ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

現代学生百人一首

2007年01月18日 | 新聞から
             見~つけた
       今年はアロエの花をあちこちで見た
        我家では花が咲いた事が無い
            咲くのかな~

「第20回現代学生百人一首」が決まったと言う記事が出ていた。東洋大学主宰で「現在の学生のものの見方、生活の感覚」をテーマに募集している短歌のコンクール。

1987年東洋大学の100周年を記念誌「100」にちなんだ記念行事として始めて今年で20回を迎えた。対象は小・中・高・大学生である。今年は57,936首の応募があった。その中から100首が選ばれたのである。

100首の中の11句が、祖父母に関するものであったのには驚いた。今の時代、昔のように祖父母と孫の接する機会が無いであろうに、祖父母と孫の関係は健在だった。祖父母の方から孫に関心を持つのは当たり前としても、孫も祖父母の事に目を向けていることが嬉しかった。

今日はその孫から見た祖父母に関した句を選んでみた。

   ばあちゃんが 着ていたパジャマ 手にとって
              毛玉の数ほど 思いであった

・「思いであった」と言う言葉からすれば、亡くなって、身の回りのものを整理する時の情景でしょうね。

   「俺はシベリアまで行ってきた」 寒い夜には
              祖父の十八番の 英雄談聞く

・私も祖父の英雄談を良く聞きました。ほとんど記憶に残っていませんが、何時も「勲章」を箱から出して、見ながらの話でした。

   骨壷に 入りきらない 大腿骨
            これが祖母の 生きた証か

・大柄な、骨太の方だったのでしょうね。病む事無く逝かれたので、骨が綺麗な形で残ったのでしょう。

   家族だよ 祖母ちゃん ずっと家族だよ
        「誰?」といわれても 変わらぬ絆

・痴呆になられたのでしょう。嬉しいですね。こんなに思ってもらえて、幸せな人生だな~と羨ましいです。
   
   おばあちゃん テレビ見るのは いいけどさ
            アナウンサーと 喋るのやめな

・私も良くテレビに向かって物を言います。若い人から見れば変なんでしょうね。それに気付いているのは、共に居る時間が多い証拠。

   太陽の 元で草木に 水をやる 
      祖母の手元から 虹が生まれる

・太陽を背に水撒きをすると虹が生まれます。じ~っと祖母のする事を見ているのですね。

   元気でね 祖父がてにぎり さよならしてた
               命の光 かんじたのにな

・この句は一寸判断が難しい。祖父の死か、祖父が手を握った何かの死なのか。

   宅急便、今年も届いた 黒豆は 
       ばあちゃん元気と 秋の味する  

・子や孫に食べさせたいと一生懸命作った黒豆、受け取った方では祖母ちゃん元気なんだな~安心する。

   百均で 買ったサボテン 気が付けば
          祖母の保護下で スクスク育つ

・「可愛い」と思って買っても忘れがち、「あれっ!サボテンは?」と思い出した時、祖母がちゃんと育ててくれて、大きくなっている。

   夏空に からからからと 笑っては
          明日で白寿の 白い歯光る

・99歳の祖父(からから笑うという表現から考えて)に光る歯があるんだ。歯が丈夫だから、胃腸が丈夫、長生きかな?

   夏休み おじいちゃんと すしたべる
           久し振りの 回らないすし (小学生)

・正月の経験で回転すしがいかに安いかがわかりました。親にすれば子供にお腹いっぱい食べさせ、自分も満足しようと思えば回転すしなんでしょう。たまには普通のお寿司が食べたいと思っていたのでしょうね。親より少し懐の暖かい祖父の奢り。

親とは又違う祖父母の愛を一杯感じて欲しい。色んな異なった愛を受けて育った子は幸せだと思うから。



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阪神淡路大震災

2007年01月17日 | 思い出話
            京都府立植物園
     カラテアは葉の模様の美しさを見るものが多い
         その数少ない花を付ける一種

正午前、スーパーで買い物をしていますと「正午に阪神淡路大震災の犠牲になられた方に10秒間の黙祷を捧げたいと思います。ご協力お願いいたします」と言う放送が流れ、黙祷を捧げました。今年が13回忌、早いものです。事実を風化させない為にと色んなイベントが、色んな所であるようです。私は一度も参加したことはありません。

身近に不幸が無かったから、そうではありません。私にとっては故郷、神戸の震災は、今日の日ではなくとも折りに触れて思います。私にとって大震災は今日であると覚える事の必要は感じないのです。私にとって震災は日時では無いのです、事実として心に沈んでいます。それで良いと思っています。

人様々ですから、1人でも多くの人に忘れないで、風化させないためのイベントに参加して欲しいと思う人も居れば、静に亡き人を偲びたいと思う人も居るでしょう。私は後者です。どんなに風化させたくないと頑張っても、人はいつかは忘れていきます。それが人間なんです。哀しい事に固執していては生きていけません。

主人も同じ考えです。もし身近にあったとしても、時に仏前に花を捧げ、想い出を語り合うだろうと思いますが、行事には参加しないと思います。あまりに「風化させるな、忘れるな」と声高に叫ばれても白けてしまいます。人の予定した行事に参加するより、個々の心の中で常に偲ぶだけではいけないのでしょうか?

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災、その頃は今の様にイベント化は無かったのではないでしょうか。マスコミも「忘れるな、風化させるな」と叫ばなかったのではないでしょうか?でも「関東大震災」と言う言葉も「事実も」80数年たった今でも歴史の一部として忘れられては居ないと思います。

1923年、1995年ともに十二支は「いのしし」2007年今年も「いのしし」です。「関東大震災」から「阪神淡路大震災」までは72年の間があります。
だから今年は大丈夫と思いつつも、何事も無ければと案じております。

物事には裏表があって、震災で不幸になった人が居る反面、少数でしょうが幸せを拾った人も居ます。あの日が無かったら来なかった幸せかも知れません。アレから12年幸せを掴んだ人を身近に見て、良かったな~と思っています。「災い転じて福と成す」の言葉通りです。

たとえ集会に一度も出なくても、あの日を決して忘れては居ません。突き上げるような感じに目覚めた私の目の前の壁は、メトロノームのように左右に揺れていました。あの揺れの中を2階まで駆け上がって来てくれた長男の姿を忘れては居ません。

親戚の者を訪ねての帰り、長時間並んで、バスに乗りはしたけど遅々として進まず、道を良く知っていると言う人の後について、電線が地面にどぐろを巻いている道路、跡形も無く崩れた家屋、二階が一階に重なった状況を横目に見ながら歩いた真っ暗な町、高い建物が無く遠くまで見通せる町影を決して忘れていません。

避難先の小学校で、全国から送られてきた善意の品物が山積みされていた事を、帰りの南京町で、暖かいラーメンを振舞われた事を、沢山の人の善意を見聞きした事を忘れはしません。又一方で、暖かいものに飢えている被災者に途方も無い値段でうどんを売る若者を見た悲しみを忘れては居ません。

集会に集まる人の人数が尻すぼみに減る前に、何処かで区切りをつけても良いのではないですか。集会が無くても私達は決して、決して忘れません。



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新年会

2007年01月16日 | 一寸そこまで
            ふじたさんっちの庭
        我家にもピンクの侘助がありました
         枯れて思い切ってきりましたら
    今、一生懸命生きようと新しい枝を伸ばしています

今日は婦人会の新年会でした。総勢39名のおばさま達が集合です。39名の行列は壮観ですよ。大体の方がその存在を示すに充分な体型ですし、歩きながらのお口の運動もしっかりやって、足も強いの弱いの居ますから、長~い行列です。

何時もの癖で一人ぼっちの方を見つければ傍に行き話しかけます。折角参加してくださった方に寂しい思いをさせないように、楽しんで帰っていただきたいからです。今は役員では無いのですから・・・いらぬお節介とは思うのですが、性分ですね。こりゃ~死ぬまで直らないでしょう。

皆さん普段よりちょっぴりお洒落をしています。私も古~い服ながら明るい色のブラウスに黒のパンツ。年が年だけにくすんだ色の集団ですから。

今日は一番奥の皆さんが良く見渡せる位置に座りましたので、皆さんを眺めながらお食事を頂きました。隣近所の結びつきの必要性を感じてから「婦人会を作りましょう」と呼びかけて、早30年が来ようとしています。

みんな40代で若かった。辞めた人はあっても、亡くなった人は1人だと思う、仲良く元気に来れました。現会長は5年(去年2期で止めるはずが、次の会長のなり手がなく、1年延びた)のお勤めを終え4月の総会で退任されます。

此処で婦人会が大改造の予定だそうです。65歳を過ぎれば、老人会に移行して欲しいと言うことになりそうです。晴天の霹靂、故に戸惑い、怒り、寂しさの意見が交錯している感じ。私の意図した事とは異なります。

私が発案したのは年老いた時ご近所の皆さんと仲良くしていることの大切さを思ったからです、気心を知り、一寸の不満なら笑って許せる間柄にするには、それは長い過程を必要とします。それがこれからの時期なんです。だんだん遠出は出来なくなるでしょう。未亡人も増えました、月に一度ぐらいお茶を飲んで、一寸した手仕事をして、所謂「茶飲み友達」に変わっていっても良いのではないか、進言しようかと思っていた矢先でした。

生みの親の1人を自認している私としては激しい怒りを感じました。この会の成り立ちも知らないで・・・と。でも今は冷静です。「又単発的グループでも作れば・・・」と考えます。規模が小さくなるだけ、小回りが利きます。何でも悪い事ばかりではありません。

そういうわけで今日は会への私の気持ちの、大げさに言えば「決別の会」だったのです。

場所は芦屋でした。元逓信省芦屋別館(昭和4年建築の姿を残しつつ)後の「野菜フレンチ」の店です。ランチの最低料金2500円にしては美味しかったです。
「野菜と海老の前菜」「ブロッコリーのスープ」やけどしそうに温かいスープは嬉しかった。「ばら肉と野菜のポトフ」ばら肉と言う所に最低料金だの感あり。「デザート:アイスクリーム、ちっちゃなケーキ2種類」「コーヒ」間に小丸な焼きたてのパン(シンプル、胡桃、胡麻)が料理の間々に出てくる。大満足の昼食でした。

会長も感じる事があるのだろう、何時もは集合写真を撮ろうと言わない人が、今日は撮ると言い、交渉して結婚式場で全員カメラに収まった。私としても最後のご奉公(古いな~)。良い写真が撮れました。

腹ごなしも兼ねて、「谷崎潤一郎記念館」まで足を運んだ。

婦人会よ、さようなら! 新しい集いよ今日は!の年の始まり。
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子供たちへの年賀状

2007年01月15日 | 新聞から
             公園の片隅で
           人待ち顔に咲いていた
         私を待っていてくれたのかな?

曽野綾子さんが「優しい英雄になるための6つの提案」と言う文を子供たちへの年賀状として書かれた。(以下の文は抜粋)

第一 ある日曜日朝と昼の御飯を抜いてみてください(勿論、お母さんにちゃんと理由をいうと言う注釈付き)。何故そんなことをするか?世界中に御飯をまともに食べられない子供が何億と居るからです。食べるものが無いという事がどんなに辛い事かを解ってほしいから。御飯を食べないと直ぐ死にそうに言う大人が居ますが、そんなことはありません。

※ 集団疎開でのひもじさを忘れています。一食でも抜くと「死にそう!」と思ってしまいます。今の子供たち、いえ、その親達もひもじさなんて知りません。2食抜いて「ひもじさ」を実感として言葉も覚えるのは良い事かもしれません。

第二 一家で御飯を食べる時テレビを消してください。食卓は食事を食べるだけではなくお話しすることも大きな目的なんです。失敗談なんか最高。人は誰でも失敗談が大好き。聞くことで自分も失敗して当たり前、失敗した人も許すべきなんだと解ります。

※ これは私自身ダメです。年を取って行動範囲が狭まると、話す事も減ります、食べながら画面を見てそれについて話し合うというのも許されるかな?報告の沢山ある子供時代は別にして。

第三 毎日少しずつでも本を読むこと。お猿と人間の違い知っている?お猿の方が木登りが上手いとか色々ありますが、大きな違いはお猿は本を読まないが、人間は本を読むという事です。漫画だけではダメなの。活字は人間の脳を発達させる大発明です。本を読めば必ず利口になります。

※ これは同じ考えです。読書が好きに生まれて幸せだと思っています。

第四 男の子も女の子も家のお手伝いをして下さい。掃除、洗濯、簡単なお料理を少しずつ学ぶの。ことに御飯を炊ける事は大切、米を1として水を1.5倍の量を入れればお鍋でも御飯は炊けます。「勉強と言うのはほとんど全て独学です。人が教えてくれると思って当てにするな」です。

※ 我家は男の子は家事はしなくて良いという考えで、教えなかったのですが、お嫁さんに恨まれているでしょうか?

第五 荷物を持って歩ける事。アフリカや南アメリカやアラブの子供たちは5Kや10Kのものを頭に載せたり持ったりします。ギリシャ人たちは「歩く」と「生活する」ことを、同じ「ペリパテゥオウ」と言う言葉で表していました。つまり歩けない人は生活していないという事。オリンピック的強さとは別の、人間の肉体の強さこそ、生活にも生き残りにも必要なのです。

※ 体を丈夫に保てという事でしょうか? 健全なる身体に健全なる精神が宿る。

第六 優しい同情の心を持てる人になる事。人が苦しんでいたって平気、面白いなんて思うのは人間じゃない。自分の持っているもの(物質、力、お金。労力、時間)などを差し出せる人こそ人間なんです。

※ 言うは安し行い難し。労力ならちょっぴりだけ・・・ 

6っの内幾らできるかな。皆出来たらそれこそ英雄。英雄とは戦争を好きな人、戦いに強い人と思うかもしれないけど本当の意味は違います。英雄とは力と同時に徳を持っている人のことです。私は男女同権論者だから、男の子も女の子もこういう優しい英雄に成って欲しいのです。

とても英雄にはなれない私です。これから年を重ねると益々「自己中」に成っていくと思います。結構な「見本」が身近に居ります。ま~良いか。これは未来ある子供へのお年賀状なんだから、過剰に反応する事無いわね。

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年賀状

2007年01月14日 | 今日この頃
             見~つけた
           バラの様な八重咲き
       優しい顔して、寒空に凛としている

年賀状の抽選会があり、当選番号が発表されました。まだ調べてないんですけれど、今年は如何でしょうか?

今まででは最高は「ふるさと小包」が三度ばかり当りました。郵便局に行くと、冊子を(見本の)貸してくれるんです。家でよく見て、又申し込みに行くんです。大概、飲兵衛さんの地酒に変わりました。レターセットは良く当りました。でも近年は切手シートばかりで、おまけに当る数が減り続けています。切手シート昔はあたりは3~4数字ありませんでした?このまま行けば数枚は当って当然と思っていたのが、ゼロの日が来そうです。

もう何十年も前になりますが、私達の年賀状で、甥に「一等賞のカメラ」が当った事がありました。それっきりですね。

今年から3等までになりましたね。一等の4択の中に私の欲しい「デジタル一眼レフカメラ+プリンターがありますね。それだけ欲しい人が世の中には多いという事になりますね。「ハワイ旅行」もありますね。うん十年前「心斎橋の抽選会」で特賞ハワイが当りましたが、もう一度当らないでしょうか?夢よもう一度・・・。

4択の一等賞は100万本に2本だから50万本に1本、2等の「故郷小包」は一万本に4本で2500本に1本。3等の切手シートは100本に2本ですから50本に1本と言う事になります。

籤抽選日は「成人の日」と覚えていましたのに、成人の日が第二月曜日に変更になった為に「15日」の前後の日曜日が抽選日になりました。どうして祭日を動かすのでしょうね。連休にしようと言う考えからでしょうけれど、3連休になる人はそんなに多くは無いと思いますが・・・。私は決まった日のほうが良いと考えます。


私の親戚で最高年齢のをじさんがから「しあわせに91歳の春を元気で迎えます」と言う葉書を受け取った。「お元気なんだわ」1人暮らしなので一度訊ねてみたいな~と思いました。何時も年賀状を頂いた時はその様に思うのですが、実行に移せないでいます。もうじき震災の日が来ますが、をじさんも震災に遭い、須磨の奥の震災者住宅に1人住まいなんです。をばさんは早くに亡くなっていますから、一人暮らしが長いのです。

ところが、三が日も過ぎた頃、見慣れない葉書が来ました。「昨年12月24日父は満90歳にて永眠いたしました・・・」表を返すとをじさんと同じ苗字ですから息子のようです。小学生の頃会ったきりですから名前も覚えていません。

と言う事はをじさんは年賀受付が始まって直ぐに投函したらしいのです。自分の人生が、この年の瀬が越せないなんて夢にも思わず「しあわせに91歳の春を元気に迎えます」の字が胸を締め付ける。

だから長患いをしたわけではない。1人で逝ってしまったのだろうか、家族は直ぐ知らせを受けたのだろうか。同じ神戸といえども須磨区と西区では距離がある。私の子供の頃を知っている人が又減った。もう一度「アンタはこんな子だったよ」と言う話が聞きたかったのに。

長くご無沙汰している人に電話してみよう。そして出来る事なら会って、同じ時代を生きた頃の話をしたい。集団疎開の友には3月に会う。高校の友とも春には会う。もう十年ぐらいあっていないかな~。友の1人が姑と実母の世話で忙しかったので集まれなかった。数年前姑、そして去年実母を見送り身軽になったので再会しようと言う話しになっている。

あの人もこの人も会いたい人が居る。順番にせめて電話でもしてみよう。そして会えれば会いたい。こんなに訃報が届いても、私は上昇の年なのかな~。
                        (270回)


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てみずとちょうず

2007年01月13日 | 気にかかる
          はるみさんっちのお庭から
        花が少なくて困るといいましたら
           送ってくださいました

今朝、主人が「この間、手水場(1月4日初詣)の事、『てみず』ではなく『ちょうず』と書いていたけれど、Cさんのブログ『箱根神社の手水場』の写真に『てみず』とはっきりカナがうってあるで~」「私も気付いていたけど、『ちょうず』と読むのは間違いではないよ、ちゃんと調べたんだから・・・」「でも神社が間違いを書くはずがない」「子供の絵だから子供向けに書いたんでしょう」「子供向け?」疑わしそうに私を見る。「私はちゃんと字引を引いたのよ、今はもう『ちょうず』と言う言葉は使わないのかしら?」主人無言・・・。

Cさんと言うのは、偶然なのか私のブログを見つけて、コメントを下さる関東の方。私も御礼にCさんのブログを拝見。ブログにも色々あって、Cさんは写真専門、それも写真を色々動かす事を楽しんでおられるし、コメントもそのお仲間が多い感じです。私とは異質のブログゆえ楽しませて頂いている。そのブログの初詣の写真の一枚が「箱根神社の手水の順序を書いた絵に『手水:てみず』とルビが打ってあった。その事を主人は言っている。

写真を信じている主人の為にもう一度字引を引いた。やっと納得したようです。

角川新国語辞典 
ちょうず: 手や顔を洗う事(水)。てみずの音便。(音便:国語学で、発音上の便宜から、単語の一部の音が、元の音とは異なった音に変わる現象)
てみず: 手を洗う水。餅つきの時、捏ねどりが手につけて湿り気をあたえる水。

広辞苑 
ちょうず: テミズの音便。手・顔等を洗う水。手・顔を洗い清める事。
てみず: 角川新国語辞典と一緒。

ネット
ちょうず: 手や顔を洗う為の水
てみず: 手を洗う水

早い話がどちらでも良いという事です。

唯、ちょうずを使う建物、場所を「場」といってはいけないらしい。手水所(ちょうずところ)または手水舎(てみずや)と言うようだ。「所」と「舎」によって「ちょうず」であったり「てみず」であったりする様だ。手水鉢の変形が茶室の入り口に据えられている「蹲(つくばい)」である。

四国遍路では88回使ったが「手水場は何処?」と言っていたと思うが、それは間違いで「場」といえば「便所の近所の手洗い場」と言う意味になるらしい。お寺さんは何と呼んでいるのだろうか?。

昔の家はお便所を出た直ぐの外に手水鉢(ちょうずばち)があり、其処に貯められた水を柄杓に汲んで手を洗ったものだ。だからどんなに寒い夜でも、手を洗う為にガラス戸を開けなければならなかった。ゆえに子供の頃夜1人でお便所に行くのが恐かったのだろう。戸を開けると、暗闇から何かが自分を引っさらいに来るような気がして。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

疎開の友に会いたくて行動開始した。ひろえさんに電話した。開口一番「ともこちゃんが4月に死んだよ」「何で?」「元々肝臓が悪かったんよ。でも死んだのはお風呂の中よ。息子さんが幾ら電話しても出ないので帰ってみると死んでいたって。娘さんから電話があった時は信じられなかった。数日前に会って、来月又合う約束をしていたんだもの。(二人は同じ信仰を持っている)いよいよ迫ってきたね。会おうね。」見送る人も無く、ともこちゃんはたった一人で旅立った。ご主人も息子も娘も孫も居るのに。もう一度会いたかったよ、ともこちゃん!3月にけいこちゃんと3人で集まる約束が出来た。
 
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えべっさんの続き・・・

2007年01月12日 | 一寸そこまで
            ふじたさんの庭
       蝋細工の様に見えることから付いた名
           静かな香は心安らぐ

唱歌の学校の初稽古でした。まず「国歌」「校歌:故郷」「お正月」と歌い進みました。歌っていて思いました。「君が代」は本当に良い歌です。歌っているとなんだか落ち着きます。「故郷」「お正月」も良い歌です。だから何時までも歌い継がれるのでしょう。

昨日までは多かった人出も今日は無く、何時もの静けさを取り戻している。通っている学校は「西宮のえべっさん」のご近所にあります。のりこ先生は此処で生まれ育っておられるので、年々御参りの人が減っているし、屋台も減っていると仰います。屋台の数の減少は私も昨日感じました。

過っては、掛け小屋(見世物小屋)もでて、一晩中開いていたそうです。そうかもしれませんね。商売人がお店を終えてから来るとすれば、夜になりますものね。

新聞によれば今宮戎の方の吉兆は良く売れたそうです。予算に合わせて、自分の好きなものを福笹に福娘に付けてもらうのと、西宮の様にすでに吉兆の付いた笹を
買うのでは違いますね。商売上手は今宮でしょうか。

昨日の神戸柳原のえべっさんの賽銭樽の事ですが、結婚後は行っていませんので今はどうなっているのか解りませんが、昭和二十年代は確かに樽(周りに注連縄を巻いた)でしたし、えべっさんは大声を出さないと気付いてもらえないと私は教えられていたのですが、他のブログでは「えべっさんは居眠りをするので、大声で来て居る事を知らせる」と書いてあったのです。私は不信感を抱きました。それでネットで調べましたら「えべっさんは耳が遠いので・・・」と書かれていました。

たまちゃんが今朝「西宮神社は如何でしたか?子供の頃は、ずっと柳原の戎さんに父といっていたのよ。厄除け八幡さんにも行きました。迷子になるので父と手をつないであちこち行った日々が懐かしいです。こんなことしみじみ思うのも、年を取った証拠ね・・後略・・」ってメールが来た。

「賽銭箱が樽で、えべっさんは耳が遠いから・・・と私は覚えていたけれど、貴女やご主人の記憶は如何?」と返信。

「えべっさんはツンボ(今はこの言葉は差別用語で使えないのでネットも耳が遠いと書いていると思う)やから、本殿の裏に回って大声でお願い事をする。ただし先に酒樽にお賽銭をいれてから・・・後略・・・」とご主人の答え。

私の記憶通りの言葉が並んでいて、私は大喜び。私もツンボで覚えていた。私は樽の後ろでと覚えていたが・・・。来年にでもたまちゃんと柳原に行ってみようかな?

柳原のえべっさんと言えばもう一つ想い出がある。20才前後の頃と思う、私は高熱を出して寝ていた。扁桃腺が腫れ易いので、直ぐ熱を出す。友達が「えべっさんに行こう」と誘いに来た。勿論熱が高いので断った。でも「どうしても行こう」と言う。遠い所を誘いに来てくれたのだからと、とうとう一緒に出かけた。元町から柳原までどのくらいの距離があっただろう。その夜は雪が降っていた。久し振りに会ってどんな話をしたのだろうか。聞いて欲しい話があって来たのだろうと、私は何時もの通り聞き役に廻った。帰りに「おぜんざい」を食べて別れた。

無理をして風をこじらせて、「気管支炎」になり、毎日お医者さんに「ザルブロ」注射を打ちに通った。それから?十年、同期会まで会わなかったから、雪の中歩いた事で私が体を壊した事をその人は知らない。年賀状でブログの事を知らせたので、読んでくれているかもしれない。そう、貴方ですよ。思い出しましたか?


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残り福

2007年01月11日 | 一寸そこまで
            西宮えびす神社
         「残り福」は空いていました
    「宵えびす」「本えびす」は重なりあうような人出
     今日ぐらいが良いです。ゆっくり御参りできます

昨夜急に「今からえべっさん行こか?」「???」「行きたい時に行かな、来年は解らへんで・・・」う~ん?何処かで聞いた言葉? 何時もの私の台詞取られちゃった・・・。「夜は足元が危ないから、明日にしょ・・・」と言うわけで「残り福」になりました。少し前までは毎年行っていたのですが、近年行かなくなっていました。人人人の波で嫌気が指して居ました。

西宮戎が他のえべっさんと違うところは「福男」と「大マグロ」でしょうか。
「福男選び」は10日の本戎の日午前6時赤門開門(開門神事)と同時に足自慢の数百人がダッシュして、200m奥にある本殿に走りこみます。1番~3番までの人が今年の福男になれます。男性のみと思っていましたら、女性でも良いそうです。

もう一つ大マグロが毎年(8日)奉納されます。今年のまぐるは「体長 255m、重量295キロ、地中海産本マグロ」です。このマグロの肌にお金を貼り付ける事が出来れば、縁起が良いという事です。マグロの下は賽銭箱になっていて、貼り付けそこなったお金を受けるようになっています。さすが商売の神様良く考えて居ます。寒い空気に触れてマグロのお肌は乾燥気味、受け箱にさっさと落ちていきます。祭りの後は、神社関係者の胃に収まるそうです。因みに去年は1500人の人の胃袋を満たしたそうです。

運試しはもう一つあります。9日宵えびすに「有馬温泉の献湯式」が有馬の芸者衆によって行われます。芸者さんが湯揉み女に扮して湯桶の周りをゆっくり回るらしい。見ものかも知れないね。来年は一度見てみたいね。その温泉入りの桶があって、その湯に1円が浮けば縁起が良いそうだ。私達もやってみたが主人はすとん、私は滞水時間2秒位「浮いた!」と思ったとたんに沈んだ。1円玉が一杯重なって沈んでいる。でも7枚ほど浮いていました。

商売繁盛を願う「えべっさん」は関東では無いそうですね。釣った鯛を抱えたにこやかな戎さんは関東では見られないという事ですか?

西宮のえべっさんは全国に3500ある、戎神社の総社だそうです。テレビでの賑わいの大阪今宮戎は「宝恵籠」大阪ミナミの芸者さんが乗って御参りする。昔は良い旦那の付いている人、お金が掛かるから。今は芸能人も乗ります、今年は桂三枝さんだったようです。それと、吉兆を売る「福娘選び」も有名です。福娘に選ばれると良縁に恵まれると人気らしいです。今年は留学生が日本の思い出にと参加、選ばれたようです。

西宮総社と違って今宮支社はすることが派手ですね。道頓堀を練り歩くのですが、二年前偶然に「宝恵かご」に出会いました。5円(ご縁)の入った福袋を貰いました。未だに財布に入れています。期限切れ?

神戸の柳原のえべっさんは昭和20年代は賽銭箱は大人の背ぐらいある樽でした。ですから何処からでもお賽銭をほり込めるわけです。「えべっさん、今年もたのんまっせ!」と大声を掛けたり、樽をトントン叩いて呼びかけるんです。何故大声出すのかと言うと、えべっさんはお耳が悪いから大声を出さないと気付いてもらえないからだそうです。西宮総社はそうではありません。普通の神社と同じで本殿前に賽銭箱と言うより賽銭受けがあります。何しろえべっさんは3日間で一年分の生活費を稼ぐと言われています。

お賽銭を数えるのに数日掛かるえべっさん、残り福下さいね!
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通販のカミサン川柳

2007年01月11日 | 今日この頃
           姫路の喫茶店の松飾
        ウインドウには奴凧と餅花が・・・

今年初めての「フラの日」今日から曲も変わりました。ハワイ語?の歌です。現地では同じことを二度繰り返すので、3番までの歌詞があれば1番2回2番2回3番3回と言うようにです。手話のようだと思います。言葉を形としてあらわしていますから。

新しい人が私の隣に来ました。「初めてなんですけれど、大丈夫でしょうか?」「大丈夫ですよ。誰も人のことを見ていませんよ、自分のことで精一杯です。鏡に映る自分の姿に自分で笑っている内に時間は経ちますよ。笑って帰るだけで楽しいですよ」「何時もはプールだけなんですが・・・」

音楽が流れ始める。「曲を聴いているだけでも和むでしょう?」と私「癒しの音楽ですね」終わってから訊ねてみた「如何でした?楽しかったでしょう?」「楽しかったです。又来ます」良かった良かった。若いメンバーが又1人増えた。

先生は言われる「今日から曲が変わります。テンポは速いですが、早いほどごまかしが効きます。遅いテンポほど難しいです」やっぱりそうだったんだ。私の思って居たとおりだ。無駄飯は食っていなかったかな?「常にどこかが動いている様に、緩やかな動作で・・・」鏡の中の私、手が動けば足が突っ立ち、腰が上手くいけば手がお留守。でも「良く付いていっているよ」と鏡の中の自分にヨイショする。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

通販の本取り寄せているんですよ。どんな新しいものが売られているのかとの好奇心から。今回15回でカミサン川柳は終わるんですって。

  通販のカミサン川柳から(漫画家:みつはしちかこさん選)

最優秀賞: 試着して おばさんみたい? と聞くおばさん
 
手にとって頭の中で着せてみるととても良く似合うんですよ。頭の中の顔は?十年前の顔。試着してみる鏡の中の顔はバリバリのおばさん(間違ってもおばあさんとは思っていない)の顔、つい聞いてみたく(否定してもらいたくて)なる気持ち、わかるな~。

優秀賞: 湿布貼り カイロも貼って 見栄を張る

 私は湿布は貼りませんが、寒がりなのでカイロは貼ります。もう一枚着たいのを我慢して。
    
  ・ 鼻歌は 何故か老いても 恋の歌

同感!歌詞の中に自分を投影させて、若き日を思い出す。

佳作: 抜ける毛に 蛍の光 歌ってる

白髪は数えるほどしかありませんが、生え際が薄くなったり、元々細い髪が益々細くなってボリュウームがなくなった。心細いこの頃。帽子の代わりにカツラ買おうかな~。

残念賞: 歌手名か 曲名なのか わからない

今年の紅白ビデオ録って見たんですが、知らない人に知らない曲、自分と変わらないような綺麗じゃないヌードまで見せられて、跳ばしまくりました。
    
    ・ なでさすり 手足の機嫌 とって起き

昨日、気功の先生が言われました。「朝起きたらまず自分の体に挨拶してあげて。足をさすりながら『今日もよろしくね』って。そうすれば機嫌よく動いてくれますよ。夜は『有難う、ごくろうさん』さすって感謝してあげましょう。
    
     ・ いわずとも わかるだろうじゃ わからない

初詣の帰りに実感。人にはもっと言葉で伝えよう。自分の気持ちを伝える事が大事なんですね。私は書く事によって気持ちを伝えているのですが、伝わっているでしょうか?
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成人の日

2007年01月10日 | 気にかかる
            初挑戦の7連凧
          私の今年の幸せを載せて
        姫路の空高く昇ってくれました

へまばかりの一日でした。図書館に本を返しに行きましたら、祭日の翌日で休館でした。何度同じ間違いをするのだろうと、自分に腹が立ちました。

ジムの開館時間に間があるので、隣の公園に行き、花を撮って来ました。この寒空に小さくなって咲いているバラ、我が世の春を謳歌しているサザンカを数枚。誰も居ない公園を一人歩く。

午後から「顔そり」に行く。年末に寝込んだ為、行っていなかった。又ここでも第2週の月・火はお休みの張り紙・・・何たることぞ!仕方が無い明日行くつもりの美容院に、三度目の正直開いていました。お陰さまで。

「成人式の話」が出ました。髪形はどんなだったですか?」「私達は襟元はすっきりするのでアップの方が良いですよ。と薦めるけど、今流行の垂れ髪が希望、耳の後ろには吃驚するほど大きな造花をつける」外に出なかったので今年の着物姿を私は見ていない。

「着物は?」「黒とか紫とか濃い色が多かったです。1人だけパステルカラーのピンクのお嬢さんがいて、ほんとに初々しくて可愛らしかった。着物はやっぱり薄い可愛いのが良いですね」

「驚いた事に、半襟のつけ方が解らないお母様が、つけてくださいと半襟をもって来られたのです。でも此方も皆手が塞がっているので、お教えしてご自分で付けて頂きました」あ~世も末だ! 出来ない事は人にしてもらうではなく、知ってる人に教えを請うて、自分でするべきではないだろうか?知らない事を聞くのは決して恥ではない。娘が生まれて20年の間に(自分が着物を着ないからと言って)それくらいの事は勉強しておいて欲しかったし、習った事は娘さんにちゃんと教えておいて欲しい。着物を着せる以前の問題です。

もう1人、しっかりしてよお母さん!って言いたいことがあった。この頃の娘さんは大きい人が多い。だから足のサイズも大きい、26センチの草履がなくて着物を着ることを断念したと言うのです。そのお母さんも大きい足ですが、娘さんの足の甲の方が高くて、足を入れただけで痛くて歩けない。だから着たい着物を着ることを断念したと言うのです。

「何をか言わんや」である。足は昨日急に大きくなったわけではないでしょう。
着物を着るには足袋、草履は必要品です。日数さえあれば、少々高くつくかも知れませんが、「別注」だって出来たはず。一生に一度、いや結婚式にだって使える色にしておけば、一生の内何度も使うチャンスはあったはず。決して無駄にはならなかったはず。

美容室でも言っていました。100%に限りなく近い人が着物だったって。皆と同じ様に着物が着たかったでしょう。これは完全にお母さんの職務怠慢です。

「着物は美容院で着せてもらうもの」此処までは私と異なる意見も我慢しましょう。でも小物は自分で持参ではないですか?「知らなかった」では済まされません。娘の門出を祝ってあげる気持ちがあるなら、色々人に聞くなり調べるなりして整えるべきでしたね。

此処まで着物を着るという事が蔑ろにされているとは、今日の日まで知りませんでした。正装の着物の扱いまでとは言いません、ウールの着物ぐらいは、半襟を付けて自分で着れるようになってから、ほんの基本の民族衣装の扱いぐらいはマスターしてから、男女同権を主張してください。性の違いは着るものばかりではなく、体自体や作法にもある事を思えば、何が何でも同権とは言えない筈。考えさせられる一日でした。

コメント (2)
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