12月28日(金)
冷たい風が吹いております。
午前中ひと仕事を終えて、午後からは先日の東海道五十三次の備忘録の続きをまとめて見ました。
12月23日第2日目
6時30分朝食、8時には出発というスケジュールです。
8時前には集合して2日目のスタートです。昨日バスに乗ったところまで連れて行って貰っての散歩開始になります。
大井川
この辺りから川越しをしたそうです。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われたほどの急な流れに旅人は難儀したといわれております。
マンホール
川越の遺跡にはこんなマンホールありました。
大井川の土手を駆け上がり、少し先の橋まで行って旅人が難儀をしながら渡った橋を歩いて渡りました。
大井川の橋
大井川には一度も橋が架けられることなく明示を迎えております。川幅が広く流れも急だったために当時の技術では不可能であったためだそうで、よく言われる「江戸の防衛のため」は後から考えだされたものでしょうと講師の先生は言っておりました。
日本左衛門の墓
江戸中期の大盗賊で東海道周辺を荒らしまわり、日本で最初に全国指名手配になり、安芸の宮島で自分の手配書を見て自首したそうです。
京都で処刑され、この地で晒されていた首を、この地に葬ったのがこのお墓だそうです。
後に歌舞伎の「白波5人男」として描かれております。
トーマス
この日は日曜日でしたので、大井川鉄道出トーマスが運転さるるようで、煙モクモクと準備をしておりました。
金谷宿
ここの宿場も何も残っておりませんでした。大井川を渡ってすぐにある宿場ですのでかなり繁盛していたといいますが、面影すら残っておりませんでした。
そして、宿外れから峠が始まります。
宿の外れに
宿の外れに来ると、大きな標識が建っており、「石畳」の道の始まりを教えてくれます。
この石畳は、町の人達が一人一石運動で、7万個の石を運んで復元した石畳だそうです。
そして430mの石畳ができたそうです。
石畳の始まり
ここから石畳が始まります。
この日は小雨が降っておりましたので、足元を見ながら慎重に歩きます。
石畳
言われてみれば新しい感じがいたします。
この石畳も歳月を経て、埃や落ち葉などに埋もれるように平らになって行くのでしょう。
峠
ひと汗かいてホッとしたとこです。
青い橋が渡って来た箸です。そして、煙の出ているあたりが、川越しの行われていたところです。
随分上りました。
菊川の石畳
この石畳も、町の人達の協力で復元した石畳です。161mあります。
石畳
新しい石畳です。
石が馴染んでいないのと、この日が小雨でしたので、とにかく歩きにくく難儀な事でした。
江戸時代の石畳
こちらは江戸時代からの石畳ですが、雨にさらされ石がゴロゴロしていてもっと歩きにくかった。やはり整備をしないとこんなになってしまう事がよくわかりました。
今では人が歩かないから余計に荒れてしまうそうです。(歩くのは私たちのような人だけだそうです)
間の菊川宿
石畳を下りきると間の宿の菊川です。
間宿とは、正式な宿と宿の間に出来た宿で、旅人を泊める時は、宿の許可が必要だったそうです。
いよいよ、小夜の中山の始まりです。
道しるべ
菊川と日坂宿の道しるべです。
久延寺
小夜の中山の峠にある古刹です。
夜泣き石を保存していたことで有名になりましたが、今境内にある「夜泣き石」は代わりの石で本物は、日坂宿小泉屋さんの裏山に保存されております。
ここで昼食。お弁当屋さんが届けてくれた名物弁当でした。
山に茶
昼食も済ませ、元気を取り戻した私たちは、日坂宿目指して歩き始めました。
山に茶の字が描かれております。
目立ちますのでどこからでも見えます。
さすが茶所です。
小夜の中山
ここは、中山峠で、箱根峠、鈴鹿峠と共に東海道三大難所だそうですが、峠を上り切るとこんな長閑な風景が続きます。
峠を上っている時は、登る事だけで後の思考は全くなくなります。
汗びっしょりになって登り切れば後は平たんな長閑なものです。
西行法師
中山峠の茶屋の前に西行法師の歌碑が建っている。
西行法師69歳で峠を越えた時の歌で、「年たけて また越ゆべしとおもいきや 命なりけり さやの中山」と詠んで以来一躍有名になったといわれております。
西行法師の歌碑ですが、何ともおかしな歌碑でした。
普通に自然の石に彫り込んだ方がずっと西行法師らしいと思うのですが・・・
一里塚
佐夜鹿の一里塚で54番目です。
夜泣き石跡
広重の絵にも描かれていた石も、明治政府によって邪魔という理由であっけなく移動されてしまいました。
ここにあったという証拠が記されております。
日坂宿
日坂宿に入りました。
最初に迎えてくれたのがマンホールでした。
本陣跡
ここに本陣があったというだけのものですが、跡地は公園になっているようです。
この宿場は、鉄道が通らなかったの幸いしたのか、比較的昔の建物が残っております。
家々が、古地図と照らし合わせて、屋号を掲げて、宿場の面影を作り上げようとしております。
橋
今回の旅で初めて知った事は、川にかかっている橋ですが、私達は「何々ばし」と濁音で呼びますが、江戸時代は、「何々はし」と呼んだそうです。
答えはいたって簡単で、「水が濁ると困るので・・・」だそうです。
知らなかったのは、私だけだったのでしょうか?
事任八幡宮
「ことのまま」と読み、どんな願い事でも叶えてくれるという有難い神社です。
「願い事のまま叶う」から来ており、全国からお参りに来るそうです。
今回の東海道五十三次散歩のゴールでした。
総歩数 47.900歩 キロ数32.6kでした。