお稽古。花尽くしの取り合わせでの楽しいお稽古になりました。



お茶碗は、花見団子の絵で、団子が大きく描いてあります。花より団子・・ウフフ。水指は、高麗渡釘彫草花紋だそうで、相当古そうでした。桜の下で宴を繰り広げる周りには、少しだけ延び始めた草や小さな花々、それだけで春爛漫を想像していただけると思います。

いよいよお稽古の始まりです。


拝見が始まります。

客 お棗は?
主 柳桜蒔絵中棗でございます。
客 お塗りは?
主 真斎の作でございます。

客 お茶杓のお作は?
主 大亀老師の作でございます。
客 ご銘は?
主 花錦でございます。
客 ありがとうございました。

こんなやり取りでお稽古が終りました。

昨日今日と温かい日が続きましたから桜もちり始めることでしょう。そして、桜前線も、もう直ぐに避難されている皆さんのところへと進んで行きます。お花見など出来ないでしょうが、少しでも和んでくださればと心から思っております。


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禅語「百花春到為誰開」

2011-04-11 18:19:27 | 禅語今昔
春はあらゆる生命が躍動する季節です。そして、無限ともいえる喜びと可能性を私達に感じさせてくれます。

「百花春に到って誰がために開くか」と、この禅語は語りかけております。

花は誰のために咲くのでしょう。もちろん、花には邪心などありません。あるのは、季節を感じ、その時節を感じ、ただ一心に咲こうという使命だけで精一杯咲いているだけです。



今、あの震災以来、テレビを見ては涙。新聞を読んでは涙。という方も大勢いると思います。それは、その人の感性ですから、人に言われて修正できるものではありません。でも、この感性豊かな方は、きっと花を見ても綺麗な景色を見ても感激できる心を持った人だと思います。

一輪の花に感動できる感性を養って行きたい。そして、人のために涙を流せる人間になりたいと常に思っております。



観音様の後には樹齢140年といわれる枝垂桜です。訪れた人は、観音様を通じ誰もが綺麗に咲いた桜に手を合わせ心でそれぞれの想いを念じているのです。
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