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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

2枚の葉書

2011年10月25日 | 一寸そこまで

    「ウォーターリリー」 始めてみた花です  (宇治市植物公園)    (11-10-20)
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10月21日(金)東京から年に2回宝塚に居られる母親を見舞いに来られる
クラスメートからの連絡が入りクラス会をしました。春にはみなの都合が悪く
て、お流れになったので1年ぶりでした。

彼から来神のメールが入りますと、私から他の皆さんに連絡葉書を出します。
この度はちょっと考えました。出していいものかどうかと言う方が二人いた
からです。

一人はご主人の看病で日を送って居るから、無理かな~と思ったのです。し
かし、看病が長ければ長いほど、息抜きが必要であり、懐かしい仲間との語
らいのひと時は「明日からもがんばるぞ~」と言う気にしてくれるだろうから、
一応声を掛けてみようと葉書を出しました。

「ご病人のことですから、ドタキャンはOKですよ」と書き添えました。彼女
も「看てくれる人が見つかれば、行きたい」との返事を貰いました。しかし、
看てくれる人が見つからなくて、彼女は欠席でした。

彼女から葉書が来ました。そこにはこう書いてありました『先日はお便りくだ
さって凄くうれしかったです。私何しろ始めての経験なので、失敗ばかりして
います。クラス会この度は見送りにします。又、会いたいね。貴女もお元気で。
同い年、同志です』

私は姑を4年間、家で看た経験から、息抜きは必要だと感じていたのです。私
の環境を知っているから、誰からも連絡も来なくなり、一人ぼっちになった気
がしました。そんな私を助けてくれたのは読書でした。その寂しい経験から、
葉書を出したのでした。彼女は結果的には来れなかったのですが、自分の事を
気に掛けてくれる人がいる、と感じたことは良かったのでは無いでしょうか。

もう一人この何年か入退院を繰り返している人がいました。こちらは出さない
ほうがいいだろうと思い、出しませんでした。

所が、葉書を受け取った一人が、彼に連絡を取ったらしいのです。その人から
「ぜひ行きたいといっているので、葉書を出してやって」とメールがきました。
私は状態が良くなっておられるのだろうと思い葉書を出すことにしました。

しかし、なんと言っても、病人には違いない、もし途中で気分が悪くなるとい
うこともあるかもしれないと思いました。そこでFさん(男性の世話役)に
「家まで迎えに行って、一緒に来ていただけないか」とメールを入れました。
快諾してくださったので、その旨を書き添えて葉書を出しました。

当日、彼は奥さんに付き添われて出てきました。Fさんが言うには「今朝、奥
さんから電話があり、送っていきます」ということだったようです。

ただ悲しい事に、私から見れば、彼の病状は決して良くないようでした。奥さ
んの支えなくしては一人で歩けませんし、度々こけそうになります。歩くのに
時間も掛かります。珠ちゃんと私は、少し離れて後ろを歩きました。そしてよ
ろける彼と奥さんに「急ぐ必要はありませんよ、ゆっくりでいいですよ」と声
を掛け続けました。

よろけそうになったときには、私達と一緒に後からついてくれたMさんに「支え
てあげて」とお願いしました。

私は「葉書を出さなければ良かったのではないか」と後悔しました。「皆に会
いたい」と言う気持ちは痛いほど分かりますが、その心と体が一致していなか
ったのです。そこまで悪いとは思いもしませんでした。

翌日、Fさんにメールしました「彼は大丈夫だったのでしょうか? 奥さんに
お電話してくださいましたか? もしまだでしたらお電話お願いします。そし
て結果お知らせください。他の皆さんも気にしておられると思いますので…」

お電話したら、奥さんはお留守で、娘さんが出られて、あまり要領は得なかっ
たけれど「かえってご迷惑おかけしました」と言っておられたそうです。

10代を一緒に学び、遊んだ友人のあまりに辛い姿に接して、今は元気な私達も、
時間の問題かな~と心細い気持ちでした。



     「八重の山茶花」2輪咲いていました 早いです 我家ではまだつぼみです


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