「ペチュニア」 尼崎・スポーツクラブ・ウッディ (10-7-24)
2週間ぶりにウッディに行きました。夏風を引いてしまって、10日ほど咳に悩ま
されました。そのほかは何処も悪くないのですが、動くと咳き込むのでじ~っと
しているより無かったのです。はじめに頂いた薬が効かなくて、「風邪喘息」と
言われ、喘息の薬を貰いました。咳薬が効かない人が増えて、この喘息の吸
引薬を使うと止まる人が増え、だんだん使用するようになっていると言う事とで
した。おかげさまで3日ほどで激しい咳は止まりました。
昨日初めて、庭の手入れを2時間ばかりして、大丈夫だったので、今日身体を
動かしに行きました。後遺症で声が嗄れていますが峠は越えたと思っています。
先週の徹子の部屋は「戦争を語り継ぐ」と言う事で、実際に戦争体験者のお話
を聞く時間でした。その1日に裏千家玄室さんが特攻隊で生き残っているご自
分について語っておられました。
玄室さんは言われました「私が死ぬまで私の戦争は終わっていない」特攻隊員
でありながら、生き延びた自分に複雑な思いを持ち続けておられるようでした。
「お父さんには悪いけど、みんなお母さ~んと叫んで死んで逝ったと思います」
映画などでは「天皇陛下万歳!!」と言ったと描かれていますが、生きて帰れ
ない、片道の燃料を積んだ飛行機で、目的地に飛ぶ時、その行動自体は「お
国の為、天皇陛下の御為」の行動ですが、胸に浮かぶのは故郷に残した親、
兄弟のことではないでしょうか。
特攻隊員は20前後の若者であるので妻帯者はまれのようでした。
その飛行機で鹿児島の知覧の基地から彼らが向かったのは「沖縄」なんです
よね。沖縄の方は「何で沖縄だけが…」「本土の人は沖縄をほって置いた」と
か言われますが、日本中から集められた若人が命を捨てて沖縄を守る為に志
願して、死んでいったんですよ。
「何で沖縄だけが…」と言われてもアメリカが本土を攻撃するのに距離的に都
合のいい沖縄を選んで攻めてきたわけです。本土の人が「沖縄で戦争しましょ
う」と言ったわけではないのです。だから全土から沖縄を守る為に若者が招集
されたのではないですか。乗り込んでしまえば(トラブルがおきない限り)帰航
するべき燃料は無く、体当たりして死ぬしかない飛行機で助けに行ったんです
よ。だから「沖縄だけが…」と言うのは間違っていると思います。
本土も空襲を受けました。1回の焼夷弾の爆撃で何万と言う人が亡くなりまし
た。我故郷神戸も昭和20年3月17日に大空襲を受け、我が家も跡形もなくな
りました。私の母も焼夷弾の破片を身体に受けました。命が助かっただけであ
りがたいと思っています。このことを知ったのは11月に神戸に帰り、「これがそ
の時の傷よ」と見せられた時に初めて知ったのです。
沖縄に行った時「摩文仁(まぶに)の丘」の「平和の礎」(礎=沖縄の方言で
いしじと読む)で戦争でなくなった方々(地上戦で亡くなった人だけではなく、一
般民も敵国の人も外国人も)の名前が刻み込まれているのを見たときに、「この
人たちは、こうして生きていた証しがある。でも本土で命を失った人たちはそれ
すらないのです。沖縄の人の方が幸せちゃう」と思いました。
沖縄の地で命を落とした人全ての名を記したのは、沖縄の人の死者への敬虔の
念がそうさせたのでしょう。
A級戦犯が合祀されているから靖国に参らないと言う閣僚たちを持つ今の日本
を恥ずかしいと思います。
戦争は大なり小なり全国民の運命を変えました。「お国の為」と若い命を散らし
た人がいるのだから、命永らえた者がとやかく不足を言うことは無いと思います。
基地問題にしても社民党は「全島一致」と言いますが、基地があればこそ、生活
の糧を得ている人も反対でしょうか、何事も良い面も悪い面もあるのではないで
すか。寝ていた子を起こしてしまった、民主党がどのような裁きをするのか、お
手並み拝見するしかない私ですが…。