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ポスター
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8月6日(金)今年も又、広島の式典に行ってきました。4回目になります。年々
参加者が増えてきている気がします。ボランティアの車椅子もフル回転していま
した。
ところが例年なら目だし帽にのぼりを持ってシュプレヒコールの兄チャンたち
が入り口でのお出迎えなのに、今年は姿がありませんでした。どうしたのでし
ょうね、かえって気になりました。
例年通り、息子とは式典が終わったら会うという約束で別行動です。私はいつ
も陣取る場所へ人波をかき分けて前に出ます。式場に到着するのがいつもぎり
ぎりですから、ドームまえのに立っ人は豆粒のようにしか見えません。声はス
ピーカーから流れてきますので大丈夫です。
今年は国連総長や米国大使や英国、フランスも始めて参列されたようです。外
国の参列者は74カ国にのぼったそうです。核保有国ロシアは11年連続での参
列ですが、中国は2年連続欠席だそうです。何か含むところあり?
アメリカは「戦争を早く終結させるために原爆を落とした」といい、決して悪
いことをしたとは言いません。一般人を20万人も、逸れも、何で自分の命が
奪われたかも知らないなくなり方をした犠牲者のことを考える時、なんとむご
いことをと思うのですが、アメリカの報告書には「2度の実験は成功」と記さ
れていると読み、かの国によれば新型爆弾の実験でしかなかったのかと、
悔しさがつのります。
だからアメリカ大使の参列は本国では反対もあるようです。無言の謝罪に取
られかねないからと。良し悪しは別にして、戦争と言う中で起こった出来事で
すから、アメリカが「悪かった」と言わないほうが、日本のように何でもかん
でも「私の方が悪かったのです」と謝り続け、政府間で解決済みのことをも
蒸し返して、謝ろうとするより良いように思います。
こうして何度も足をはこび、その席に身をおきますと、自分の気持ちに変化が
起きてきているのを感じます。もっと国防費を増やして、自衛隊を大きくする。
どういう形でかはまだわかりませんが、被爆国だからこそ、「核」を持ったほ
うがいいのではないか?「核」は戦争に治する抑止力になるのではないか?と
か、その場に身を置いてこそ見えてくることもあるような気がします。
2010.8.6の空
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平和の使者の鳩の放鳩
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/01/fe9630fd64209753ad88722263813f79.jpg)
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↑ 献花をする人々 ↓ 献花を待つ人々の長~い列
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沢山のカメラとともにインタビューを受けるこの人は誰? 有名人か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/65/47b90db20528615171614dedb351a3c0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/6e/bcb107567c45db9d03127886c2113832.jpg)
上のインタビューを受けている人は、私のそばで座っていた人なんですが、カ
メラマンの人が来て、「お話を聞きたい…」と言うようなことを言っていました。
その後で娘さんと二人インタビューを受けていたのですが、娘さんはもう一人
いました。そばだったので、何となく目立つ人だな~と思ってみていましたか
ら、インタビューを受けているのを見て「やっぱりな~」と思いました。
式典が終わって、献花の列に加わりました。ここでも外国のカメラマンが多い
な~と感じました。
「平和記念資料館」に行きました。入ってすぐ「8時15分を指して止まってい
る時計」の所に真っ直ぐに行きました。「この時計は私の兄のものです」と説
明してくれた人の顔を求めてです。去年もいませんでしたし、今年もいません
でした。「どうしてかな~?」なんだか寂しい気がしました。彼女は私と同い
年だといっていました。お元気なら、今日この場にいないはずが無いと私は
思うのですが…。
4回目ですから、陳列の品はす~っと流しました。そしてビデオを見ることに
しました。ビデオも色々在って、「被爆者の当日の思い出話」を選びました。
10人の方のお話を聞きました。その中で印象に残ったお話は『その時は広
島には「黒、白、赤」の色しかなかった。緑が無かった』
一瞬の爆風で自分自身も飛ばされ何も無くなった。そして空高くもくもくと黒
い雲が登った。そして火事がおきその赤とけが人の血の赤色、そこには一
瞬にして、爆風になぎ倒された家の残骸があったが、草木の緑は無かった
のです。
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被爆した「アオギリ」の実
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/3a/cffb432b390cc00bac61f470630cdd58.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/4f/84b23ed60e6fcfd06b394bef4bf1bbd2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b3/8990647f3995b4a7e0f64d8df9b013cb.jpg)
上の「アオギリの木」は爆心地から1.3K離れた土地で被爆し、幹が2つに引
き裂かれながらも、やがて芽吹き生きています。今は1973年(昭和48年)
5月に「平和資料館」の隣に移植されています。種を育て、学校に植えてもら
っているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/07/53af2f26ba477c6988139528cd8dbc92.jpg)
午後からは「広島市現代美術館」に行きましたが、現代美術と言うものが、現
代人でありながら、私には理解できませんでした。何を表しているのかがよく
わからないのです。仕切られた大きな部屋に1点または数点づつ、大きな空
間の中に贅沢に飾られています。
「絵画」と言うよりも、「映像」が多かったように思います。これもまた判ったよ
うな判らないような映像です。
又本人も参加する(実験する)ものもありました。係りの人に勧められてやっ
てみました。不思議?に面白いものがあり、これでやっと来た甲斐があった
かな?と思いました。因みに65歳以上は無料でした。
(1440回)
☆ 明日お休みします