ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

フェルメールからのラブレター展

2011年10月11日 | 一寸そこまで

          ↑   看板               ↓   ポスター



                    これらはロビーに掲げられた写真です




今週の日曜日で終わるというので、あわてて京都市立美術館に行って来ました。

「目」にご馳走するのだから、「口」にもご馳走をしてあげようと思い、美術館の
そばのお気に入りのお店に行きました。京都に着いたのが、昼時だったので、
先に食事をしようということになり、お店に行きました。

1時間待ちと言われたのですが、食べたいものですから、待ちました。40分
程たってから、先に注文を取りに来ました。渡されたメニューを見ても、いつ
も食べる「天ざる」がありません。「天ざるが無いのですが、天ぷらとざる蕎
麦を別々に注文するのかしら?」「うどん専門店ですから、ソバはありません」
ここで気がつきました。店が違っていることに。

40分も待った後ですから、いまさら列を離れられない、仕方が無いので「卵
とじうどん」を頼みました。それから何時ものお店の前に行くと「本日休業」
の札。何度も行っている店なのに、何故間違ったか? お隣同士「蕎麦屋」と
「うどんや」が並んでいるのです。

それは年寄り特有の「思い込みの激しさ」のせいです。いつも行列が出来て
いますから、何の疑いも無く、行列の後に並んだのです。そしてメニューを
見ても、今流行の「トッピング」と言う言葉が並んでいても、何の不信も浮かば
なかったのです。

目の前に「卵とじうどん」が運ばれてきたのは1時間をゆうに越えていました。
うどんのドンブリを見て、又仰天、ドンブリからあふれんばかりの量なんです。
うどん玉2つ分はありましたね。とじた卵も2個は使っていましたね。見ただ
けでお腹が一杯になりました。

でも実際はお腹は空いています。まずお汁を飲んでみました。「美味しい!」
うどんを食べてみました。「美味しい!」しかしどんなに頑張っても、二人と
も半分ぐらいしか食べられません。だって私達は「口」で食べる前に「目」で
も食べるので、大盛りのうどんを見ただけで胃袋は半分ふさがってしまいまし
た。しかし若い時のように「勿体ないから…」と残さず食べることはかないま
せん。後の体調が気になるからです。

相席の女性二人は「長い間、待ってよかったね。美味しいね~」とトッピング
のごぼうの天ぷらもすっかり平らげました。「あ~ぁ、若いっていいな~!」
とつくづく思いました。


待ち時間と食べ疲れで「絵」を見る前に疲れてしまいました。トボトボと足元
重く美術館へ…。予想通り、たくさんの人でした。何時もの通り、音声ガイド
を借りて、その絵を重点的に見ました。

絵の中には、長崎と貿易していたオランダ人が、日本の着物を持ち帰り、ガウ
ンのように羽織っているのが、2.3点ありました。

17世紀のオランダでは文字がコミュニケーションの方法だったそうで、教会
で一般の人に文字、そろばん(と聞いたけど、オランダにそろばんがあったの
?)を教えていたので、ヨーロッパの中では一番読み書きのできる国だったそ
うです。

だからフェルメールも手紙に関する絵を描いたのでしょうね。手紙は今のよう
に封筒に入れるのではなく、そのまま折りたたんで蝋でシールしたそうです。

郵便事業も発達していたそうですから、日本にも手紙は届けられたそうですが、
1年掛かったそうで、返事が届くのには2年掛かったそうです。

その上に当時は受取人が郵便料金を払ったそうです。もし、受け取りたくない
手紙ならどうしたのでしょうか? お金を払ってまで受け取りたくない人から
のものもあったでしょうに…。そんなこんなで、今のように、出す人が郵便料
金を払うようになったのでしょうか?

だんだん、美術館に通うのもしんどくなってきたら、私が選ぶのは日本人の作
品だと思います。色んな「絵」を見て来ましたが、私はやっぱり「日本画」が好
きですし「絵」より「物品」が好きなようです。と言うことは「美術館」より「博物館」
に行く機会を持つだろうと思いだしました。
コメント
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