ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

どのように育つのが幸せか?

2011年05月11日 | 新聞から

          「シラー」 今年は8輪も咲きました   (11-5-8)


曽野綾子さんのこんな文章が載っておりました。

『苦しみに耐えられる強い性格に
…前略… 原爆を受けた広島は60年間は草一本も生えないだろう、と言われた。
今の広島の繁栄を見るとその予測は間違いだったのだが、いままで原爆を投下さ
れたことのなかった当時の人の体験の範囲では、答えは出せなかったのである。

放射性物質を含む校庭は表土を取った後なら、子ども達に戸外で運動させてもいい
のかどうか、今の所では誰も分からないのだから、私はそういう論議は無駄なよう
に思うもし幾分でも危険が予想されるなら、今後一切、校庭で運動をさせなければ
いいのである。別に戸外で運動をしなくとも、教育にも人間形成にも、何の妨げに
もならない …中略… 

戦争中、今度の東日本大震災とは比べようもない大きな災害を受けながら、軍人と
原爆の被害者以外の一般国民は、家と家財のすべてを空襲で焼かれ、預金が紙く
ずになっても一円の補償もなかった。

子ども達は空襲に怯え、目の前で親が死んでも、心的外傷ストレス障害の治療を受
けることもなかった。しかしほとんどの子どもがまともなおとなになった。犬のように
自分で自分の心の傷をなめて直したのだろう。むしろそのお陰で、苦しみに耐えら
れる強い性格を贈られた。

自分と同じ苦しみはさせないほうがいい、と誰しもが考える。しかし時々今の時代
の考え方はあまりにも過保護で、だから強い人間が出来なくて気の毒だと思うこと
はある。

おとなが背負う運命なら、子どもも同じように背負えば良いと私は考える。…後略…』

この文章を読んで、日ごろ、私が心でかんじていることが、そのものずばりと書か
れていると思いました。

戦火にすべてを失って、老いた親と幼い子どもを抱えた母はどんな気持ちだったの
だろうか? 寝る間も惜しんで家族を養う為に働き続けた母を思うと、このたびの
震災ですべてを失ったと言えども、人の善意に支えられた人は、まだまだ幸せだと
思うのです。この思いは阪神大震災のときも持ちました。

福島の原発の件も、家がありながら住めない苦しみはあるでしょう。でもそれは、
後から文句を言われないように、早目に予防しておけば良いという政府の生き残り
策の犠牲だと思うのです。そのために海外にまで「風評被害」を撒き散らしてしま
いました。

戦争孤児ほど悲惨な子どもはなかったと思います「浮浪児」と蔑まれ疎まれても、
自分ひとりで生きていかねばならなかったのです。人は皆自分の生活で手一杯で、
よそのこの事を考える余裕はなかったのです。

何年か経って、戦争孤児の寮ができました。私の学校にもその寮から通っている子
が居ました。

田舎で育った友に聞きますと、田舎は空襲もないし家は焼けなかったし、戦後の食
糧難も、自家製の米や野菜があって戦争による不自由は何も知らなかったと言い
ます。

同じ年代に生きても、この差です。いまさらながら、戦争ですべてっを失っても、なん
の補償も得られず、それでも必死で家族を養い生きた母の年代の人の強さは凄いと
思います。

どんな時でもどんなことでも、不公平はあります。今があまりにも平和でありすぎ
るから、すべてを失った自分が惨めに感じると思うのです。でも日本中の善意が
支えようと頑張っています。「がんばって!」とは言わないでという人もあるよう
なので、助かった命を大切に生きて頂きたいと言う言葉しかありませんが…。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする