ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

健康寿命

2012年07月25日 | 新聞から

     「クレマチス」   次々と一輪二輪と咲き続けています     (12-7-7)


午後から近所の天然温泉(主人のお気に入り)に行ってきました。今日は65
歳以上の人は500円だからと誘われていきました。

ブルーとレッドのリュックを背負って、二人ポトポト(こんな言葉あるかしら? で
も字であらわせばこんな感じ)と歩く姿に、人はなんと思ったでしょう。

確かに後は気持ちがいいのですが、あまりお風呂が好きではなく、「烏の行水」
の私は、時間が勿体ない、という気がするのです。


「健康寿命」とは日常的に介護を必要としないで、自立した生活が出来る生存
期間。

WHOが2000年にこの言葉を公表=平均寿命から介護(自立した生活が出
来ない)を引いた残りが「健康寿命」 私は知りませんでした。去年かな? 
ぐらいに知りました。

何故「健康寿命」を取り上げたかというと、今朝のサンケイのオピニオンで
曽野綾子さんが「健康寿命」について書かれていたからです。

「生きている限り働くのが自然」 という見出しです。

日本人の平均寿命は 男=79.64才(健康寿命・70.42) 
           女=85.75才( 〃  ・73.62)
それぞれを差し引くと男性は老後の9年間、女性は12年以上も人の手を借り
なければならないという計算になります。

この計算によると、主人は4年近くも「健康寿命」を上回って健康維持してい
るし、私は5年も上回っている事になります。なんとありがたい事でしょうか。

私が住んでいる家は50年以上もたつ木造の古家で、その屋根の下に
は家の古さにふさわしいような高齢者が家族として生きている。

これはいつも私の口癖で、あちこち家の傷みがに気づくと「しゃ~ないな~、
持ち主も痛んできてるしな~」と諦めています。

別にお金になる勤めに出なくてもいい。人間も、料理、洗濯、掃除、片付
け物をしてこの世を生きるのが当然だという事だ。私の場合、毎日料理と
いう名の餌作りをする。生活上で持ち続けるこの緊張感が、私の場合は
健康に役立っている…私はいつも「仕方なく」生きているという実感を持
っているのだが、それを惨めだと感じたことはない。


そうですよね。凡人の私たちが、今更お金を求めて働く事などできるはずが
ありません。しかし身も心も元気でいようと、出歩くのは、私にとって「遊び」
ではなく「今日を生きる」ことなんです。そうする事によって最低の医療費で
すむなら、これも一つの社会貢献ですよね。

生きている間は「職に就け」という事を言われますと、身の縮む思いですし、
立つ瀬がありませんしかし、家事をすることも立派な仕事だといわれると
ホッとします。

うっかり賞味期限の過ぎたものは、捨てる事にしています。「お医者さんに
掛かるより、捨てたほうがいいよ」と自分に言い聞かせます。胃腸の弱って
きた自分たちには、それが正解だと思うからです
                                (1900回)





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