ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

嬉しはずかし金婚式の日

2009年05月04日 | 思い出話


今日は私達の金婚式の日だったのです。家族でささやかなお食事会を神戸のステーキ屋さんでしてきました。

50年早かったような、長かったような…。でも自分達が元気で金婚式を迎えられるなんて、考えていませんでした。二人とも大病もせず、息子達はリストラにも遭わず、どうにか好きなことのできる健康に恵まれて、今日を迎える事が出来ました。感謝の一日でした。

人様の役立つようなボランティアなどするわけでもなく、只、家族の為に生きてきた私なのに、神様は私に二人揃って健康で長生きと言うご褒美をくださいました。

50年前の今日、祭日ではありませんでした。神戸のオリエンタルホテルで午後3時と言う最終組の挙式でした。ですから披露宴は4時だったと思います。

ホテルが会社の近くにあったものですから、会社の上司の方々は1時間早引きして、私達の門出を祝ってくださったと記憶しております。

今のオリエンタルホテルと違って、その当時は玄関まで20段ぐらいの階段を登るので、家から着付けてきた私は大変でした。

タクシーに乗り降りする時も入り口に頭をぶつけて、鬘が脱げそうになったり、暑い日でしたから、鬘の下に披露宴の為のセットをしていたのですが、汗でカールがとれて美容師さんを慌てさせたりと、私らしいちっちゃなハプニングの連続の一日でした。

今のように友人を式に呼ぶと言うことが少なかったですから、家の方に皆さんきてくださいました。カメラを持っていた友人は(今のようにカメラは万人のものではありませんでした)始から終わりまで着付けの様子を撮り続けてくれましたし、出来上がった頃には、カメラマンを職業に選んだ、すぎおさんが撮りに来てくれました。

新婚旅行は有馬、京都と近場だったんです。丁度会社の忙しい(神戸港に船の出入りが多かった)時で3日ぐらいしか休暇が取れなかったようです。う~ん、新婚旅行の費用は義兄が出してくれたと聞いていますから、費用の掛かる遠くは遠慮したのかも知れません。

ホテルから有馬までタクシーを使ったのですが、出発するタクシーの窓辺で親代わりのおじが囁きました「嫌だったら、直ぐ帰っておいで…」

帰る事無く50年を過ごしました。妻となり、嫁となり、母となって、自分では一生懸命だったと思うのですが、人様と比べて今思えば至らぬことばかりの様な気もします。

神様は「人と比べることは無い、お前はお前の出来る勢いっぱいをやったんだから…」と今日の日をご褒美に下さったのだと思うようにします。

明日から又自分なりに人様の役立つことは出来ませんが、人様の迷惑にはならないように生きたいと思っています。

        尼崎・大井戸公園のバラが咲き始めました (09-5-2)
コメント (6)
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