ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

成人の日

2007年01月10日 | 気にかかる
            初挑戦の7連凧
          私の今年の幸せを載せて
        姫路の空高く昇ってくれました

へまばかりの一日でした。図書館に本を返しに行きましたら、祭日の翌日で休館でした。何度同じ間違いをするのだろうと、自分に腹が立ちました。

ジムの開館時間に間があるので、隣の公園に行き、花を撮って来ました。この寒空に小さくなって咲いているバラ、我が世の春を謳歌しているサザンカを数枚。誰も居ない公園を一人歩く。

午後から「顔そり」に行く。年末に寝込んだ為、行っていなかった。又ここでも第2週の月・火はお休みの張り紙・・・何たることぞ!仕方が無い明日行くつもりの美容院に、三度目の正直開いていました。お陰さまで。

「成人式の話」が出ました。髪形はどんなだったですか?」「私達は襟元はすっきりするのでアップの方が良いですよ。と薦めるけど、今流行の垂れ髪が希望、耳の後ろには吃驚するほど大きな造花をつける」外に出なかったので今年の着物姿を私は見ていない。

「着物は?」「黒とか紫とか濃い色が多かったです。1人だけパステルカラーのピンクのお嬢さんがいて、ほんとに初々しくて可愛らしかった。着物はやっぱり薄い可愛いのが良いですね」

「驚いた事に、半襟のつけ方が解らないお母様が、つけてくださいと半襟をもって来られたのです。でも此方も皆手が塞がっているので、お教えしてご自分で付けて頂きました」あ~世も末だ! 出来ない事は人にしてもらうではなく、知ってる人に教えを請うて、自分でするべきではないだろうか?知らない事を聞くのは決して恥ではない。娘が生まれて20年の間に(自分が着物を着ないからと言って)それくらいの事は勉強しておいて欲しかったし、習った事は娘さんにちゃんと教えておいて欲しい。着物を着せる以前の問題です。

もう1人、しっかりしてよお母さん!って言いたいことがあった。この頃の娘さんは大きい人が多い。だから足のサイズも大きい、26センチの草履がなくて着物を着ることを断念したと言うのです。そのお母さんも大きい足ですが、娘さんの足の甲の方が高くて、足を入れただけで痛くて歩けない。だから着たい着物を着ることを断念したと言うのです。

「何をか言わんや」である。足は昨日急に大きくなったわけではないでしょう。
着物を着るには足袋、草履は必要品です。日数さえあれば、少々高くつくかも知れませんが、「別注」だって出来たはず。一生に一度、いや結婚式にだって使える色にしておけば、一生の内何度も使うチャンスはあったはず。決して無駄にはならなかったはず。

美容室でも言っていました。100%に限りなく近い人が着物だったって。皆と同じ様に着物が着たかったでしょう。これは完全にお母さんの職務怠慢です。

「着物は美容院で着せてもらうもの」此処までは私と異なる意見も我慢しましょう。でも小物は自分で持参ではないですか?「知らなかった」では済まされません。娘の門出を祝ってあげる気持ちがあるなら、色々人に聞くなり調べるなりして整えるべきでしたね。

此処まで着物を着るという事が蔑ろにされているとは、今日の日まで知りませんでした。正装の着物の扱いまでとは言いません、ウールの着物ぐらいは、半襟を付けて自分で着れるようになってから、ほんの基本の民族衣装の扱いぐらいはマスターしてから、男女同権を主張してください。性の違いは着るものばかりではなく、体自体や作法にもある事を思えば、何が何でも同権とは言えない筈。考えさせられる一日でした。

コメント (2)
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