tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

なごみ1月号は・・・

2013-12-16 18:26:38 | インポート
12月16日(月)
寒い朝でした。いよいよ本格的な冬になりました。

月曜日はストレッチから始まります。
今日も行って参りました。
1時間筋肉を伸ばし、関節に負荷を与え、いい汗をかいてまいりました。

ストレッチをすると足の長さ、手の長さが同じになるそうです。
今日は、最初に自分の手足の長さの違いを隣の人に確認してもらってからのスタートになりました。
私の場合は、左足が長く、右手が長いそうでも自分でも驚きました。1時間のストレッチの後に再度確認をすると、不思議なことに同じになっておりました。

それでもいつもの通りの生活をしていると直ぐに戻ってしまうそうです。



なごみ1月号淡交社刊

1月号の本が送られてきました。
これを見ると歳の変わることを実感いたします。

今月号は読みごたえのある特集が組まれております。「四百年生きた名物道具」というタイトルで、「山上宗二記」に見る茶の湯のすがたを大特集です。
写真も見ごたえがありまして、「流れ閻悟」や「山上宗二記」「新田肩衝」「初花肩衝」などが、これでもかというほどカラーで掲載されております。

山上宗二は小田原の陣の最中に秀吉の逆鱗に触れ、箱根早雲寺で耳や鼻をそぎ落とされて亡くなっております。
ものの本などによると、秀吉と対面する前に利休に「素直に謝れ、許しを乞え」と言われたそうですが、誤りもせずにおりましたために殺されてしまいました。

晩年、利休が同じ立場になり、周りの人たちから「誤れば許してもらえる」と盛んに進められたのに死を選んだ利休は、宗二の気持ちがわかったに違いない・・・


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灰形を作る向うに待っているのは・・・

2013-07-18 18:37:57 | インポート
7月18日(木)

涼しい朝でしたが、時間が進むごとに気温が上がり、甲府では43度を記録したそうで、これは明らかに異状です。
そんなニュースと共に、各地の大雨の報道もあり、何だかおかしな日本列島です。

午前中に期日前投票に行って来ました。

理由のところで考えていたら、「どこでもいいですから〇を付けて下さい」という声に振り返ると、係りの男性が立ってじっと見ておりました。

前回の時に、旅行のところに〇を付けたら、「どこへ行かれるのですか?県外ですか。県内ですか」と問われたので、今回は旅行欄の〇は避けました。

午後からは、明日からのお稽古の準備です。
まずは、風炉の灰形です。



道安の灰形

灰は篩わなければなりませんから、やはり掃除前の仕事です。
昨日の雨もありちょっと湿気ている灰ですが、篩っている内に乾いてきたのかいい感じの灰になりました。

風炉に入れ替えて灰形作りを始めましたが、今日は調子がよく30分もしないのに出来上がりました。



琉球風炉

調子が良かったので続いて琉球風炉の灰形を始めました。
こちらもすんなりと20分くらいでできました。調子のよいときはこんなものです。

灰形作りは、風炉の時期には誰もがため息が出るほど難儀な事で、この灰形作りが嫌なために電気でお稽古をしている方を大勢知っております。

しかし、整えた灰形の上に炭を置く時の気持ちは、電気では味わえない豊かなものがあります。

そして、電気では沸騰した時の釜の鳴る音も聞くことが出来ません。
お茶の世界で「松風」といわれる、釜のたぎった音も、電気で沸かしている釜では聴く事ができないのです。

更に、釜の蓋を取った時に立ち昇る湯気も茶室独特なものがありまして、薄暗いお茶室のかすかな光の中に立ち昇る湯気を想像しただけで幸せな気分になれます。

生死をさまよって生還された方が、お茶事の時に、釜の蓋を取った時の湯気に「ああ 生きてて良かった!」と言った時の光景を忘れることができません。

便利さと引換に情緒が無くなってしまう事の寂しさをどうしたらよいのでしょう。
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禅語「行雲流水」

2011-08-28 18:53:41 | インポート
今日は久しぶりに青空がいっぱいに広がり、夏らしい一日になりました。それでも風向きにより雲に覆われたり、晴れ間に変わったりと、一頃の夏の勢いはなくなって来ているようです。
形を刻々と変えながらゆっくりと動いている雲を見ながら散歩をしている事が好きな私は、禅語の「行雲流水」という語句が大好きで、よく床の間に掛けております。


「行雲流水」

行雲流水は、行く雲のごとく、水の流れのように悠々と自在に場所や形を変え、一処不在、無執着、自由に生きる姿だそうで、修行僧のことを雲水という言葉は、これに由来すそうです。
また、出典は、宋の蘇東坡の「答謝民師書」だそうですが読んだことはありません。

でも、そんな難しい事はさておいて、この軸に出合ったら、網代笠を被ったお坊さんでも、ローカル列車に乗っての一人旅でも、又は、見知らぬ街をぶらぶらとしていたり、そんな事を自由に思い描いて楽しめばそれでいいのではないかと思います。
行雲流水、この軸は目の前を一気に明るく、広やかにしてくれるといつも思っております。
コメント (2)
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