寺地拳四朗の陣営が、JBCに「質問状」を送付した、という話です。
この試合、そして矢吹正道の王座奪取にマイナス面があるとしたら、何よりもあのバッティングですね。
陣営は弁護士を交えて質問状を作成した、ということですが、その内容は9回のバッティングが「故意に見えた」というもので、試合結果を覆すつもりはない、というコメントもありました。
要するにこれは、将来再戦する時までに、それをJBCなりWBCなりに、新王者側に義務づけさせるための一歩、さらにいうなら「割合」を決めるためのスタート、なのでしょうね。
しかし、あのバッティングが故意かどうかを判断出来るのか。そんなこと、誰に出来るんですか、という話です。突き詰めて言えば。
見た印象でいえば、打ち込まれて劣勢に立たされた者が、頭を出して相手を食い止めようとする、くらいのバッティングもよくありはしますが、あのバッティングはそういう範疇に収まるものだっただろうか?と疑問に思ってはいます。
だが、故意であろうがそうであろうが、それを認定する必要などなく、レフェリーが起こったことを「悪質」と判断すれば、2点の減点を課すことが出来る、というルールがある。
そして、当該のレフェリーはその裁定を下しませんでした。
問われるのはその裁定の是非であって、バッティング自体が故意であるか偶然であるかは、問うべきところではないだろう、と思います。
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あまり楽しくない話題ですが、もうひとつだけ。
レフェリーの裁定が、あの試合の結果を左右したかどうか、についてです。
矢吹のバッティングは6回に、初めて、目に見えたものがあって、その後7回、もう一度。
この時はレフェリーが分けて、注意していましたが、9回に起こった、三度目の、拳四朗の出血に繋がったバッティングは、何故か見過ごされてしまいました。
この三度目のバッティングは、上記のとおり、故意か否かは知らず(知りようもなく)「悪質」と見做されて仕方ない、と...映像で見返すと、そう見えます。
そして10回には、また攻めて出てくる拳四朗に対し、頭を出して止めようとした?場面もありました。
これらを全て、厳しく裁定するとしたら、6回にまず注意。
7回に減点1。
9回に、悪質なバッティングと見て、減点2。
10回、攻める拳四朗に矢吹が頭を出した時点で試合を止め、矢吹失格負け、拳四朗の勝利。
こういう裁定も、あり得たかもしれません。
しかし、後から映像で見て言えることと、実際に下される裁定は違う、という現実の前には、全ては無意味なのでしょう。
海外の試合では、ラウンド間の映像チェックにより、ダウン裁定が取り消されたりする事例が出てきてますが、あの試合にはそんな用意はされていなかったし、当然、ルールも事前合意も何もありませんでした。
こういう話、どちらかに肩入れして見れば、当然あれこれと言いたいことも出てきます。
しかし、それ以前のところで、選手ではなく試合運営に、結果として手落ちがあった、備えの不足があった、とは言えると思います。
また、一度目、二度目のときに、より厳しい警告、ないしは早めの減点裁定をしておけば、9回以降の事態を防げたかもしれません。
そして、あの試合がどういう結末を迎えようとも、その内容と結果が、否定的なイメージをもって語られる「余地」が生まれはしなかっただろう、と思います。
日本人のレフェリーは、どうも普段から、厳密に公正に、厳しい裁定を出す、という仕事に慣れていない人が多い、という「印象」ですが、それがコロナ渦の日本人同士による世界戦で、悪く出てしまった事例なのかもしれません。
常日頃から思っていることですが、この辺りは本当に、なかなか根本的な変化が見られないところです。「残念」ですね。
どんな裁定がくだるか知りませんが、重ね重ね、ケンシロウくんの様な才能の持ち主が、こういう実力以外の事で左右され過ぎた上でタイトル失ったのが残念でなりません。
いずれにせよ今回でダーティーなイメージがついたので、矢吹は本当にチャンピオンとして認められたいと思うなら、示すべきものがたくさんあるでしょう。
劣勢の際にある程度まではあり得ること、という範囲に収まらないものが、結果として出血と、間を置かぬ追撃に繋がったのは事実として起こったこと、ですね。それと試合全体、勝者への評価が繋がってしまうのは、避けられないことでしょう。私はそれでもなお、あの試合がその話一色に塗りつぶされるべきだとは思いませんが。
裁定といっても、結局のところ、再戦が興行上の契約のみならず、統括団体の指令によって行われる、という再戦への意味付けがもうひとつ加わるか否か、というだけのことでしょうね。今から結果を覆したら大問題ですし、さらに拳四朗側もそれを求めてはいないわけで。レフェリーの裁定が誤りだった、という「認定」自体はあるのかもしれませんが。
矢吹はイメージどう以前に、あの劣勢(最終的には覆しましたが)から、あのような形で脱したことで、拳四朗との実力比較(ベストであったら、という仮定)をより、大きく見られてしまっている、というのが現状でしょう。普通に逆転していたら、そこまで言われはしなかったでしょうから。示すべきもの、は結局、再戦の場でしか示し得ないでしょうね。