ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

「いじめ」と「意地悪」

2012年07月20日 | 気にかかる

     「ノウゼンカヅラ」     尼崎市・大井戸公園     (12-7-3)




明け方、目覚めた時、遠雷を聞いた。まもなく強い雨が降り始めた。「天気予
報当たったな~」と思いながら、日のさす前に草むしりしようと思っていた出
鼻をくじかれた。思い通りにいかないな~。

今日も新聞もテレビも「いじめ いじめ」ですね。一人の人間を死に追いやる
までのいじめは「犯罪」ですよね。男子だけではなく、女子も肉体的ないじめ
があったとアラフォーのタレントが話していましたね。「4.5人で、裸にして、
首まで埋められた」って。信じられない話です。女の子というのは仲間はずれ
にするくらいかな~と思っていました。

70年近く前の、私達の頃「いじめっ子」と言う言葉はあったような記憶があ
りますが、今報道されているような、陰湿なものではなかったと思います。や
はり、なんとも思わないように人を殺すのが「テレビの影響」のように、やっ
ぱり「人を殴ったり、けったりの暴力シーン」の影響があるのかもと思います。
「自分もやってみたい」と思ったのかも知れません。

暴力でなくとも、お笑いで相手の頭を叩くのもいい感じではありません。あま
り子供にいい効果の無いことはテレビではしないで頂きたいと思います。

私達の子供の時代にも「いじめっ子」と言う言葉はありましたが、人の命を奪
うほどの苦しみを与えるものではなかったと思います。「いやがらせ」という
類だったと思います。

私自身、意地悪をされたり、意地悪をしたりした記憶はあります。何方でも一
度や二度は経験しているのではないでしょうか。しかし自分がした意地悪より、
された意地悪の方が心の傷として残っています、勝手なものです。

やはり「人間みな平等」と言う戦後、日教組の教育の影響もあるような気がし
ます。どの子も平等にと言う事で、出演者、全員が「桃太郎」と言う変な劇を
子供にさせます。「おじいさん」「おばあさん」「犬」「猿」「雉」「鬼」がいていい
のではないですか?

先生と生徒も平等である。と言う事で教壇を外したと聞いていますが、物事を
教える先生と教えてもらう生徒が平等なはずがないではありませんか。先生
になる事を「教壇に立つ」と言いましたが、今の先生にはこの言葉が示す≪教
壇≫を知らない先生もおられるのではないでしょうか? なんともやりきれな
い気持ちです。

この度の事件を基にして、教育するという事をもう一度考え直して欲しいと思
います。先生の地位も「聖職」と言われた時代に戻し、ものごとに対する「敬
い」の心を育ててやってほしいです。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする