ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

やっと、暖かいと感じた子どもの日

2011年05月05日 | 今日この頃

               長浜・黒壁通りのウインドウから    (11-2-10)


「子どもの日」です。息子達が小さい頃は「柏餅」や「粽」を必ず買っていましたが、
近頃は「柏餅」は年中ありますし、あんこの入っていない「粽」はあまり食指が伸
びませんので、買うこともすくないです。

ラジオでも言っていたんですが、「鯉のぼり」を本当に見かけなくなりましたね。息
子達が幼稚園の頃は「鯉のぼり」を作っていましたが、今は、如何なんでしょうね。
子ども達自作の「鯉のぼり」がマンションの窓から泳いでいたものですが、それも
見なくなりました。日本の文化・伝統を守りたいですね。きっと、心の余裕がない
のでしょうね。寂しいことです。


3月7日青山繁春さんの講演会を聞きに行った日、沖縄のことは又日を改めて書き
ますと書いたのですが、その4日後、大震災があって、のびのびになっていました。
記憶も薄れ掛けて、少し調べた事を付け加えながら書いていきます。

青山さんは「沖縄に行かれたら、『ひめゆりの塔』だけではなく、一寸不便なとこ
ろですが『白梅の塔』にもお参りしてください」と言われました。私も沖縄旅行で
『ひめゆりの塔』にはいきました。その時、「『ひめゆりの塔』が第一高女なら、
第二、第三高女の看護隊はなかったのだろうか?」思ったものです。

その第二高女の学徒看護隊の名が、『白梅学徒看護隊』だったのです。初めて青
山さんが訪れた時は「大きな土山で、後ろに廻ると小さな扉があり、開けると、手
前まで、毀れんばかりに遺骨が詰まっていた」と言われました。最近訪れた時は、
驚いたことに立派な塔が立っていたそうです。

私が調べた記事によりますと、その塔の後ろに廻ると、ちいさな石碑があり『白梅
の塔』と刻まれ、裏には元教諭の『散りてなほ 香りい高し 白梅(うめ)の花 昭和
22年1月建立』と刻まれているそうです。

『ひめゆりの塔』は師範学校と第一高女の2校が一緒になった学徒看護隊で人数も
多い為、有名だが、白梅学徒看護隊を初め、あと少人数ながら4校女子の看護隊は
あったようです。

『白梅の塔』の周りには各県の合同塔やその場で自決した兵隊の塔などがあるそう
です。それを読みますと、その場所が、死に場所になっていたのかもしれないと感
じました。

霊感の強い青山さんは硫黄島でもそうでしたが、沖縄のこの土地でも霊感を感じた
といっておられました。実は私も、霊感とまで行かなくかもしれませんが、少しその力
を持っていますし、青山さんのように人間的に強くないので、その場に行くのは少し
辛いかなと言う気がします。

土饅頭のような墓から心ある人々によって、立派な塔に作り直されて、霊も安らか
になっておられると信じます。沖縄の皆さんを守っておられるのでしょう。




コメント (2)
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