京都府立植物園
カラテアは葉の模様の美しさを見るものが多い
その数少ない花を付ける一種
正午前、スーパーで買い物をしていますと「正午に阪神淡路大震災の犠牲になられた方に10秒間の黙祷を捧げたいと思います。ご協力お願いいたします」と言う放送が流れ、黙祷を捧げました。今年が13回忌、早いものです。事実を風化させない為にと色んなイベントが、色んな所であるようです。私は一度も参加したことはありません。
身近に不幸が無かったから、そうではありません。私にとっては故郷、神戸の震災は、今日の日ではなくとも折りに触れて思います。私にとって大震災は今日であると覚える事の必要は感じないのです。私にとって震災は日時では無いのです、事実として心に沈んでいます。それで良いと思っています。
人様々ですから、1人でも多くの人に忘れないで、風化させないためのイベントに参加して欲しいと思う人も居れば、静に亡き人を偲びたいと思う人も居るでしょう。私は後者です。どんなに風化させたくないと頑張っても、人はいつかは忘れていきます。それが人間なんです。哀しい事に固執していては生きていけません。
主人も同じ考えです。もし身近にあったとしても、時に仏前に花を捧げ、想い出を語り合うだろうと思いますが、行事には参加しないと思います。あまりに「風化させるな、忘れるな」と声高に叫ばれても白けてしまいます。人の予定した行事に参加するより、個々の心の中で常に偲ぶだけではいけないのでしょうか?
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災、その頃は今の様にイベント化は無かったのではないでしょうか。マスコミも「忘れるな、風化させるな」と叫ばなかったのではないでしょうか?でも「関東大震災」と言う言葉も「事実も」80数年たった今でも歴史の一部として忘れられては居ないと思います。
1923年、1995年ともに十二支は「いのしし」2007年今年も「いのしし」です。「関東大震災」から「阪神淡路大震災」までは72年の間があります。
だから今年は大丈夫と思いつつも、何事も無ければと案じております。
物事には裏表があって、震災で不幸になった人が居る反面、少数でしょうが幸せを拾った人も居ます。あの日が無かったら来なかった幸せかも知れません。アレから12年幸せを掴んだ人を身近に見て、良かったな~と思っています。「災い転じて福と成す」の言葉通りです。
たとえ集会に一度も出なくても、あの日を決して忘れては居ません。突き上げるような感じに目覚めた私の目の前の壁は、メトロノームのように左右に揺れていました。あの揺れの中を2階まで駆け上がって来てくれた長男の姿を忘れては居ません。
親戚の者を訪ねての帰り、長時間並んで、バスに乗りはしたけど遅々として進まず、道を良く知っていると言う人の後について、電線が地面にどぐろを巻いている道路、跡形も無く崩れた家屋、二階が一階に重なった状況を横目に見ながら歩いた真っ暗な町、高い建物が無く遠くまで見通せる町影を決して忘れていません。
避難先の小学校で、全国から送られてきた善意の品物が山積みされていた事を、帰りの南京町で、暖かいラーメンを振舞われた事を、沢山の人の善意を見聞きした事を忘れはしません。又一方で、暖かいものに飢えている被災者に途方も無い値段でうどんを売る若者を見た悲しみを忘れては居ません。
集会に集まる人の人数が尻すぼみに減る前に、何処かで区切りをつけても良いのではないですか。集会が無くても私達は決して、決して忘れません。
カラテアは葉の模様の美しさを見るものが多い
その数少ない花を付ける一種
正午前、スーパーで買い物をしていますと「正午に阪神淡路大震災の犠牲になられた方に10秒間の黙祷を捧げたいと思います。ご協力お願いいたします」と言う放送が流れ、黙祷を捧げました。今年が13回忌、早いものです。事実を風化させない為にと色んなイベントが、色んな所であるようです。私は一度も参加したことはありません。
身近に不幸が無かったから、そうではありません。私にとっては故郷、神戸の震災は、今日の日ではなくとも折りに触れて思います。私にとって大震災は今日であると覚える事の必要は感じないのです。私にとって震災は日時では無いのです、事実として心に沈んでいます。それで良いと思っています。
人様々ですから、1人でも多くの人に忘れないで、風化させないためのイベントに参加して欲しいと思う人も居れば、静に亡き人を偲びたいと思う人も居るでしょう。私は後者です。どんなに風化させたくないと頑張っても、人はいつかは忘れていきます。それが人間なんです。哀しい事に固執していては生きていけません。
主人も同じ考えです。もし身近にあったとしても、時に仏前に花を捧げ、想い出を語り合うだろうと思いますが、行事には参加しないと思います。あまりに「風化させるな、忘れるな」と声高に叫ばれても白けてしまいます。人の予定した行事に参加するより、個々の心の中で常に偲ぶだけではいけないのでしょうか?
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災、その頃は今の様にイベント化は無かったのではないでしょうか。マスコミも「忘れるな、風化させるな」と叫ばなかったのではないでしょうか?でも「関東大震災」と言う言葉も「事実も」80数年たった今でも歴史の一部として忘れられては居ないと思います。
1923年、1995年ともに十二支は「いのしし」2007年今年も「いのしし」です。「関東大震災」から「阪神淡路大震災」までは72年の間があります。
だから今年は大丈夫と思いつつも、何事も無ければと案じております。
物事には裏表があって、震災で不幸になった人が居る反面、少数でしょうが幸せを拾った人も居ます。あの日が無かったら来なかった幸せかも知れません。アレから12年幸せを掴んだ人を身近に見て、良かったな~と思っています。「災い転じて福と成す」の言葉通りです。
たとえ集会に一度も出なくても、あの日を決して忘れては居ません。突き上げるような感じに目覚めた私の目の前の壁は、メトロノームのように左右に揺れていました。あの揺れの中を2階まで駆け上がって来てくれた長男の姿を忘れては居ません。
親戚の者を訪ねての帰り、長時間並んで、バスに乗りはしたけど遅々として進まず、道を良く知っていると言う人の後について、電線が地面にどぐろを巻いている道路、跡形も無く崩れた家屋、二階が一階に重なった状況を横目に見ながら歩いた真っ暗な町、高い建物が無く遠くまで見通せる町影を決して忘れていません。
避難先の小学校で、全国から送られてきた善意の品物が山積みされていた事を、帰りの南京町で、暖かいラーメンを振舞われた事を、沢山の人の善意を見聞きした事を忘れはしません。又一方で、暖かいものに飢えている被災者に途方も無い値段でうどんを売る若者を見た悲しみを忘れては居ません。
集会に集まる人の人数が尻すぼみに減る前に、何処かで区切りをつけても良いのではないですか。集会が無くても私達は決して、決して忘れません。