ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

祇園祭

2012年07月17日 | 一寸そこまで



               「長刀鉾の稚児」と「かむろ」


暑かったですね~。気象の時間、アナウンサーが「今日の近畿地方で一番暑
かったのは、祇園祭の京都でした、36.4度でした」と言いました。「やっぱり
な~」そうなんです、まさにその一番暑い京都に祇園祭を見に行ってきたんで
す。「来年いこか?とはいえん年やからな~…」って今日行ったんです。去年
は行かなかったのですが、一昨年行く時も、同じ事をいいながら行ったような
気もするわ。ありがたいことです。

生もの買った時とかについてくる「アイス」あるでしょう(名前出てこない)アレ
を首に巻くために持っていったんですよ。家に大きいのと小さいのがあってね、
小さいほうをもっていったんです。2時間ぐらいで溶けてしまってね。大きい
ほうを持ってくれば良かったと後悔したのですが、でも随分助かりましたよ。

今年は、京都に着いてから「モーニング」を食べようと言うことになってね、朝
の6時半ごろ家を出ました。京都に着いたのが7時半頃で「十分時間があるわ」
とゆっくりしすぎて、現場に着いたのが、8時50分、一杯の人だし、すぐ始ま
ってしまって、「長刀鉾の稚児さん」を撮りたかったのにあまり撮れなかったん
です。

今までもなんども来ていますから、すぐ歩いて「くじ改め」の所に行きました。
以前にその周りで見たこともあるので、今日は2基ほど見て、今度は進行方向
と反対に歩いて、見ながらたどると言う方法を取りました。だから最後の33基
と、その後ろに従うパトカーまで見ました。

33基が通り過ぎると、すぐに屋根の方に引っ込めていた信号機を元に戻すの
ですよ。以前にも見たのですが、今日はじっくりと見学。「鉾」や「山」も屋
台前に帰ると、すぐ解体を始めます。その後には加茂川の「床」でお疲れ様の
宴会が待っているそうですよ。隣にいたおじさんが私に話してくれたんですよ。

外人さんが、それも日本の浴衣姿を楽しんでいる人が目に付きましたよ。











今年はあまり傑作がありませんが、まあまあましな物を少しご披露しますね。
「稚児さんの綱きり」「くじ改め」「鉾の引き回し(方向転換)」等の見える場所
は押すな押すなの人ですが、そのほかは、距離が長いですから、そんなに
混んでいません。来年は行かれては? 一見の価値はありますよ。



















コメント (2)
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神戸市立森林植物園

2012年07月16日 | 一寸そこまで






暑くなりました、まもなく梅雨明けかしら? 今日は特に風が強く、木枯らしの
ように「ゴーゴー」と鳴っています。


丁度1週間前の9日、珠ちゃんと植物園に行ってきました。本当は2日か3日
の予定をしたのですが、お互いに用事のある翌日は身体を休めたいというお
年頃で、日が合わずに、1週間日延べをしました。

北鈴蘭台から、無料バスが出ているというので、北鈴で待ち合わせました。1
時間に1本ですから、遅れないようにと思い、8時半に家を出ました。

「暑い!32度になるらしいね!」と珠ちゃんからメールが入りましたが、私は
山の中だから町より涼しいのではないかと思っていました。正解でした。木
陰が多く、風が心地よかったです。

しかし心配していたように「アジサイの花」は散ってこそいませんが、色あせ
て、老婆の如く目を背けてしまいました。

折角写真を撮りたいと思って行ったのですから、「何処かにましな花はない
か?」と日陰に咲く花に目を凝らし続けました。そしてやっと見つけたのが
この写真です。

もう忘れてしまうぐらいの昔に「アジサイの頃、来たことがあるのです。その
時は丁度グッドタイミングで、その美しさが忘れられなくて、もう一度、「色
あせているだろうな?」と思いつつ、行ったのですが、失敗でした。時期を逸
すれば「諦めが肝心」と言うことでしょうか。

5.6年前、紅葉のころに来ました。それも池に映える紅葉が絶景でしたが、今
は緑の紅葉ですので、その片鱗もありません。再訪するべきか? どうか? 
心がぐらつきました。 

それでも相当数の方がカメラ片手に来ておられましたし、側に行ってみても、
色あせた花を上等なカメラで撮っておられました。高価なカメラって、色褪せが
緩和されるの? それとも色あせた花が良いのかな~? 私の僻み?



この4人の女性も、良いカメラ組です。左のまだ色あせていない花にレンズを
向けているのですが、私のカメラでは遠方過ぎて撮れません。彼女達の望遠
レンズつきカメラなら綺麗に写ったのでしょうね。又僻んでる?

そうじゃないのです。私くらいの年になりますと、デジカメでも重いと感じるの
です。1眼レフは重すぎて持ち歩けないのです。彼女たちは50代だと思うの
ですよ。だから金銭的に僻んでいるのではなく、体力的に羨んでいるのです。


             ↑  「ヒメコウホネ」 ↓  池の一面に覆い尽くしていました 


アジサイの時期は過ぎていましたが。「ヒメコウホネ」が見事に咲いていまし
た。小さな花ですから、池の縁を探して写しました。


        ↑   「モリアオガエルの袋」           ↓   「半化粧」


珍しい「モリアオガエル」の卵? を見つけました。植物園のブログで知って
いたから気づいたのですが、オタマジャクシが飛び出した後の袋はシワシワ
でぶら下がっていました。

「半化粧」がこの一角だけ、咲き残っていました。私が始めて「半化粧」を見
たのは皇居の東御苑でした。3.4年前の6月頃だったと思います。

お弁当を持たないで行きましたから、食堂で食べましたが、覚悟の上とは言
え不味かった。少し時間を置いて、近くの「弓削牧場のソフトクリーム」、ここ
でしか食べられない、というのはおいしかったです。



休憩所の窓なのですが、額縁の絵画のようでとても気に入りました。

珠ちゃんに「何が趣味なの?」と聞いてみました。今更と思ったのですが、「パ
ソコン」は嫌と言うし、今は小型の「タブレット」も出ているし「体の自由が利
かなくなっても、外と繋がっていられるよ」と言ったんですが、「調べたいこと
があれば孫娘に頼むからいいの」っていう答え。「そんなこと言ってると、すぐ
お嫁に行ってしまうよ!」っていたんです。苦笑していたけど。

珠ちゃんはいろんなこと調べるのがスキだといっていたんですよね。町でチラ
シを配っているとすぐ手を出すんです。

彼女には高校時代の仲良しさん3人組がいて、1人はパソコンをしないから、
そしてもう一人はいじるらしいけど、積極的活用はないようですから、あまり
話題にも上がらないし、興味がないのだと思います。その人達が、何かの拍
子でパソコンをいらうことになったる、彼女もするだろうな~と思っています。

こんなに楽しいオモチャ?を使わないなんって、損だとおもうのですけどね~。

「いつも何考えてるの?」「これからどうなるかな~?って…」「そんなこと
ばっかり考えても仕方がないでしょう、趣味がないなら『月1でも、食べ歩き
でもする? それなら付き合うよ…」答えは返って来ませんでした。












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歌は耳から…

2012年07月13日 | 今日この頃

  「ミソハギ」 お墓用の花だそうですが 関西のお盆の頃は咲き終わっています   (12-6-29)




今日は唱歌の学校1学期の最終授業でした。「夏休み」を歌って終わるので、
3年生の本を持っていくのは大変なので、コピーして持っていきまいた。余分
にコピーして、持っていない人に差し上げました。本当に、如何して私はこん
なに世話焼きなんでしょうね。

来年の音楽会の曲を歌う時、突然パートの入れ替えの話が持ち上がりました。
「ソプラノを歌いたい人が多いから、代わって」と言うことのようでした。以前に
もこんなことがあり、私は「アルト」に代わったことがあります。

みな同じような年代ですから、音の高さも領域も劣ってきています。だからど
のパートに移っても大差ないのは分かります。しかし私のように楽譜が読め
ないと、大体の歌がソプラノのメロディであることが大きな助けになっている
ので、おいそれと代わりたくないわけです。1度は先生の言われるとおり、代
わったから、もういいのだと思っています。

私はいつも思っているように、「アルト」は特に大切なパート、自分も光、そ
して「ソプラノ」も光らせなくてはならないのですから、しっかり歌える人が
いいと思っています。

だからなんと言われようと、代われない。「ソプラノを歌いたい人」と言われ
て、手を上げたのは私を含め2人でした。私は「ソプラノ」に居座るつもりで
す。

自分の声が出にくくなってきているのは分かっています。でも「私はシニア・
ソプラノだわ」と、自分で思っています。これだけ老人が増えて、歌う事を楽
しんでいるのですから「シニア・ソプラノ」と言うパートがあってもいいわ、と
一人思っています。「発想の転換」?

私が合唱曲を歌い始めたのは、集団疎開の時、小学3年生の時です。夜に
なると親を恋しがって泣く子が出ます。先生はその気持ちを忘れさせる為に、
毎晩寝る前に合唱をさせました。先生が、アコーディオンを引きながら歌の
口移しです。3部合唱でした。

その時から私は「歌は耳で聞いて覚えるもの」と思ったようです。30年以上
もコーラスをしながら、譜が読めないのは、覚えようとしないのは「耳で覚え
る」と頑固に信じているから、そして不自由を感じないからのようです。

勿論、前の合唱団の時も、唱歌の学校の時も、私は「楽譜が読めませんが、
入れていただけますか?」とお聞きしています。

その代わり、音楽会の前には、随分努力します。自分の為に迷惑をかけては
いけないと思うからです。まだまだ「耳で覚える学習」に自信はあります。こ
れが出来なくなった時が、歌うことから離れる時だと思っています。

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ボイジャー・オブ・ザ・シーズ

2012年07月12日 | 雑誌から




今日は雨なので、歩かずにバスで図書館へ、トコトコと2階に上がりました。い
つもは男性ばかりなのに、今日は女性ばかり、私を入れて3人。一人は何か写
してすぐ帰りましたが、もう一人は「神戸新聞」をじっくり読んでいました。

私は勿論、毎日新聞「AYAYA日記」を探して、見つけて、パチリと写して帰っ
て来ました。

大雨にならないうちにと、武庫之荘での買い物は止めて、まっすぐ、バスで帰
って来ました。







10日の火曜日、神戸に行きました。世界一の大きな観光船が神戸に入港した
と言う記事を見たからです。

今までも何度か大きな船を見に行きましたが、始めてみる大きさです。船とい
うよりマンションが浮かんでいると言う感じです。

同じ行くなら、出港の時間に行こうということになり、お昼は「お団子」と「果物」
だけにして、早い夕食を神戸で食べてから、見に行くことにして、2時過ぎに家
を出ました。

何時もの中華やで、何時ものものを注文しました。いつも使用時間は1時間で
すから、そのつもりで計算して、3時半到着。時間が時間ですから、ガラガラ
でした。

出港時間1時間前に港に到着。駅から船を写していますと、男性が、良いシャ
ッターポイントを教えてくれました。

まず横付けされた所まで行き、船尾、船首と船にそって写し、主人は神戸大橋
の上から、私はさっきの人の教えてくれた桟橋に分かれて撮影することにして、
私は一人で、桟橋に行きました。

一番先に行きますと、さっき教えてくれた男性がビット(係留柱=船を繋ぎ止
めるもの)にチョコンと腰掛けていました。「あ~、ここが良い場所なんだわ」
と思って、私もそこに座り込みました。

しばらくすると、足の下がグラリと揺れました。「地震?」気味悪くて思わず
口をついて出ました。隣の男性が「地震じゃないよ。ここは浮き桟橋だから、
浮いているだけだから揺れるよ」と教えてくれました。それを聞いて、安心し
て居ることが出来ました。

6時10分前に、汽笛が重々しく「ぼ~」となりました。5分前には又気笛と、黒
い煙が上がりました。いよいよ出向です。パイロットボートも待機しています。
大きな船体が後退を始めました。それから、前進に転じ港外に進んでいきました。

甲板には多くの人が出ていました。暮れなずむ神戸の港と別れを告げているの
でしょう。

これからは200枚近い写真の中から選んだ写真を見てください。


駅の窓越しに撮りました。大きい!  圧倒されました。










ボイジャー・オブ・ザ・シーズは世界一大きな客船です。当時世界一の豪華客
船と言われたタイタニック号の4倍、クイン・エリザベスの2倍の大きさだそ
うです。

総トン数:137,276トン
全長:310m
巡航速度:22.0ノット
全幅:48m
喫水:8.8m
乗客定員:3114名
乗組員数:1176名
就航年:1999年11月

船内で地上のあらゆる娯楽施設が備わっているそうです。従来の施設に加えて
、アイススケート・リング、ロッククライミングの壁面等々船上初の施設が満載
だそうです。

船内観光? の機会は1回だけあるのですが、残念ながら、神戸市民、神戸に通
勤通学の方のみだそうで、50名ですから、かなりの競争率でしょうね。


お土産を持って帰船して来た人々。「さよなら」って言っていましたよ。


世界一豪華客船に洗濯物? 驚いた!


    
        甲板から、お部屋から「さよなら」をする人。



岸壁から、神戸大橋から、浮き桟橋から「さよなら」をする人たち。








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刑事さん、さようなら

2012年07月11日 | 読みました

「ダリア」 何十年もこのはなだけなんですが 来年は違うのも植えてみようかな~(12-7-1)


今日は7ヶ月ぶりに大阪の病院に付き添いました。大阪駅に着いたとき、「診
察券」「保険書」を忘れたことに気が付きました。主人はそのまま病院に直行、
私はすぐ家に帰り、トンボ帰りで病院に向かいました。

入院時や通院時、大きな病院だと思っていましたが、今日久しぶりに行くと、小
さいと感じました。これはどういう心情の変化なんでしょうか?

相変わらず、病人であふれています。年を取れば、病院にお世話になるのは
誰しもですが、一人頑張って自分の足で来ている人を見るのはいいのですが、
入院中の患者さんが、ベッドのままレントゲンを取りに来たり、診察を受け
に下りて来たりしているのや、または車椅子で、何を聞かれても反応がなく、
うつろな表情の人を見ると、私もいつかはあのようになるのかな~? と考
えてしまい、憂鬱になり、気もそぞろとなります。

病院は病気を治すためには行かなければならない場所ですが、どうかそんな
状態になりませんように…と祈ります。



     刑事さん、さようなら      樋口 有介

これもサスペンス。「ぼくとぼくらの夏」で第6回サントリーミステリー
大賞読者賞を受賞、「風少女」では第103回直木賞候補作品となったそ
うですが、私はこの作品が初めてです。

警察の内部事情を知りましたね。警察関係って公僕だから、安いサラリー
だと思っていたのですが違ったようですね。

警察官の結婚に関しては、面倒な部分も有る。暴力団や反体制組織に関係
した家系か如何かがしらべられ、引っかかった場合は結婚のキャンセルか
本人の退職を迫られる。水商売や風俗関係もご法度で、たとえ表面的に誤
魔化しても、警察内での立場は悪くなる。必然的に同僚や上司の縁者が多
くなり、結果として「けいさついっか」のようになる。

本庁に行きたい後輩たち。それを部下にもつ須貝が主人公。同僚沙和子と
不倫関係に有る。一方、須貝の受け持つ殺人の関係者七沢夕美を慕うヨシ
オ。夕美の紐的存在の小暮がパソコン内に書き残した、夕美の経歴や小暮
との関係、その筋書き通り(実名で書いていた)須貝を自家用車の中に閉
じ込め、アルコールをかけ、焼死させるヨシオ。本の中ではガソリンだが
ヨシオは免許がないためガソリンが買えないからという。

ヨシオは養護施設で育ち、その先輩である男の店「竹林(トリム)」で焼
肉店の腕を仕込まれる。主人はガンで余命がない、ヨシオに店をゆする。

警察には特別調査費と言うのが有って立て替えたお金のにプラス3割り増
しの金額が戻されるって、本当? 須貝はそのお金を使って、事件を解決
しようとする。

夕美の父は幼稚園の送迎バスの運転手だった。シロバイの警官と衝突。死
亡させる。実際は警官が悪いが事故の直後に通りかかったシロバイ警官の
証明(ワゴン車は一時停止せずに側道から飛び出した」)と目撃証言させ
た事により有罪。

送迎バスの直後に居た軽自動車のドライバーも七沢に過失はないと証明、
しかしそれでは警察の面子が立たず、シロバイ警官の証言を取る。

七沢は一時停止違反、安全運転義務違反も否定、シロバイがありえないほど
のスピードで走ってきて、一方的にワゴン車の側面に衝突したと主張したが
取り上げてもらえなかった。

この幼稚園の送迎バスの事故は実際あったことですね。私の記憶の中に運
転手の人の無罪を勝ち取る為の署名運動があったと記憶しています。それ
でも、結果は有罪になったと記憶していますが…。真実がこの本の様であ
ったとしても、もう罪の償いを終えて折られる頃だと思います。なんだか
むなしいと言う後味でした。
                                (1890回)


 「ヘメロカリス」  この花も沢山咲きました 一寸色がきついのですが (12-7-7)
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尖閣諸島

2012年07月09日 | ネットニュースから

 「矢車ハッカ」 随分増えました  花びらが薄いのか とても写真が撮りにくい   (12-7-1)




国が「尖閣諸島」を買うと言い出した。そして、あろう事か、所有者にコンタクト
を取ったと言う。所有者は「石原氏に売りたい」と言う気持ちに変わりはない
と言う。それを受けて、石原氏は「まず都が買うから」と政府に言ったらしい。

国が買うなら、今すぐにでも買えるが、東京都の場合は3月(予算編成の為
か?)だと言う。国が買っても、今までどうり、「誰も上陸させない」と言うこと
に終始すれば、何のことはない、中国を安心させるだけである。

石原氏に全てを任せて買取を済ませ、色々と実用的な基本法律の制定まで、
石原氏にお願いしたい。多くの寄付された方も、それを望んでおられるの
です。

石原氏の言われるように、「尖閣諸島」の生物の調査、そして、誰でも上陸で
きるようなシステム(行ってみたいな~)を作り上げてから、国に譲渡しても遅
すぎることはない。

『石垣市長が石原都知事に面会して、「尖閣の最大の調査研究書」50冊を贈
呈したそうですね。この書は元琉球大学長(高良鉄夫)を中心に米国統治下の
昭和25~43年、上陸して5度実施された学術調査団の成果をまとめたもの
です。アホウドリを初めとする海鳥や植物に食害をもたらすヤギの生態、植生、
水質や海洋調査、開拓の歴史と言った幅広い報告や写真、資料が網羅され、
中山市長は「これ以上の調査記録はない、日本の実行支配の歴史を正確につ
たえるものだ」と話したと言う。

石原都知事は、面会後の定例会見で同書について「ほうぼうに配りたい」と語
り、担当者は「活用策検討の基礎資料として使うほか、都立図書館などに置い
てもらえるように検討したい」と話している』(ネットニュースより)

後々は国境の島であり、資源豊富な海域にあるのだから、やっぱり自衛隊の
駐屯が望ましいが、それは国の仕事だから、いつかは国が購入すべきである
とは思いますが、今すぐというのは考えられない。ありがたいことに、所有者も
石原氏を信じて、東京都に売却を望んでくださる。

尖閣諸島は4島らしいが、買い上げの対象になっているのは3島らしい。「何
故?」と思っていたら1島は「アメリカの射撃練習場」になっているそうです。
知らなかったな~。

国(政府)が急に動き始めたのは、小澤氏の離党で数の減った民主党が、挽
回(国民の気持ちを民主党に取り戻す)するのに、格好の材料であるから、と
言う思惑があるのだという意見もある。さも有なんと言う気がするが、そうさせ
てはならにと言う気持ちが強いのです。

こうなれば、「早く来い来い来年よ!」です。石原氏が、尖閣諸島の地に降り
立つ日が一日でも早い事を祈っております。

     ☆ 明日お休みします。


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忙しかった一日

2012年07月06日 | 気にかかる

 「つるバラ」    枯れかけていた木が少しずつ力を取り戻し 沢山の花を咲かせました  (12-5-16)


唱歌の学校で、先日の音楽会の録音テープを聞かせていただきました。「ほ
たる」いい感じでした。歌っている時は自分のパートを歌うことで精一杯です
し、並んだ横からの音ですから、ハーモニーは分かりません。「えっ!」と驚
くぐらいいい感じでしたよ。「こんな歌だったんだ!」先生もけなしはなさいま
せんでしたし、皆さん録音を聞いて驚いたようでした。「いいね~!」って。

西洋音楽ではリズム(律動)、メロディー(旋律)、ハーモニー(和声)を音楽の
三要素と言うそうです。他の2つは普通でも、三要素の1つハーモニーが優れ
ているのはいいんじゃないですか? 満足満足。

他の歌は勿論いい感じのハーモニーでした。優しくて、暖かくていい感じです。
皆さん上出来に驚いたり、喜んだり「自画自賛」です。いいじゃないですか、
コンテストに出ようというわけではなし、好きで、趣味で歌ってるのですから、
私は益々、わがクラスのハーモニーが好きになりましたよ。


昨日に比べて今日は大忙しでした。学校の帰りには大阪に出て、食べ物の買
出し、両手一杯の荷物で、雨が小雨でよかったです。午前中は月参りでお坊
さんがこられましたし…。

お坊さんと、大阪市の橋元市長と文楽協会の話が出たんですよ。近松さんの
菩提寺ですから、近松さんの作品を上演される前には、お人形共々太夫さん
がお墓詣りにこられるのですよ。だから文楽の話になったのですが、お坊さ
ん曰く「人形遣いの太夫さんが頂点におられるのではなく、協会のトップは文
楽の事を何も知らない、お役人の天下りの人」だそうです。

橋元市長が、公開の場で話し合いを持たなければ、給付金カットといわれるの
は、その辺に意味がありそうですね。芸の向上や文楽の普及の為に交付した
はずのお金が、天下りの役員の高い給料に消えていることに、市長は気づい
たのではないでしょうか?

協会側があくまで非公開での話し合いを求めるのは、後ろ暗いからではないか
しら? 素人の私が考えても、天下りの役員、金食い虫は要りませんね。堂々
と公開の場で話し合ったらいいのではないでしょうか。そして文楽の普及の為
に頂いたお金を使うなら、日本文化の存続の為で、生き金になるのではないで
しょうか。




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ヒッグス粒子? 初めて知った言葉

2012年07月05日 | 新聞から

     「アガパンサス」   あまりにも大株になりました 整理対象株     (12-7-5)




じめじめしとしと梅雨独特の一日でした。それに誘われて寝るわ寝るわ、一日
中うとうとしていました。血圧が低め、これが関係しているのかな~? と自己
判断。

昨日は物理学者の事を書きました。今日もまた物理学のお話。

「ヒッグス粒子」のお話。これは「重さ」の起源(始まり、元)だというのです。
「原子」のもっと小さい粒が「素粒子」。どんなものでもどんどん細かくしてい
くと、最後はもうこれ以上分割できない粒になる、それが「素粒子」。

「素粒子」は17あって、そのうち16は見つかっていたのが、最後のひとつ
が、このたびの新粒子。50年間見つからなかったそうで、もう見つからない
だろうと言われていたものです。

「ヒッグス粒子」というのは「重さ」の元と言う事で、他の素粒子のように物質
を構成するものではなく、質量を与える役目を果していると考えられています。
もし存在しなければ、あらゆるものが、高速で飛んでしまい、宇宙の成り立ち
が説明できなくなるそうです。故に欧米では「神の粒子」と呼ばれているそう
です。

今年中には、その成功が認められて、ノーベル賞に値するそうですよ。

「素粒子物理学」の進展には日本の研究者も大きく貢献しているそうです。
2008年にノーベル物理賞を受けた南部陽一郎博士の理論はヒッグス粒子
のヒントになっています。湯川秀樹博士、小林誠博士、益川敏英博士も素粒
子物理学の理論の研究で、小柴昌俊博士は素粒子ニュートリノの観測でノー
ベル賞を受賞しています。 日本の物理学界って凄いんですね~。拍手喝采!

でも私から考えると「ものに重さ」があるなんて、当然のことで、それを不思
議がることすら、頭になかったですよね。物理学というのは、とんでもない
(私達凡人にとっては)事に疑問を感じ、突き詰めていく学問なんですね。

そんな私にでも、驚きと興味を持たせてくれるのは、新聞なんですよね。そし
てもう少し深く知りたいと思えば、パソコンが希望を叶えてくれます。遅れ馳
せながらいい時代に生まれたな~と思います。

私はあまりテレビを見ないほうなのですが、この度のようなことの報道はテレ
ビも目で見せてくれますから、貴重な存在であり、ありがたいことです。益々、
この世にじっくりと留まりたいと執着心がわきます。生ある限り、新しいこと
に関心と喜びを持ち、人の邪魔にならないように、世の中の片隅で、楽しい人
生を送りたいと願っております。



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家で子育てをする人のことも考えて

2012年07月04日 | 気にかかる

  「モントプレチャー」  沢山咲きました  好きな花の一つです     (12-6-25)




図書館からメールが来たので、トコトコと歩いて、本を受け取って来ました。
2階に上がって白井元市長の「AYAYA日記」を読むつもりでしたが、新聞
が貸し出されていて、それと思しき人が、じっくりと読んでおられたので、「こ
れは待っても仕方がない、又の日にしよう」と階段を下りました。相変わらず
2階は男性のみ。

小澤さんのグループの話で持ちきりで「反原発」の声は「何処に…」って感じ
ですね。再稼動の前夜は、道路封鎖をしたり、故に、立会いの監査の方たち
は海から上陸すると言う、前代未聞の出来事だったそうですね。又、夜っぴて
鐘や鳴り物で騒いでいたそうですが、地元の方は納得しているのに迷惑な話
です。今はもう引き上げたのでしょうか。


日経新聞に「私の履歴書」と言うコーナーがあります。先月は慶応大学名誉教
授で物理学の大御所である米沢富美子さんの記事でした。1ヶ月にわたり、生
まれた時から現在までをご自身で書かれるのです。

私は勿論、米沢さんを存じ上げませんでした。しかし、読み続けるうちに、なん
と凄い人も居られるものだと、驚きました。

物理学、科学者としての業績は申すに及ばずです。その私生活の頑張りに対
してです。物理の研究、論文発表をこなしながら、家庭を持ち、3人の子供を
生み育てたことに対してです。ご自身も病にたおれ、ご主人を看取り、休む間
もない主婦、妻、母の仕事をこなしながら、科学者として一流なのです。

子供は皆で育てるもの、働く女性の為に、あれも欲しい、これも貰いたいと口
にする女性に、言って聞かせて欲しい。「子供は自分で育てるもの…」

外に出て働くことが、偉い事であるような錯覚を持っているようです。託児所
託児所と言い募りますが、それは働く母親の為であり、家で子育てする母親
の為ではないようです。

家で子育てする母親だって、病気にもなれば、一日くらい子育てから開放され
て、お出かけもしたいでしょう、そのための託児所を! と言う話は聞きませ
ん。勿論そのための託児所を特別に、何て言うのではありません各託児所に、
子育てをする母親の必要時の為のスペースをとってほしいと言うことです。働
く母親だけの事を考えるのは片手落ちだと思いますよ。本来の女の仕事、子供
を生み育てると言う事を実行している、母親に対しての心配りがまったくあり
ません。

メキシコのオユキさんの日本に居る長女が、娘が小学生になったとき「スペイ
ン語を生かした、仕事がしたい」と言ったとき「子供が低学年の間は働きに出
てはいけない」と母はいう、私は働きたいとメールをくれたことがあります。
「私もお母さんと同じ考えですよ。低学年のうちは『ただいま』と帰ったら母
親が『お帰り』と迎えてくれる家庭で居てください。後3年はスペイン語の勉
強の時間だと思ってください」と返事しました。

私の母のように働かないと食べていけないのなら別です。今はローン返済の為、
生活を楽しむ為とか、やり繰りして、我慢の生活はいや、と言う理由が多いよ
うな気がします。

先日何方かがおっしゃいましたね。「せめて1歳までは自分で育ててください」
って。子供を人任せにする事を前提の政策より、いつでも、復職できるような
制度を考えてあげてください。



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少女

2012年07月03日 | 読みました

   「ギボシ」 ふくりんの葉と 花びらのはかない青が大好きです 沢山咲きました   (12-6-30)


良く降りましたね。人間の私はうんざりですが、花たちは生き生きとしています。
大きな鉢に植え替えた花は、鉢一杯に広がって、喜びを表しています。花の写
真のストックが増えました。

今年はどの花も、綺麗に、沢山咲いてくれたので、冬の花のない時期のための
予備があると喜んでいます。デモね。咲いたあくる年はあまり咲かないと言う
ジンクスがあるんですよ。


        少 女         湊 かなえ

この本を読んでいるときに、作者が第65回「日本推理作家協会賞・短編部」
を「望郷、海の星」で受賞しました。早速、図書館に行ったのですが、短編ゆ
えか、題名としての本は出ていなかった。賞を取ったのだから、そのうち、改
めて出版されるのを待つより仕方がないのだろうか。

少女小説を読んだ昔を思い出しました。勿論私達の少女時代といえば、吉屋
信子等の小説です(推理ではない)。でも構造と言うか、なんだかとても似て
いるような気がしました。

これもまた、敦子と由紀という二人女の子が、交互に語ると言う形です。近年
はこういう書き方が多いな~と感じています。

由紀が敦子だけに思いを伝える為に、敦子だけに読ませるつもりで書いた「ヨ
ルの綱渡り」と言う小説を入れた鞄を学校に忘れた。教師が、その小説を自分
名で投稿し、賞を得る。

由紀はそれを抗議しなかったけれど、教師は事故死する。

敦子は体が不調で体育の時間を見学に廻ることが多く、単位が足りない分、夏
休みに「ボランティア活動」をすることになった。「シルバーシャトー」と言う特別
擁護老人ホームで働くことに成った。

由紀はS大学付属病院小児科病棟でボランティヤー。

別々の場所で働く二人の周りの出来事が、廻りまわって、ひとつの事件を生む
と言うお話。

援交とか裏サイドの書き込みとか、今の学生の一部分の生活を覗いた気にもな
った。

私は読み終えて、この頃如何して、こういう傾向の本を読んでいるのか?と考
えた。本が沢山出ているので、図書館の「良く読まれて居る本」とか「本屋大
賞」とかを申し込んで手っ取り早く読んでいるからではないかと、気づいた。
これらは若者向けのような気がする。と言うことは今の若者は読書離れしてい
ると言うのは間違いでかな~? もう少し大人の本が読みたいと感じるように
なった。しかし主人名義と、自分名義で20冊の予約が入れてある。本屋に足
を運んで自分で現物をチェックしてから申し込むべきかな?



コメント
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