tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

5月最後のお稽古は・・・

2014-05-31 18:19:29 | 茶の湯
5月31日(土)
5月というのに、初夏を超えて真夏のような日が続いております。
各地で30度を超え真夏日を記録したニュースが流れております。
今日は自宅でのお稽古でした。昨日同様2月のお稽古日の振り替えです。

   
   
   床の間の花

昨日と同じ花ですが、今朝になったらピンクに変わっておりました。ハコネウツギは白からピンクに変わり、赤くなって散って行きます。
昨日は、白い花ばかりでしたので、今日は変えようとしておりましたら、赤くなり始めておりましたので、そのまま水切りだけして床の間に返しました。

   

   お菓子

お菓子屋さんが届けてくれたお菓子は、「水羊羹」でした。冷蔵庫で冷やした羊羹はまた格別な味がいたします。夏の茶席らしいお菓子でした。

   

   八つ橋茶碗

この茶碗も今シーズン今日が最後です。
5月いっぱいは、皆さんが使っておりましたが、そろそろ限度ですか・・・。
ゆっくり乾かして、茶碗棚に収納となります。

   

   拝見

この棗も今日が最後にしようと思っております。
1か月使っていると皆さん飽きてしまいますから、来月には違う棗を考えております。

「お棗、お茶杓の拝見をお願いいたします。」で始まる拝見です。手先の器用さを問われる所作がありますので、中々できない人もおります。
私も、どちらかといえば苦手な部類かもしれません。

今日もお稽古が終りホットしてひと時を過ごしております。
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夏の花に変わって

2014-05-30 19:55:53 | 茶の湯
5月30日(金)
朝から青空が広がり、各地で真夏日を観測したそうです。それでも、まだまだ家の中に入ればちょっと涼しく感じられます。

今日は4週目ですが、自宅でのお稽古でした。2月の雪でできなかったお稽古の振り替えです。

   

   有馬籠にホタルブクロ・ハコネウツギ・ハチジョウススキ

花も夏の種類に変わり、白花ホタルブクロが咲き始めましたので、ハコネウツギと生けて見ました。
ハコネウツギも盛りを過ぎておりますが、たくさんの花を付けておりますから、探せばまだまだ咲き始めの枝を選ぶことができます。

先生がお稽古をしていたころには、この3種をよく持ってお稽古に伺いました。
どちらも強い花ですので日持ちが良く、先生が3日間使い、最後の日には、最後にお稽古に来る方が、持ち帰ったそうです。

その方は、月曜日がお稽古だそうですが、持って帰ってから、自宅の一番涼しくそして湿気のあるところで2日間大事に保管してお稽古に使ったそうです。
そんな話を聞きますと、毎週持参することも苦にならなくなりますから不思議です。

花もたくさんの人に見ていただけ、花冥利に尽きるというものです。

   

   軸

今日は画賛といわれるお軸です。
お茶会などでは本席には掛けませんが、お稽古ですので気分転換の意味を込めて時々使っております。

カワセミが魚を狙っている画に「水上青々翠」(すいじょうせいせいたるみどり)と賛があります。
今頃の山へ行けば出会えるような光景です。

   

   床の間

今日の床の間ですが、花が白ばかりですので、画賛を選びましたが、花も中々思うように咲いてくれませんので、バランスを考えながら花も生けなくてはと・・・反省しきり

ハコネウツギをもっと赤い花の多いい物を選べばよかったかな・・・。

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下北半島を巡る旅 -5-

2014-05-29 18:29:27 | 日常雑感
5月29日(木)
午前中の爽やかなお天気が午後から一変してヒョウ交じりの凄い雨が降り出しました。
そして数分後にはお日様が顔をのぞかせるという目まぐるしさで、夕方には嘘のような青空が広がっております。
変なお天気です。

今日は、下北半島を巡る旅の最終回にしたいと思います。

17時40分ごろに着いた宿は、むつグランドホテルで、斗南藩が命名した「斗南の丘」に建っております。
今ではむつ市のランドマーク的なホテルです。

予約する時に最上階の部屋をお願いしましておりましたので、希望通り一番上の階の部屋でした。

   

   むつグランドホテル (HPより)

丘の上で尚最上階ですから見晴らしは素晴らしく、むつ市街はもちろん斗南磐梯山全体が見渡せる素晴らしいロケーションです。
そしてホテル自慢の温泉も「斗南温泉」と名付けられております。

部屋から温泉は別棟になっておりますが、その廊下伝いに、斗南藩士の子孫が提供した、貴重な写真や軸、そして、日用品などが展示されていたのには驚きました。
ホテル側も、建設された場所が、斗南藩の本居地となるはずだった丘であることを十分理解しての建設であったようです。

   
   
   朝食

8時30分朝食を済ませて横浜町の菜の花を目指して出発です。
横浜町は昔から菜の花で有名なところで、いつの日か行きたいとずっと思っていたところですので、やっと実現いたしました。

   

   菜の花と風車

ここで栽培されている菜の花は、東京ドーム25個分といいますが、年々作付面積は少なくなっているそうです。
それでも見渡す限りの菜の花は菜の花好きの私たちを十分満足させてくれました。

現金収入の少なかった頃、菜種油を取るために始めたそうですが、今では菜の花が町おこしの一翼を担い、多彩なイベントなどを開催して菜の花の町として、横浜町を支えております。

ここで2時間を取っておりましたが、少し雨模様という事もあり、早々に切り上げて次の目的地の八戸を目指しました。

八戸まで90キロで、今回の旅では一番のロングドライブになりました。
10時に横浜町を出ましたので、12時頃には着くはずです。

横浜町から峠を越えて太平洋側へ出て、大小の湖を渡り順調なドライブですが途中高い金網のフェンスが長々と続くところなど、民家らしいものは見渡らない寒々とした光景が続いておりました。
昼食でも取りながらゆっくりと八戸へと思っておりましたが、カーナビが案内するところは海辺の工場が立ち並ぶ所ばかりですので、食堂など見渡らないまま、蕪島に到着してしまいました。
1時間50分くらいでした。

   

   蕪島神社

情報通りウミネコが空にも地にも・・・ビックリするほどの数です。
そして、名前の通り、蕪の花が盛りを過ぎておりましたが一面に咲いておりました。

車を止めて神社に向かうと、鳥居の脇に沢山の傘が置いてありましたので、全員にその傘を借りて差すように言い階段を上って行きました。
雨は降っておりませんでしたが、傘は差した方がいいようです。云うところの爆弾の直撃を受けないためにも・・・。

右も左もウミネコが卵を抱いております。
カメラを向けても微動だもいたしません。人に慣れ切っているようです。

   

   津波の記録

階段中ほどまで行くと、津波の到達記録のプレートがありました。
同行の誰もが「え!」と絶句。そして、改めて「こんなところまで来たんだ・・・」と、あの日を思い出しました。
今、車を止めてきたところなどひとたまりなかったでしょうに・・・。

   

   蕪島神社境内

ウミネコが卵を抱いておりますが、ここでは本物の猫は来ないのでしょうか?そんな心配が頭をかすめておりました。
ここも30分くらいで離れました。

まだ昼食を食べておりませんので、そろそろお腹も空いてきております。
近くのガソリンスタンドで給油しながら聞きましたが、この近くにはありませんというつれない返事です。

今度国立公園に指定された、種差海岸を左手に見ながら、八食センターまで行くことになりました。あそこなら確実ですから・・・。
八食センターでは1時間それぞれ別行動で散策。

アメ横みたいな感じです。
よくテレビに出てくる七輪村では買った魚を持って行くと焼いてくれるそうですが、持って行った人はおりませんでした。
それぞれ昼食を済ませて14時30分に出発です。

そして、八戸駅東口のレンタリースの店に到着、延べ500キロの行程でした。

   
   
   八戸駅東口

新幹線の乗車まで1時間くらいありましたが、皆さんお疲れのようで、ベンチに腰掛けて動こうとしません。

3日間の旅でしたが、2月頃から準備を始め、特に、八戸市の運営する「地域SNSはちみーつ」の仲間の方々に沢山の情報を頂戴して、万全を期しての旅になりました。
そして、いいタイミングで、「東奥日報」で「むつ斗南藩残照」という連載記事が始まり、たまたま担当記者の方が、はちみーつに登録しておりましたので、その記事を読ませていただく幸運にも恵まれました。

ただ汽車に乗り出かければ旅ができるのに、これ程準備と時間を要したことはありません。
お蔭様で、計画通り、時間通りの旅になりました、改めて皆さんのご厚意に感謝したいと思います。

沢山の情報ありがとうございました。
そして、私の備忘録的なブログにお付合い下さいました皆様に感謝です。
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お菓子も一気に夏へ・・・

2014-05-28 18:22:03 | 茶の湯
5月28日(水)
朝から晴れ渡り予報通り夏日となりました。

今日も大學のお稽古でした。
下北半島への旅があり、一週休みましたのでやっといつものペースになって来ました。

  

  2年生のお点前

昨日同様こちらも1年生が来始めましたので、上級生は自分のお稽古が済んだ人には、1年生を見てもらいました。
こちらの大学では茶道経験者は居ないらしく、全く初めてという人ばかりですので、すんなりと覚えてくれると思います。

   

   お菓子

お菓子屋さんが届けてくれたお菓子です。
「今日のお菓子は何ですか?」と聞くと、「箱に水まんじゅうと書いてありました」という返事でした。

以前にお菓子の銘を聞きましたら、誰もが首をかしげるばかりで解らない事がありました。
お菓子屋さんにお菓子の銘を解るように頼んだのでしょう・・・。

天候も一気に夏ですので、お菓子も夏のお菓子になりました。
つるりとしたお菓子ですので、挟むたびに箸から逃れてしまいます。

誰もが取るのに大変だったようですが、手を添えてやっと自分のものになりました。
取りにくいお菓子を取るのもお稽古です。

そんな訳で、お点前さんがお茶を点てずに待つことがしばしばのお稽古風景でした。
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下北半島を巡る旅 -4-

2014-05-27 18:34:08 | 日記
5月27日(火)
夜半からの雨も嘘のように上がり初夏の日差しが眩しく感じられる朝でした。

今日は大学のお稽古でした。
新入生もほぼ固まり、挨拶や帛紗(ふくさ)の扱いなど少しずつ勉強してもらおうと考えております。
高校生の時に経験しております子が多く、それも流儀が違うため教える方も教わる方も大変ですが、誰もが「頑張ります!」という元気な言葉が帰って来ました。

すんなり覚えてもらえるか、お互いに難儀をするかこれからです。
それでもいやにならないように考えなくてはなりません。

今日も、昨日の続きで下北半島を巡る旅です。

      

   円通寺

斗南藩の藩庁を置いた円通寺ですが、禅寺らしい雰囲気を持った大きな寺院でした。
前回書いたように、この日はお通夜が行われるようで人の出入りが激しく、ゆっくり拝観はできませんでした。

それでもお参りをさせて頂かなくては本堂に入れませんので、庫裏に挨拶に行くと、頭に手拭いを巻いた雲水さんが仕事の最中でしたが、お参りをしたい旨伝えると、私の方を見ないで「どうぞ」と一言、仕事の手を休めることなく返事をしてくれました。

   

   円通寺本堂

本堂に入って見ると、畳の敷き方が違う広々とした本堂でした。ここで斗南藩の重役方が政務をとったのか・・・あれほど立派なお城から、お寺を借りての新しい藩のスタートとなった場所です。

藩の仕事と日新館という勉学の場所でもあったのです。

   

   招魂の碑

境内には招魂の碑が建ち、この地で苦しんだ会津藩の人々の霊を慰めております。

こんな重苦しい雰囲気を後に、斗南藩史跡地に向かいました。



   

   斗南藩史跡地

途中今晩泊まる、ホテルを見ながら16時50分に到着。

ここは斗南藩の人達が「斗南の丘」と名付けて、自分たちの新しい街づくり着手したところです。
前から住んでいた人達すら開墾をしなかった不毛の地でしたから、中々計画通りにはいかないのが当たり前で、ましてや、鋤や鍬など握ったことのない人達の集団ですので、思うように進まず、脱落してこの地を去って行った家族も多かったといわれております。

藩士とその家族は、円通寺周辺の民家に間借りをしての生活だったそうで、下北での過酷な生活が余儀なくされておりましたので、どうしても自分たちの家屋敷を形成して行かなくてはならなかったのです。

   

   僅かに残る土塁跡

藩士には1日一人3合の米が支給されたそうですが、それすら口にしないでお金に換えて、生活を維持していたそうです。
そして、斗南藩では、いつまでも刀を腰にしていては、周辺住民と溶け込めないと考えて、廃刀令を出して、刀を腰にさすことを禁じたそうです。
それほどの覚悟がなければ生活ができなかったのでしょう。

当然藩士の反発もありましたが、藩の命令に従ったといいますが、そのあと、新政府から正式に廃刀令が出されております。
この一件だけでも会津人の先を見る目の確かさを証明しております。

今はわずかに残る土塁だけが往時を偲ばせております。

ここから1キロくらい離れたところに、斗南藩士の墓があるので行って見ました。

      

   斗南藩士の墓の説明

共同墓地ですので、近年整理をした時に沢山のお骨や生活用品が出てきましたので、一か所にまとめたそうです。

   

   斗南藩士追悼の碑

そして、斗南会津会の人達によって「斗南藩士追悼の碑」が建立されました。
この碑の横に、小さなお墓がありますが、裏には「会津藩士」と刻まれておりました。

この地域に点在している斗南藩士のお墓には、共通して「会津藩」「旧會藩」「元会津藩士」と刻まれているといいます。
会津の人たちの強烈な誇りを感じずにはおられません。

余談になりますが、秋篠宮紀子様の曽祖父は斗南藩士であったそうで、紀子様のご長男悠仁様は天皇継承権第3位という立場におられ、斗南藩士の地を引く天皇が誕生するかも知れません。

斗南藩権大参事の山川浩は、「みちのくの 斗南いかにと人問わば 神代のままの 国と答えよ」と言ったそうです。

それほどひどい過酷な場所だったのです。

会津の人たちは、釜臥山を磐梯山に見立て「斗南磐梯山」と呼び、そして陸奥湾を猪苗代湖に見て故郷を懐かしんだそうです。
夕闇迫る中、陸奥湾越しに釜臥山を見るとなるほど、そんな風に見えてくるから不思議です。
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下北半島を巡る旅 -3-

2014-05-26 18:02:05 | 日記
5月26日(月)
朝から曇りがちのお天気です。
西の方は大雨が降っているようですが、こちらも夕方には降り出しました。

今日月曜日はストレッチの日ですので、元気に行ってまいりました。
旅の疲れが抜けきらないのか、今頃になって出てきたのか体がなんとなく重く感じられます。

今日も昨日に続いて下北半島を巡る旅の旅行記です。
12時30分発の「夢の海中号」という名前の船ですが、この名前を聞けば誰でも今風の明るい船を想像すると思いますが、私たちが12時10分ごろ港に着くと、仏ヶ浦から帰ってくる船がありました。

普通の漁船と言った船で桟橋に横付けすると、明るい声で、「お待ちどう様でした」という声と共に、おばちゃんがひとり飛び降りて来ました。
どうやら、この船が「夢の海中号」らしいい・・・。名前とは程遠い船です。
私たちが乗ると、時間など関係ないように直ぐに出発です。

    

   海からの仏ヶ浦

港に事務所がありませんので、お客さんが来ると止まっていた車からおばちゃんが出てきて乗船券を売ってくれます。
どうして事務所が無いかというと、この港は漁港ですので漁業に関係のない事務所は設置不可能とのことでした。

おばちゃんが切符を売って、息子が船を運転してお嫁さんが観光案内をしているそうです。
そんな訳で観光案内役の奥さんは仏ヶ浦にも上陸すらできません。なんかがんじがらめにあっているという感じがいたしました。

30分というコンパクトな仏ヶ浦観光でしたが、上陸してあちこち写真は撮れたし、このくらいで十分です。
斗南藩上陸の地を目指して13時10分牛滝港を出発。

   

   斗南藩上陸の地

1時間ほどの移動で14時15分ごろ到着。
ここは会津から新天地となった下北半島の田名部を目指して新潟港から新政府借り上げのアメリカの船に乗り、藩士とその家族1800名が上陸した場所なのです。
会津藩がなぜこんな北の果てとも云える地に来たかというと、戊辰戦争の罪を一身に受けたことによります。

最後まで抵抗して新政府を悩ませた罰といえます。
日本各地で繰り広げられた戊辰戦争で、国替えになったのは会津だけだからですから、23万石から3万石へと石高が変わりどうして生きて行くのでしょう。
そんな事を胸に秘めての上陸したのがここなのです。

ここも、近年観光に力を入れだしたむつ市ですのでが、大通りからの案内板もありませんので、始めて行く私たちはゆっくり周りを見ながら入って行きました。近くに着くと「斗南藩上陸の地」という新しい標識が建っておりましたが、どこが目的地だかかわからずに行ったり来たりしてしまいました。

中にはこの標識だけを写真に撮って帰ってしまう人もいるそうです。
そう、標識は建っておりますが、「入口」という表記がしてありませんから、右往左往してしまうのだと思います。

私たちのように固い決意で行く人は稀でしょうから・・・。
このころになると、雨がポツリポツリと頭にあたり始めました。

ようやくたどり着いて証拠写真を撮って常念寺に向かいました。
常念寺には約束通り15時に到着。挨拶に伺うと、こちらも法事が入っているそうで、奥様が出てこられて案内してくれました。

   

   阿弥陀如来座像

常念寺には、下北半島唯一の重文の仏像が安置されているお寺です。
大正時代に国宝に指定をされておりましたが、法律の関係で重文となりましたが、そんな人間の決める事など関係なく穏やかな仏像が迎えてくれました。

私たちを迎えてくれたご本尊は、寄木絵作られ漆を塗って、その上に金箔を置いたもので、平安時代に京都で作られたと伝えられ、清浄華院からの拝領だそうです。
阿弥陀如来座像の両脇に控える菩薩様は、いつでも人々を救済に行けるように中腰で控えておりました。珍しい菩薩様でした。

お寺さんのご厚意で真近までよってゆっくり拝観することができました。お許しを得て写真も撮らせていただきました。

      

   菩薩様      

ゆっくりと丁寧な説明をしていただき、お寺を出たのが15時30分。30分いたことになります。
拝観もこれくらいの時間が丁度良いようです。

続いて近くにある徳玄寺に行きました。

   

   徳玄寺
斗南藩として移住してきた時に藩庁を置いたのが円通寺でありましたが、曹洞宗という戒律の厳しいところだったので、幼い藩主はこの寺で食事をしたり遊んでいたりいていたそうです。

徳玄寺のお隣が円通寺で、ここは、前日に行った恐山の本坊です。
丁度この日はお通夜が入っておりましたので、お寺さん全体の人の出入りが激しく、そっと拝観させていただきました。

雨が音をたてはじめましたが、むつ市内の観光はもう少しです。
今晩は、釜臥山からの夜景はあきらめた方がよさそうです。

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下北半島を巡る旅 ー2-

2014-05-25 17:59:42 | 日記
5月25日(日)
各地で夏日を観測しておりますが、家の中はまだそれほどではありません。

今日も下北半島を巡る旅の続きです。
旅の記録の備忘録として書いておこうと思っておりますので、少し長めですがお読みいただければ幸いです

5月20日に泊まった旅館は昔ながらのお宿という感じが強く、今どきの便利な物は何一つありません。それでも温泉が良くて、おかみさんの人情が良くて、そして料理が美味しくて、そんな旅館の三要素を家族みんなで守っているお宿です。
宿の前でおかみさんと一緒の写真を撮って、大間へ向かいました。

       

    本州最北の碑

大間には30分もかからないで到着しましたが物凄い風です。
同行の誰もが強い風には慣れているはずなのに、誰もがビックリです。

それでも意を決して車から降りると、横殴りの冷たい風が頬を容赦なく叩き付けて行きます。
記念写真と云いますが、昨日の尻屋崎から誰云うとはなしに「証拠写真」と言うようになりました。

   

   本州最北端の地マグロ

カメラを構える手が風共に揺れてしまいます。
本州最北の碑の前に一人ずつ交代で証拠写真を撮って退散ですが、道を挟んで開いているお土産屋さんのおばちゃんもあきらめ顔です。「昨日はよかったんだよね~」

次に向かったのが戊辰戦争後、斗南に移住させられた会津藩士の末裔が、家に伝わる会津藩時代から斗南藩に至るまでの貴重な資料を公開している会津斗南藩資料館「向陽処」です。
曽祖父が斗南藩士だったというご主人の案内で館内を見せていただきましたが、どの話も、静かにそして正確に語り伝えようとしている姿に会津武士の誇りを感じずにはいられませんでした。

そして、会津藩士の屋敷割り図には、山川大蔵や西郷頼母などの中に、木村さんの曽祖父木村重孝の名前もあり、話に重みが加わります。
斗南藩では「史生」という藩の記録を残す役職だったそうで、木村家には貴重な資料が残っているのだそうです。
入り口から一つずつ丁寧に説明をしてくれますので、かなりの時間が必要になります。

これ程の資料があるとは予想外というべきか、時間をあまり取っていなかったため、説明半ばで失礼しなければなりませんでした。
私たちも、この旅行ではある目的を持っておりましたから、事前にかなり勉強をしておりましたので、木村さんが説明してくださることに意見や質問などしておりましたから、木村さんも嬉しかったようで、説明半ばで帰る事になったら凄い残念がっており、「もっと見てほしかった・・・」と、車まで見送ってくれました。

   

   長福寺

斗南藩資料館を半ばで失礼したのは、このお寺さんを10時という約束をしておりましたので仕方ありませんでした。

長福寺には知る人ぞ知る、円空作の「十一面観音立像」が安置されております。
円空仏としては珍しく181㎝という長身で、30歳代の作品ではないかと言われております。

正面から見ただけではわかりませんが、板のような薄さで、円空さん独特の荒っぽさが無い綺麗な仏像です。
ご住職が法事のため不在でしたが、事前に約束しておりましたので、奥様が快く案内してくれました。そして、ご長男のお嫁さんが私たちと同郷だというのでまたびっくりしましたが、そんなご縁で十分過ぎるほどのご案内でした。

予定通り10時30分に長福寺を出発して、ここの名物だという「ウニ丼」を頂くために「ぬいどう食堂」へ行きました。

   

   ウニ丼

長福寺からは一山超えるため30分ほどかかりましたが、時間通り11時にはテーブルに付くことができました。
11時でしたのでまだ外のお客さんはおりませんでしたが、私たちが頂いていると次から次とお客さんが続々です。

地元の方はおらず全員が観光客ばかりですので、お目当てはウニ丼です。
地元の人は1,000円のお昼はたべません・・・ね。

ウニ丼といってもご飯茶碗をひと回り大きくしたくらいのもので、丼物のどんぶりにしては小ぶりと言ったところでしょうか。
写真の通りウニが山ほど乗っておりますが、前日下風呂温泉の宿で、美味しいウニを頂いておりますから、皆さん多分舌の上で比較をしてしまいます。

私は何とか食べ切りましたが半分くらい残してしまった人もおりました。やはり美味しい物は少しで良いようです。

   

   仏ヶ浦

12時10分に牛滝港に着きました。
ここから船で仏ヶ浦に向かいます。

一般的には佐井港から船で行きますが、1時間30分もかかってしまいますので、私たちは、牛滝港から出る「夢の海中号」というロマンチックな名前の付いた船で仏ヶ浦に向かいました。
ここですと30分で観光が済んでしまいます。
仏ヶ浦に上陸して30分も遊ぶ必要はありませんからこれで十分です。

   

   鷹に見える

上陸して15分くらい遊んで船に戻りますが、いろいろな名前の付いた岩がありましたが、この鷲のような岩が一番気に要りました。
同行の皆さんに、「鷲がいる」と指さすと、一斉に反応してくれました。

ここからまた車で「斗南藩上陸の地」を目指して移動です。
予定通りに進んでおります。
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ヤワタソウはどんな意味か・・・

2014-05-24 18:01:27 | 茶の湯
5月24日(土)
爽やかな過ごしやすいお天気でした。
今日は自宅でのお稽古でした。

   
   
   ヤワタソウ

寂しそうに咲く花ですが、唐銅の花入れに1本だけで生けましたが堂々としております。
珍しい花ですので、誰もが名前を聞いてきますが、ヤワタソウという耳慣れない名前にどういう字を書くのか・・・とそんな顔をいたします。

八咫草とこんな字を書きますが、八咫(ヤタ)とも読み、長さをあらわす文字でもありますが、八咫に烏という字を足しますと、神話に出てくる「ヤタガラス」で、神武東征の際に神武天皇の元につかわされ、熊野から大和への道案内をした烏として知られています。

今はその話より、Jリーグの旗のシンボルになっている、三本足の鳥こそがヤタカラスです。
Jリーグ発足の際どんな意味でヤタカラスをシンボルにしたのか知りませんが、Jリーグを発展させる道案内と言ったイメージで採用したのでしょうか?

   

   植木鉢のヤワタソウ

植木鉢では、大きな葉に小さな花をつけて、バランスが悪い地味な花です。
ユキノシタ科ヤワタソウ属で、東北から中部地方にかけて分布する花で、湿った木陰などにひっそりと咲いております。

西日本では、この花に似たワタナベ草があります。花はそっくりですが葉を見ると直ぐに分かります。

   

   カノコ

お菓子屋さんが届けてくれたお菓子はカノコでした。今までのものとは違ったもので、黒豆を使っております。
私個人では、今までのカノコ方が好きです。

   

   青楓の茶碗

お稽古が終わった後、お菓子を頂いての一服のお茶は体中に広がって何物にも代えがたいものがあります。
今週も無事に終わりましたと感謝を込めて・・・。

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下北半島を巡る旅 -1-

2014-05-23 18:22:25 | 徒然日記
5月23日(金)
雨上がりの爽やかな一日でした。
20日から22日までの3日間、下北半島へ行って来ました。

初日は旅行日和とでもいうほどのやさしいお天気でしたが、2日目、そして3日目と雨に降られてしまいました。
今までにない事です。

   

   恐山冷水

恐ろしいような名前が付いておりますが、ここの冷水で心も体も清めて恐山に参拝するために、俗界と霊界の結界をも意味を持っていると言われております。
私たちが立ち寄った時に一組のご夫婦がポリタンクに水を盛んに取っておりました。

車のナンバーは徳島でした。
「徳島からはるばる来たのですか?」と問うと、「ハイ、年に何度か来ております。」という返事に驚きましたが、もっと驚いたのは凄い数のポリタンクでした。この水を汲むためだけに来たとのことですので驚きです。

一杯飲めば10年若返り、2杯飲めば20年若返り、そして3杯飲めば死ぬまで若返るといわれております。
私たちは2杯飲んで、持っていたペットボトルに頂いて恐山へ向かいました。

   

   三門

ここ恐山は、正式には「恐山菩提寺」と言いますが、恐山で通り過ぎるほど通っております。

   

一面に白茶けた荒涼とした風景が死者の霊が集まるところと伝えられ、イタコと呼ばれる口寄せがその光景に、さらに拍車かけているようです。
私たちは案内の方に1時間ほどお願いして説明を受けながら歩いておりましたので、分かりましたが、ただ漠然と歩いていただけではつまらない参拝になってしまうと思います。

   

   尻屋崎

ここは本州最東端の場所で、海に突き出したような岬の先端に灯台が建っております。
御崎に到着して車から出ると、どっちから吹いて来るのか分からない強い風が吹き付けておりました。

それなりの身支度をして歩いておりましたが、風の強さが体を通り抜けるような寒さで、証拠写真を撮って早々に退散することにいたしました。
また、ここは放し飼いにしております馬が人気のところでしたが、一頭の馬にも出会う事がありませんでした。
寒立馬という名で知られ、かわいい馬と灯台を写し込んだ写真が良くパンフレットなどに載っております。


   

この日の宿泊は下風炉温泉の「つぼた旅館」で、昔ながらの旅館という風情、外観も客室も決して綺麗というわけでもありません。
それでも掃除は行き届いておりますので、なんか実家にでも帰ったようなホットする雰囲気を持った旅館です。

   

   お料理の数々

そして、お料理も洗練されたホテルの料理のように美しくはありませんが、食べると実に美味しい物ばかりで、出された料理はすべていただきました。

この日の料理には、大間のまぐろや生きているアワビなどが出されておりました。
かなりの品数でしたが、時間を掛け、話をしながらゆっくりと全部いただきました。
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箱根には無いという「ハコネウツギ」は・・・

2014-05-19 16:56:26 | 日常雑感
5月19日(月)
爽やかな初夏を楽しむことができる陽気でした。
月曜日はストレッチから、今日も行って参りました。
少し動くと汗ばんできますから、冷房がしっかり効いておりました。それでも、終了した時はうっすらと汗をかいておりました。

        
    
    ハコネウツギ

ハコネウツギが咲き始めました。
この花が咲くころになると、花も少しずつ夏の花に代わって行きます。

スイカズラ科の落葉低木で北海道から九州までの近海地に自生している。
名前が箱根を冠しているために、箱根に多く自生していると思い込んでいる人が多いいらしいが、箱根にはないという事です。

花は最初は白く次第に紅をさしてくるものがほとんどですが、まれに最初から赤かったり、白のままで散ってしまうものもあるといいます。
最近では、良く栽培されておりますので手に入れやすくあると便利な花のひとつです。

花が付き過ぎていると見苦しいので少し整理してから使うと良いかも知れません。

明日からちょっとした旅に出掛けますので、ブログもお休みです。
携帯やスマートホンからでもブログはUPできますが、私には無理のようですのでやっぱりお休みにいたします。

帰りましたら報告のブログにしたいと考えております。
また、ご訪問いただければ幸いです。
コメント
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