ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

歌は耳から…

2012年07月13日 | 今日この頃

  「ミソハギ」 お墓用の花だそうですが 関西のお盆の頃は咲き終わっています   (12-6-29)




今日は唱歌の学校1学期の最終授業でした。「夏休み」を歌って終わるので、
3年生の本を持っていくのは大変なので、コピーして持っていきまいた。余分
にコピーして、持っていない人に差し上げました。本当に、如何して私はこん
なに世話焼きなんでしょうね。

来年の音楽会の曲を歌う時、突然パートの入れ替えの話が持ち上がりました。
「ソプラノを歌いたい人が多いから、代わって」と言うことのようでした。以前に
もこんなことがあり、私は「アルト」に代わったことがあります。

みな同じような年代ですから、音の高さも領域も劣ってきています。だからど
のパートに移っても大差ないのは分かります。しかし私のように楽譜が読め
ないと、大体の歌がソプラノのメロディであることが大きな助けになっている
ので、おいそれと代わりたくないわけです。1度は先生の言われるとおり、代
わったから、もういいのだと思っています。

私はいつも思っているように、「アルト」は特に大切なパート、自分も光、そ
して「ソプラノ」も光らせなくてはならないのですから、しっかり歌える人が
いいと思っています。

だからなんと言われようと、代われない。「ソプラノを歌いたい人」と言われ
て、手を上げたのは私を含め2人でした。私は「ソプラノ」に居座るつもりで
す。

自分の声が出にくくなってきているのは分かっています。でも「私はシニア・
ソプラノだわ」と、自分で思っています。これだけ老人が増えて、歌う事を楽
しんでいるのですから「シニア・ソプラノ」と言うパートがあってもいいわ、と
一人思っています。「発想の転換」?

私が合唱曲を歌い始めたのは、集団疎開の時、小学3年生の時です。夜に
なると親を恋しがって泣く子が出ます。先生はその気持ちを忘れさせる為に、
毎晩寝る前に合唱をさせました。先生が、アコーディオンを引きながら歌の
口移しです。3部合唱でした。

その時から私は「歌は耳で聞いて覚えるもの」と思ったようです。30年以上
もコーラスをしながら、譜が読めないのは、覚えようとしないのは「耳で覚え
る」と頑固に信じているから、そして不自由を感じないからのようです。

勿論、前の合唱団の時も、唱歌の学校の時も、私は「楽譜が読めませんが、
入れていただけますか?」とお聞きしています。

その代わり、音楽会の前には、随分努力します。自分の為に迷惑をかけては
いけないと思うからです。まだまだ「耳で覚える学習」に自信はあります。こ
れが出来なくなった時が、歌うことから離れる時だと思っています。

コメント
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