tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

樂歴代の作陶を特集

2017-02-28 18:17:56 | 本棚の中から
2月28日(月)
何となく春めいた陽気になりました。
今日は大學が春休みのためにお休みです。

それでも、明日行く大学が卒業茶会ですので、持って行く道具などを準備しながらの一日でした。
昨日届いた淡交誌3月号です。

   
   淡交3月号

この三月号は見応えのある特集を組んでおります。
「樂歴代の作陶」―精神の相伝、系図の広がりーという、見応えある特集です。

文中で、楽家の「一子相伝」は「不連続の連続」と表現しております。

   
   初代と当代

初代長次郎と当代吉左衛門の作品が並んで掲載されております。
楽家では、兄弟がいても、樂の姓を名乗るのは長男だけで、後は他家に養子などに出されるそうで、400年の長きにわたり、その慣わしを続けているそうです。

「一子相伝」と云っても、決して同じような作風の茶碗は作らないそうだ。
「誰もが、長次郎と同じ茶碗をつくっていたら、時代の浪に飲み込まれて消えて無くなっていただろう・・・」

それゆえに、父は作り方を一切教えないそうで、凄い家から、楽茶碗は生まれているのです。
読み応えのある特集です。
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雛祭り散歩は・・・

2017-02-27 18:07:31 | 日常雑感
2月27日(日)
朝から何となく暖かく、今日も近くの町の雛祭りに行って来ました。
昔からの友人宅に車を止めて、ご夫婦と一緒に街のあちこちを見て回りました。

   
   雛祭り

ここがメーン会場で、たくさんのお雛様が飾ってあります。
先着の方々が熱心に中を覗き込んだり、写真を撮ったりしておりました。

ここのお雛様は、各家庭でいらなくなったお雛様を集めて飾り付けております。

   
   内裏雛

こちらのお雛様は、大きな内裏雛が飾られておりましたが、ガラスの内側ですので、反射してしまいお雛様たちの表情が良く見えません。

わたしの拙ブログは、2011年2月26日がスタートでした。
その最初の掲載が、ここの雛祭りでしたので、6年目の今日も新たな気持ちで雛祭りを楽しんで来ました。

久し振りの旧友との語らいに時間の経過を忘れてしまい、ストレッチ教室は時間に間に合わずに欠席となってしましました。
それでも今日は、友との話の時間が取れ、有意義だったなと思っております。
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城下町を歩いて・・・

2017-02-26 18:40:49 | 日常雑感
2月26日(日)
暖かな一日でした。
ポカポカ陽気に誘われるように出かけて見ました。

   
   鐘楼

小さな城下町へ行って来ました。
梅の向こうに鐘楼が見えます。

今でも朝晩には鐘の音が町中に鳴り渡るそうです。

   
   四脚門

お寺の山門ですが、四脚門で江戸時代初期の作りで、珍しいそうです。

   
   城主の供養塔

山門を入ると参道が続きますが、途中に初代の藩主の供養塔が建っておりました。

   
   梅

梅も丁度見頃を迎えております。

   
   空堀

城跡へ向かいましたが、石垣は無く、土をかき上げて堀を作った古い城跡です。
関が原の合戦の後に、ここを領地として拝領したので、その頃の方式で城を作ったのでしょう。

写真では分かりませんが、竹の切り株が堀全体に見られます。

   
   本丸跡

広く開けたところが本丸跡になっております。そこに立つと、小さな町が一望できます。
実に良い風景です。

   
   竹に

城跡までの坂道は、ずっと竹藪が続き、本丸跡の土塁も竹で覆われていたそうですが、去年の暮れに、土塁の竹はすべて切ったそうですが、春になれば竹の子がたくさん出て来るでしょう。

右側のポツポツと見えるのは、全部竹の切り株ですので、お城が竹に占領されるのは、そう遠い話ではなさそうです。
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85歳の卒業は・・・

2017-02-25 18:12:13 | 自宅稽古
2月25日(土)
風の無い穏やかな一日でした。風さえなければ比較的暖かく感じます。
60年以上お稽古を続けておりました方が今月で引退することになりました。

ここ1~2年は、転んで足を痛めたり、風邪を引いたとお稽古を休むことが多かったのですが、とうとう決心したようです。

   
   床の間

床の間には、「茶 是長寿友」を掛け、長年お稽古に通い続けてくれました事に敬意と感謝の気持ちを表しました。
青春時代からずっと、というより、人生の大半をお茶に係っていた人が、体力の限界を知り、自らの意思で終わりにするという決断をするのに、どれ程の気持ちの整理が必要だったかは知る由もありませんが、立派な事だと思っております。

これ以上引き留める事はできませんが、これからも、出られるようなお茶会などには声をかける事を約束して、長年に渡るお稽古を終わりにいたしました。

人に教えるでもなく、只々自分の楽しみだけのお茶をお仕舞にしたのでした。
85歳の卒業です。

   
   棗は

「お棗は」
「認得斎お好みの、柳蒔絵中棗でございます」

中国の故事から、柳の棗を使ってのお稽古でした。

   
   花

藪椿とダンコウバイです。
ダンコウバイもいよいよ終わりです。使えそうな枝は全部使い切ってしまいました。

高校生も大學生も、そして我が家でも、卒業が続いております。
4月になるとまた新しい人達との出会いがあるでしょうが、別れのシーズンは辛いですね・・・



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期末試験が終わり・・・

2017-02-24 18:03:13 | 非常勤講師奮闘記
2月24日(金)
昨日から暖かさから、8度ほど下がって真冬に逆戻りの一日でした。
今日は高等学校へ行って来ましたが、期末試験という生徒にとっては嬉しくも無い授業になりました。


テスト用紙

時間前に全員に配り、一斉に始めましたが、試験はこの歳になっても嫌なものです。
私自身勉強が好きではなかったですから、生徒たちの気持ちが良く解ります。

時間より早く来た生徒達と話をしていると、試験問題を教えてしまいそうになりますので、挨拶だけして水屋の部屋におりました。
それでも、何やかやと側に来て話をする子もおりましたが、試験に関しては口にチャックです。

45分間ずっと見ておりましたが、早々と諦めてしまう子や、じっと考えている子など様々ですが、何とか期末試験が終わりました。
皆さんの結果は・・・
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日本マンサクがやっと咲き出し・・・

2017-02-23 18:21:50 | 庭の花
2月23日(木)
明け方の雨もやみ気温は上がりましたが、もの凄い風が吹いております。
今日は明日からの自宅稽古のために、朝から大忙しでした。

もうすぐ雛祭りですので、少しだけ飾ろうかと考えだしたら、あれもこれもと考えてしまい中々決まらない・・・

   
   マンサク

我が家には2種類のマンサクがあります。
園芸種と日本マンサクで、園芸種の方はすでに満開です。

マンサクに、わざわざ日本という文字を付けなければならない矛盾は如何なものでしょう。
今では、マンサクというと、シナマンサクか園芸種が主ですから仕方が無いのでしょうか?

マンサク属マンサク科の低落葉木で、沖縄を除く地域に自生しておりますが、年々少なくなっているそうです。
二ホンマンサクは、園芸種のようにたくさんの花は付けず、茶花には願っても無いほどの優しさと品の良さを持っていると思います。

   
   ぜんざい

掃除やら道具の出し入れに時間が掛かり、3時にやっと一息です。
お正月に頂いた「ぜんざい」を温めて食べて見ました。

   
   完成

沸騰した湯で5分ほど温めて、袋に入っていた可愛いお餅を焼いてお椀にいれて、温まった小豆をお椀に移せば完成です。
手軽に本格的な「ぜんざい」が頂けて便利だと思います。

甘いものとお茶を頂いて元気の出たところで、もう一息で準備は終わります。
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もうすぐ卒業です・・・

2017-02-22 17:54:13 | 大學の稽古
2月22日(水)
冬の青空が広がっております。
相変わらずの寒さが続いておりますが、連日のように、あちこちからの春の便りが聞こえます。

今日は大學へ行って来ました。

   
   花

花は、ハシバミと春曙光ですが、ハシバミは今シーズン最後です。
これ以上蕾が伸びてしまったら、床の間に飾るわけには行きません。

   
   大学院生

学生生活も後1ヶ月で終わりになりますが、ギリギリまでお稽古をしたいという事で毎回出て来ております。

   
   拝見がおわり

大学院を含めて6年間お稽古をしておりましたので、しっかり身についついておりますので、どこへ出しても恥ずかしい事はありません。

   
   一服

三時に出してくれました。

このところ、皆さんしっかりお稽古をしておりますので、余りしゃべることが無くなっております。
自然の光だけのお茶室の中は、静かで空気も清らかなためか、昨日休んだだけですが、何だか自分自身の歯車が狂ってしまい、時差ボケのような気持の定まらないスタートでしたが、お稽古が始まればやはり何時もの通りです。
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ダンコウバイの由来は・・・

2017-02-21 17:46:31 | 庭の花
2月21日(火)
深い青空が広がっておりますが、強い北風が頬を突き刺すような寒さです。
今日は大學がお休みですので、何となくのんびりとしております。

   
   ダンコウバイ

我が家の庭のダンコウバイです。
漢字では、檀香梅とかきますが、丈は2ⅿ〰5mくらいの落葉低木で、関東以西の山に自生しております。
梅という字が当てられておりますので、梅との関連を想像してしまいますが、梅とは全く無縁で、クスノキ科クロモジ属で、早春の山にポツリポツリと株立ちをして咲いております。

雄雌異株だそうですが、我が家の木がどちらかは分かりません。
山では、3月から4月にかけて、よく見る事ができますので、出かけて見ては如何でしょう。

檀香は、ビャクダンの漢名だそうで、葉を揉んだり、枝を折って見ると芳香がしますから、他の木とは、まず間違わないと思います。
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東海道散歩余録

2017-02-20 17:31:53 | 東海道五十三次の旅
2月20日(月)
朝から風も無く何となく暖かく感じた一日でした。
今日は月曜日ですので、ストレッチ教室へ行って来ました。会場の都合で2週間お休みでしたので、久し振りのストレッチでした。
今日も東海道五十三次散歩の余録を少しだけ書いて見ます。

   
   辻の札跡

歩いていると、こうした標識に出会いますが、碑があるだけで住宅になっているところがほとんどでした。

   
   道標

この道標も、他から持って来たもので、左江戸と書いてありますが、標識通りに行くと、江戸からどんどんと離れてしまいます。
江戸という文字を見せたかったのではないか?と云う、ウオーキング・リーダー感想でした。

   
   釜揚げ丼

この辺りの名物だそうで、昼食に用意されておりました。人気のレストランのようで、私たちが到着した時は、順番待ち列が続いておりました。
私達は事前に予約してありますので、そのまま座席に直行です。

   
   案内標識

こうした案内の標識が所々に設置されております。
中之郷は、東海道が山側に移動した時に出来た中宿で、ちょっとした峠の中間になります。

   
   峠の富士山

峠を上り切ったところに絶景ポイントがありました。
何の障害物も無い富士が見られるとこです。

   
   静岡市

峠を下り切ると静岡市に入ります。

   
   静岡市の消火栓

静岡市の消火栓です。
町火消の纏いがデザインされておりました。

この辺りは、浄瑠璃姫と義経の悲恋の物語がこまやかに語り継がれておりました。

   
   道路標識

遠くへ来たな・・・・実感できます。
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吉原宿から蒲原宿までを歩く・・・

2017-02-19 17:06:26 | 東海道五十三次の旅
2月19日(日)
青空ですが強い北風が吹いておりますので、気温よりずっと寒く感じられます。
昨日の疲れが足に出ているらしく、股関節や腿などが重く何となく痛さを感じております。

今日は昨日の「東海道五十三次散歩」の備忘録になりますので少し長くなってしまいました。
東海道五十三次散歩は前回のゴールの「鶴芝の碑」からのスタートです。

   
   本市場の一里塚

江戸から35番目の一里塚ですが、区画整理などで移動している事が多いいといわれ、この一里塚も動かされていて、年を経るごとに本来の場所が分からなくなっているそうです。

   
   雁堤(かりがねつつみ)

一里塚を見ながら、最初に訊ねたのは、「雁堤」と呼ばれているところです。
江戸時代初期の頃は、この辺一帯は幾筋もの川が流れている湿地帯でしたが、駿河代官の古都氏3代により、50年という歳月を要して完成させたのが「雁堤」でした。

全長2.5キロに及ぶ堤は、その形から「雁堤」と呼ばれるようになったそうです。
難工事でしたので、人柱を捧げる他に案が無くなり、人柱となった僧侶のための供養塔が建っておりました。
いかにも日本的な解決方法です。

   
   絵で見ると

「雁堤」を高い所から見るとこんな風に見えるそうです。
雁行に似た形をしているのがよく解ります。

人柱まで立ててやっと完成したこの堤も富士川の流れが変わり、今では市民の憩いの場になっております。

   
   富士川渡船場跡

慶長7年に富士川の渡船が開始され、川沿いの2キロに渡船場を作り、西側は1ヶ所だけだったそうで、大正期に身延線が開通するまでの300年間に渡り、甲信地方と東海道を結ぶ大動脈だったそうです。

   
   富士川

富士川を渡り対岸に行きます。

   
   富士川と富士山

この日は薄曇りでしたので、富士山は見えましたが、写真にはどうも写り難いようでした。スマホで撮っている方がほとんどでしたので多分こんなものでしょう。

   
   角倉了以の顕彰碑

京都の豪商角倉了以が、幕府から富士川の開削を命じられ、慶長12年に工事を始め慶長19年に完成させた、その距離は71キロだった。
下りは年貢米、上りは塩を運んだそうで、その功績を忘れないためにこの碑は建立されたそうです。

   
   昔のまま

昔のままの東海道を歩いております。

   
   常盤家

当時の岩淵村の名主でもありましたが、富士川渡船を控えて、脇本陣の機能を持って、大名の小休み本陣となっていたところで、今も黒塀に囲われ当時の面影を色濃く残しております。

     
   岩淵一里塚

日本橋から37番目の一里塚ですが、前の一里塚が35番目なので、本来なら36番目のはずですが、富士川を船で渡りましたので、川の幅を仮定して37番目にしたという面白い話を聞くことが出来ました。

東海道はここで大きく右に曲がります。

   
   坂を上り切ると

大雨のたびに東海道は通行不能になるため、天保14年に岩淵の一里塚を過ぎたところから山側に新道に付け替えられ、今の姿になっております。
坂を上り切ると、ご褒美のように綺麗な富士山が見えました。

   
   新豊院

曹洞宗の寺院で、開基以来840年という歴史ある寺院です。
このお寺さんは、縦40m横17mという巨大な観音像を裏山の斜面に掲げて例祭を行うことでも有名です。

本堂でご住職の講話を拝聴してちょっとの休憩です。

   
   義経硯水の碑

蒲原氏4代の墓と共に並んでいたのが、義経が墨を擦るために使った水がここから湧き出していたという伝承が、これほどまで立派な碑を建てさせております。

義経と浄瑠璃姫の悲話伝説もこの地に残されているそうですが・・・

   
   蒲原の一里塚

ここの一里塚も原型はほとんどなく、ここにお住いの方が、敷地の一部を一里塚に提供しているそうです。

   
   蒲原宿

到着する前から、ウオーキング・リーダーが、「蒲原宿はいい雰囲気の町並みを見る事ができますよ」と云い続けておりましたが、言っていた通り、中々情緒のある宿場でした。

   
   宿通り

車もあまり走ってはおらず、静かな宿場町と云う佇まいを今に伝えております。

   
   木屋三階建て土蔵

木屋の屋号も持つ渡辺家は、富士川舟運を利用した材木商であったそうで、当時では珍しい三階建ての土蔵が現存しておりました。
一階は天井が低く、最上階の三階に大切なものを保管するために作った土蔵だそうで、たび重なる地震で、宿場全体が倒壊してしまったのに、この三階建ての土蔵は、元の姿を保ったまま残ったそうです。

当時、財力を注ぎ込んで作った「四方転び」という柱組の技術力は凄いものだったのでしょう。

   
   蒲原夜之雪記念碑

広重がここから描いたであろうというところに、この碑は建っております。
この絵が国際文通週間の切手に採用されたのを機に建てられたそうです。

   
   蒲原本陣

ここ蒲原本陣は今でもご子孫が住んでいるそうで、広大な屋敷の管理も大変だと思います。

   
   蒲原宿

今回のゴールです。
夕闇迫る蒲原宿の西木戸に到着いたしました。

今回の東海道五十三次散歩は、12kの行程で、自宅を出た時からの歩数は22.500歩でした。
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