ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

お陰さまで

2011年05月09日 | 雑誌から

          「西洋オダマキ」   今年も沢山咲きました 一重が消えたようです



退院して1週間が経ちました。やっと普段の生活を取り戻したような気がします。
人間恐ろしいもので、1ヶ月も今までと違った生活をしていると、それが日常の生活
だと錯覚するようです。昼ごはんを食べると、「さ~病院に行かなくっちゃ」と思って
しまうのです。「もう行かなくてもいいのよ」と何度となく言い聞かせる日々でした。


今年の初めに、左手の痺れに痛みが加わったと言う事で、ホームドクターの紹介状
を持ち、阪大病院にいきました。3年前にも、診断を受けたのですが、痛みが来る
まで、このままで様子を見ましょうということでした。

痛みが来ているので手術は早いほうがいいだろうと言うことになりましたが、阪大
病院には7月まで病室の空きがありません。そこで先生の非常勤勤務の病院を調
べていただきましたら、4月に空きがあると言うことで、即4月1日入院、2日手術
と決まりました。

3ヶ月先というのは長い気もしましたが、その日はあっというまにやって来ました。

休肝日なしにお酒を飲んでいる主人は麻酔が効かないと困ると言う事で、5日前か
ら断酒することになりました。その最後の日、何時もの芦屋の焼き鳥屋さんに行き
ました。芦屋市議のご主人も居られて希望通り「政治談議」も弾みました。しかし、
「4月いっぱい(できれば5月連休後まで)で店をたたむ」と告げられ、ビックリ仰天、
寂しいな~と思いました。(ご主人は芦屋市会議員選挙で再選されました)でもう
直接「おめでとうございます」とお声を掛けることは出来ません。残念です。

3ヶ月前には神戸の行きつけの寿司屋も突然の閉店、これで、昔からのおなじみの
店は神戸に行ったときの昼を食べる「トンカツ屋」だけになってしまいました。いまさ
ら、新規に店を開拓する元気もありませんし、本当にがっかりしてしまいました。


話が逸れました。4月1日の午前中に「麻酔科」に行き注意を受け、署名に捺印し
ました。午後から入院病棟に行き、入院しました。「明日の朝9時から手術ですの
で、奥さんは8時には来てください」と言われました。

家を7時前には出なければなりませんから、寝坊してはいけないと思うと(私は目
覚ましを使わないので、その存在を忘れていました)1時間ごとに目が覚めました。
8時前には病院に到着しました。

5階の病室から2階の手術室に案内され、主人は右の手術室へ、私は左の手術待
合室へと別れました。

待合室で待っている時間は不思議な感覚でした。全身麻酔を受けるのは主人も初
めてです。

主人は今は麻酔が効いて人間ではなく、物体になっているわけです。そして私がこ
こにいるのは「まさかの時」の為に留め置かれているのです。「黙ってこの場を離れ
ないように、出て行かれるときには5階の看護師に伝えてからにしてください」と注
意を受けました。

この手術に関しては、命の危険性はないわけですが、手元の狂いで0.2%の手術ミ
ス?で肢体麻痺で寝たきりになる可能性があるというのです。それだけ「首」と言
うところは難しい手術だと言うことです。

手術時間は2時間から3時間ですと言われました。2時間経過したあたりで集中治療
室の看護師さんが来られて、色々説明を受けました。

2時間たっても、終わった連絡が入りません。3時間ほどたったころでしょうか、助手
の先生(担当医は、手術後、「学会があるのでそちらに行きますから、経過報告は
別の先生です」と事前に言われていました。)が来られて「今終わりました。手足
も動いていますから、もう少しすれば、看護師がお迎えに来ます」と告げられました。

それから30分、そして、集中治療室に入りました。管に繋がれた主人に「終わった
ね。如何だった?」「疲れた…」「え~、麻酔が効いてて何も分からなかったでしょう
に!?」「うん」私をちらっと見ただけで、安心したのか目を閉じたので「一度帰っ
て、夜また来るから」と言って退出しました。集中治療室は2~3時と夜の7~8の
1時間ずつしか入れないのです。

「一般病棟に移動しました」病院から電話がありました。時間制限がなくなったので、
息子と病院に向かいました。

今にして思えば、主人の「疲れた」と言う言葉は、手術前の気持ちの葛藤を言って
いたのではと思います。

4月1日に入院して、5月2日に退院するまで32日間、JRとバスを乗り継いで
の往復2時間あまり、やっぱり疲れました。通っても何をすると言うこともないの
です。病院ではベットの側で、テレビを見たり本を読んだりするだけなんですが、
1ヵ所にじ~っとしているのが疲れるのですね。

主人の入院中は好きな時にパソコンが使えると思っていたのですが、8時ごろ帰
宅して、パソコンに向かっても、ブログを書くのが精一杯で、後はテレビも見ずに
早々に寝てしまい、目覚めれば翌日になっていました。

32日の入院生活で、色んな人がいるのを知りました。どうにかして、1日でも長く
病院にいたい人、仕舞いには看護師さんが「予約が入っているので、空きのベッド
はありません」とまで言われても、まだがんばろうとする人。

昔は「別荘行き」と言えば「刑務所」でしたが、今は「病院」だそうですね。一人暮ら
しの人は、三食、ベット付き、風呂も週2回ですが在ります、その上に健康管理して
くれる看護師付です。自宅に帰ればすべてを自分でしなくてはなりませんから、そ
の気持ちも分からないではありません。

傷跡が痛い痛いと言う割には、食欲旺盛で、目方は減らない主人。疲れには甘い
物がいいからと、大好きな甘いものを食べ続け、何時もは夕食は6時なのに、病院
から帰ると8時になり、背中とおなかが引っ付きそうにおなかが空いているので、
ついつい食べ過ぎました。少しは減量できるかと、ひそかに期待していたのが大
はずれ、元のまんまの似たもの夫婦…。

リハビリを残して居ますが、「頚椎症頚髄症」という病とのお別れは、日にち薬と
言うことになりました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする