ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

オユキさん元気?

2010年08月13日 | 思い出話

   「ルドベキア」の種類だと思うのですが…     ↓  ガレージの屋根を抜いて高く咲いています


今日はお坊さん待ちの一日と覚悟していました。ところが7時過ぎに見えたん
です。お盆のことですから10分ほどでそそくさと帰られます。「今から30軒以
上廻るので、夜まで掛かります」と言っておられました。駐車違反が厳しいの
で奥様が同乗されているそうです。10日から15日までお盆のお勤めがある
そうです。今日も6時から寺を出られたそうです。


オユキさん元気? メキシコではお葬式以後は取り立てて何も無いって言って
いましたよね。だから日本に来ていますか?ご主人も一緒ですよね?こちらに
はご両親も末の妹さんも、そして私をとても可愛がってくださったお祖母さん
も居られるしね…。

そして貴女を偲ぶ側としては、妹さんや弟さんや、上海時代からの親友あけみ
ちゃんや私達友達もいますしね。

今日は一日貴女のことを思い出していました。貴女が、日本に最後にこられた
のは、2008年3月22日に東京に着いて5月8日日本を発ったのでした。

日本に来るとスケジュールを知らせてくれましたね。それを聞いてから、会う
ためのセッティングをするのが私のお仕事でした。

東京に着いた始めの1週間と4月の下旬の1週間は東京でした。東京ではメキ
シコ駐在だった方達と旧交を温めていましたね。4月下旬の東京行きのときは、
一人の方の別荘に泊り込んで、マージャン大会をするのが常でしたね。皆さん
貴女の早い死に驚かれたでしょうね。

細かいスケジュールを知らせて頂いて、電話で連絡を取りながら、こちらのス
ケジュールを作るのが私の楽しみでした。同期会があるときは事前にメキシコ
に知らせておきましたからその時期に帰ってきてくれましたね。今年も中学と
高校の同期会があるので。どちらかに帰ってきませんか、と知らせたばかりで
したね。
 
私ははっとりさん宅に二人で行ったのが最後だったかな~、それともクラス会
だったかな~と考えていました。今日手帳を出して確かめてみました。同期会
が4月15日。翌日二人で、はっとりさん宅へ。そして私達がいつも花見をさ
せていただく中田さん宅が4月28日。5月始めには何時もの通り4人組で会
う予定でしたが、一人はご主人の看病で、もうひとりが体調不良でおじゃんに
なりましたから、最後になったのは4月28日と言うことになります。

中田さん宅は坂の上なのでズックをはいてきてといったのですが、ハイヒール
しか持ってきてないとヒールで、と言うよりはいつも自動車が足のオユキさん
には少し無理な距離だったのでしょう。だから私は中田さんに「自動車でJR
の駅まで送ってください」とお願いして、もう一人こすぎさんと二人送っても
らいましたね。残ったみんなで「またね~」と見送ったのが最後のお別れにな
るなんて、誰が想像したでしょう。

人との「さよなら」は大切にと言う言葉は知っていてもわが身に起こるとは思
わないのが人間でしょうか?

長生きするということは若い時には想像できなかったような老いへの体調の変
化と親しい人との悲しい別れを経験することなんですね。

オユキさん貴女は全てに私より優れていました。でも偉ぶらない貴女がとても
好きでした。私は元気な貴女しか知らないから、思い出の中の貴女は元気です。
色んな思い出をありがとう。貴女との思い出を大切にしますよ。




           正統派の「ひまわり」と思います?   武庫之荘 (10-7-7)

                     実は矮性の鉢植えでした
コメント
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